自己紹介 ご挨拶 仲間募集
●自己紹介
こんにちは!2010年開店、大阪市北堀江のイタリア食堂「ジョルノ」店主 若林誠と申します。1980年生。兵庫県西宮市出身です。大社中学校、北陽高等学校卒業です。よろしくお願いいたします。席数20席の小さなイタリアン1店舗経営の個人店です。
大した成功もしていない僕が、偉そうに 飲食店経営 個人飲食店経営 小さな飲食店経営 集客、を語るわけではなく、
自身が取り組んできたことのまとめ、学びのアウトプット 自身のためでもあります。それが間接的に誰かの役に立てれば良いなあと。
大成功、大繁盛はまだ達成していませんが、10年生存率が1割以下と言われる中、2010年の開店以来、潰れていない、生き残っているのもまた事実で、どういったことを学び、気づき、注力してきたか取り組んできたか、そういったことをアウトプット共有して行けたらと思います。
また、個人飲食店経営者だけではなく、一般個人様に対しての、稼ぐ 貯める 資産形成 などにも役立つ情報サイトにもなれれば幸いです。
お店の概要としては、【席数20席、家賃26.5万円、18〜22時営業、スタッフ2名、平均客単価¥7000前後(下は¥2000〜上は¥20000) の1店舗経営】となっております。メイン顧客層は【40代以上の男性】です。そんなお店を2010年から経営してきました。もしかしたら今後の私の記事が、似たような規模、環境、スタイルの店舗様の「参考ぐらい」には、なるかもしれません。よろしくお願い致します。
●理念 人の、世の、役に立つ
●使命 世に求められる空間、時間づくりで役に立つ。個人マネーリテラシーアップ、経営サポート情報、優良記事、本、有益情報、失敗成功体験を拡散、分かりやすくまとめてアップする事で役に立ちたい。世界を良くするお手伝いを、投資、寄付などを通して微力ながら行う。正しく綺麗にお金を稼ぎ、正しく綺麗に税金を納め、社会に貢献する。
●夢 世界を回りたい 世界をより良くしたい 小さな喫茶店をつくりたい
こんな事を思ってます。
当店は大阪市内四ツ橋エリアに位置しています。当店の近隣1キロ圏内に、「イタリアン」というカテゴリーでの飲食店は、
コロナ前で350店舗、
2021年8月現在で244店舗、
価格帯を「7000円以下」に絞ると、200店舗ほど存在していて、同一キロ圏内に【居酒屋 1125軒】【カフェ 609軒】【イタリアン 244軒】【焼肉屋 241軒】【焼き鳥屋 204軒】【寿司屋 182軒】【カレー屋 180軒】【ラーメン176軒】がひしめいていますが、「居酒屋、カフェ」という大きすぎる括りを除けば、最も店舗数が多いのが「イタリアン」になります。とは言っても、低単価から高単価、下町食堂から高級ホテル、カフェやバール、フレンチやビストロでも「イタリアン」のカテゴリーに入っている(集客のために敢えて入れている)場合もあります。競合店が多い反面、需要も多いジャンルと言ってもいいかもしれないですね。(それにしても多い。。。)
●備忘録、●過去の学習、日々の学習への復習、●アウトプットとしてnoteを始めてみました。●脳内整理、●自己表現、●情報発信も兼ねています。●日記的な側面も。個人店を営む上で、頭を抱えながら死に物狂いで考え、学び、行動しながら得た●考え方や方法論、経験から得た「気付き」なども記していこうと思います。●小さな個人店の「運営の参考書」的コンテンツを目指したい、という思いもございます。
「過去の自分、運営に悩む個人飲食店主様、飲食店で頑張るスタッフさん、そして未来の自分」に向けて。
