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思考を整理整頓するんだ

自ら責任をもって、守るべきものを背負って、目の前にある幸せを大事にして、そうして地に足つけて生きていく決心をたくさんの人がしているなんて、すごすぎるよ。

こちらのnoteから引用。

のんにゃんさんのnote、真っすぐサクッと心に届くところが好きだなぁ………。

さて。上記の引用部分を分けてみると、

①自ら責任を持つ
②守るべきものを背負う
③目の前にある幸せを大事にする
④地に足つけて生きていく決心をする

という四つになるのだけど、全部がそう簡単にできるものではなく、だけど全部できるようになりたかったし、今ちょうど一気に全部できそうというかコツを掴めそうなところにいる。

①と②は、子供を持てば自然と身につくことだと産前は思っていた。だけどそれは大いなる勘違いで、身につかないどころかどんどん遠ざかってしまう。責任と守るべきもののプレッシャーに押しつぶされそうになり、全てを捨ててどこかへ行きたくなってしまう。

そうなると、もう③なんて「無理」の一言で終わりだし、いよいよ④の「生きていく」が怪しくなってくる。

というか、①はもっと早くから、せめて成人する頃には持ち合わせているのが理想だった。

私は私を信頼していなかったから、「私」という「土地」がしっかりしていないのに、そこへどんどん建物をのせていけば、いずれ崩壊するのは目に見えているんだよね。今思えばの話なのだけど。

土台からもう一度作り直すために病気になったのだと思う。

罹患してからの生活は、まず自分を信頼しないことには前に進みたくても進めない状況に追い込まれ、生きるために自分と向き合うしかなくなった。「自分と向き合う」この言葉よく聞くのだけど、いざ真剣にやってみると命がけで、ひたすら心を見つめる孤独な戦いだった。でも避けては通れない、諦めたら死んでしまう。

そんな心の過程を経て、ようやく①に手が届く場所まで来れた。多くの時間を使った(精神科の初診から一年四ヶ月、生きづらさを感じ始めたのはもっとずっと遠い昔)けれど、ここがクリアできてから、急な変化が次々に起こり始めた。

まず自分を理解することで、自分というものがある程度できあがり、外に目が向くようになった。そんな時、子供への愛を全身で感じたのをきっかけに②を獲得。

背負う=苦痛、そんな風に思っていたから、なかなか子育てを幸せに思えずにいたけれど、背負いやすいように苦痛を何かで包めばいいんだ、と気づいたのかもしれない、背負っていて感じるのは苦痛ばかりではないことを知った。包むものは、愛だとか思い出だとかなんでもいいのだけど、自分が気持ち良くいられることが大切。子供の抱っこひもを選ぶように、色々と試着してみることを今でも続けている。合わなくなったらまた替えれば良い。そんな柔軟性も忘れずにいたい。

そして、自分一人で背負うのをやめた。背負っているのが私ということには変わりないのだけど、たまに手を借りてよいしょと持ち上げてもらう。

②にはたくさんの方法があり、一人でできる時とできない時がある。方法が多ければ多いほど苦難にも対応しやすいと思うから、これからも自分に無理のないやり方を増やしていきたい。

②をこんな形でクリアした私は、同時に③を手に入れた。子育てそのものが目の前にある幸せだと思えたことと、夫への気持ちが激変することにより、家族愛を知ったから。

長い時間をかけて丁寧に整えた自分という土台に、①や②や③に関わるたくさんの大切なものを積み上げてきたので、これからそれらを整頓して、いざという時にサッと取り出せるように=思い出して乗り越える手段として活用できるようにしていきたい。そのためには、なるべく元気に毎日を過ごしたい。④は、土台に立てる柱のようなもの。とりあえずの材料は集め終わり、今、④の工事中。

何があっても倒れない柱を建てるには、またそれなりの時間が必要だと思う。だけど、その時間をも楽しめる知恵が、きっと今の私には備わっている。というよりは、自分の中に埋もれて見えなくなっていた考え方を発掘することができた。

誰の中にも、埋もれている部分、明らかな部分、新しく取り入れる余白がそれぞれあると思う。それぞれがその人に合ったバランスを保てていることが、快適に生きていく一つのコツかもしれないと思う。

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