2010年の開店より、様々な苦悩や苦境を経て、四苦八苦しながらもお客様のおかげで何とか商売を続けてさせて頂いておりますが、「10年生存率が1割を切る」と言われるビジネスの世界では、そう簡単には「幸せ」にはさせてくれないようです。もちろんお金や売り上げ、利益だけが幸せになる条件ではありませんが、それが人生を「幸せに」生きる上でものすごく重要なことは言うまでもありませんよね。。。そして、曲がりなりにも経営者の端くれとして、商売人として、「スタッフ」や「家族」を経済的に守っていくには、社会貢献するには、しっかりと利益を生み出し、大きくお金を動かして、経済活動に貢献しなければいけないと思います。「お金」は大事です。綺麗事だけでは生きていけませんもんね。
飲食業は特に利益率が低い業界です。
競合の多さ
路面店舗の家賃の高さ
人件費
原価率
構造自体が利益を多く取れないようになってしまっている業界です。でも、この仕事の素晴らしさを知ってしまった人間はなかなか離れられないのもまた事実です。私もそうです。
加えて廃業率が9割を超える、「超」熾烈な業界です。
そんな業界で何とかかんとか12年目。(2010年開業)「生き残りの1割の中の最底辺」かもしれない私ですが、商売を続ける中で見えてきたもの、気づいたことも少なからずございます。
このnoteでは、私の実体験から「利益が取りづらく、生き残りづらい」この業界で利益を最大化し、残り続けてきた、そしてこれからも残り続けていくためのお話なんかもしていけたらと思っています。自分のためでもあります。
かなりぶっちゃけた話になりますが。。。かく言う私も2019年、9年目にしてようやく「実質年収850万円」に到達しました。何とも微妙な数字…せめて1000万とか、2000万ぐらい言いたかった…生々しくてすいません。でも、これぐらいの方が寧ろ現実味を感じませんか? 知名度もない、名店の看板も、資本もない。受賞歴も、メディアへのコネも、社会的評価もゼロだった私が、学びと工夫で何とかやって来れたんです。誰だって「人三倍の思考と行動と工夫」で必ずできます!
そしてこの場では、敢えて、信頼度と話の解像度を上げるために具体的な数字をなるべく出していこうと思います。ちなみに「実質年収」とは、所謂サラリーマン的な年収に換算した場合の値になります。(事業者は色々と合法的に節税や経費勘定をしていますので、会社員的な所得とは大きく違って来ます)
この数字が良いのか悪いのか、達成年数が早いのか遅いのかはさておき、調べたところ日本の平均年収や中央値、個人事業主や飲食店主の同データと比較すると「2倍前後」くらいにはなるようです。(日本において、年収800万円以上は15%以下、外食業の平均年収は390万円、個人飲食経営者の平均年収は600万円、40台の平均年収は570万円、大阪府の平均年収は430万円)
私も「お金が全て」とは考えていませんが「お金が重要」であり、「一つの明快な目安になる」ことは心得ております。まだまだ上を目指しますし、やりたい事(ビジネス展開も含め)もたくさんあります。貢献もしたいです。親孝行も。家族孝行も。
2020年は「実質年収1000万円」を目標にしていた矢先、コロナ襲来。その後withコロナ対策にまた悩みを抱える日々を過ごしておりますが、逆に「学びのインプット」や「思考の研磨と反復」、「行動と検証」にもたっぷり時間をかけることができ、「ヒマを逆手にぐぐーっと商売を飛躍させる」イメージと戦略と段取りができてきました。ずっと先延ばしにしていたインデックス投資も開始する事が出来ました。
「お金は銀行においてあるだけでは、引き出し手数料とインフレリスクで価値が減る。お金は種だから、然るべき「土壌」に置き換え、お金がお金を生み出す環境を整え、しかるべき設定を施せばその種は芽吹き、大きく花開く可能性を秘めている」
このコロナ禍だからこそ学び取れ、腑に落ち、行動に移せました。
ちなみにコロナ禍以後、2020年の実質年収は「800万円」、2021年は7月時点で「980万円」ペースです。もちろんお店の売り上げは半減以下ですし、インデックス投資も始めたばかりなので数万円の利益しか出ておりません。「給付金の恩恵」です。給付金を計算に入れるのはズルい気もしますが、会計的な観点からは公的に認められた、立派な「収入」になります。「(コロナがなければ)本来得られていたであろう利益」に対して、然るべき申請をし、過去の業績などから審査を受け、公正に支給されたものなので、あくまで「参考までに」ではありますが、計算に入れておこうと思います。
余談
日本においては、「お金の話」は大変しづらく、「卑しい、亡者」のようなネガティブなイメージが本当に根強いですが、本来お金に善悪はなく、お金を使う人間に悪い人がいるだけなんですよね。なぜか、日本では庶民がお金持ちの陰口を叩きます。確かに悪いことをした人には、そうしてもいいかもしれませんが、正しく綺麗に稼いだお金持ちこそ尊敬されるべきなのに、そういう人たちのことも妬み半分で叩きますもんね。どうにかならないんでしょうか。この風土。。。医療がこの価格で受けられているのは何故か。公共機関を何故こんなに安く利用できるのか。なぜ税金がこの金額ですんでいるのか。たくさん稼いだい人たちがたくさん税金を払ってくれているからなのに、悲しいことです。。。
お金とは「社会的信用度を数値化したもの」であるはずなのに、「卑しい亡者」となる。。。日本の歴史的にも「士農工商」といって商人を蔑んだり、お金を扱う人間をネガティブに扱う流れが古くからあるようです。それは、お上が「庶民にお金の真実を知られては困る、支配しづらくなる。庶民にはずっとお金情弱でいて欲しい」という思惑があるようで、金融教育は一切なされずに僕たちは社会に出されます。そして、クレカ、リボ、車、保険、家、「借金、税金、手数料」という名の無限地獄に誘導されます。。。
是非ともマネーリテラシーをあげて、誤解を解き、お金を貯め、稼ぎ、増やし、守り、綺麗に使う。勉強をしましょう!
●今後の目標、noteのテーマ
今後はサイドストックビジネスや、長期インデックス投資、セカンド店舗などを活用し、「安定して実質年収2000万円を超える」事、「65歳までに純資産2億円を築く」を目標としております。(お金が全てではありませんし、お金の話は卑しく聞こえるかもしれませんが、話を明快にするためにあえて具体的な数字を記していきます。)
ただ、矛盾するようですが、本音としては「貯金」は本懐ではありません。
🌱「美しく大きく、お金を動かせる人間になる」
正しく綺麗にお金を使って、より大きなお金を生み出し、また更により良くお金を使い、動かし、経済を回して、スタッフと家族と仲間を守る。そしてほんの少しだけでも、被災地支援や寄付などを通して世界を良くする役に立ちたい。これが本音です。
このnoteのテーマは「過去の自分と、小さな個人飲食店主さんに向けて」。そして「未来の自分のため」でもあります。そして「仲間集め」。
実体験から気付き、学んできた、小さな個人飲食店のための考え方や運営論、販促や原理原則をカジュアルに、小難しい横文字や専門用語をなるべく使わずに、「できるだけシンプルにわかりやすく」記していきたいと思います。自分の復習、未来のためでもあります。たまにとりとめもない、日記的な記事や、雑談記事、食材やワインなどについても。
いきなりネタバレしてしまいますが、全てのビジネスにおいて「売上」を構成する要素は、
①単価の高いお客様に(客単価アップ)
②自然に気持ちよく常連になっていただき、維持しつつ(頻度アップ)
③そんなお客様を増やし続ける(客数アップ=集客)
この三つしかありません。あらゆる経済活動における金銭のやり取りの構造は例外なくこの三要素の落ち着きます(【時間延長や席数増加、テイクアウトやデリバリー、通販などの販路間口の追加】も突き詰めれば【単価、頻度、客数】にカテゴライズされます)。めちゃくちゃシンプルなのに9割の会社、お店がこれのいずれか、或いは全部が「減って」しまい、キャッシュアウトしてしまいます。もちろん永遠に上げ続ける事は不可能かもしれませんが、この三要素を常に意識し続け、努力する事は可能なはずです。そしてこの三要素は「順番」が大事。その辺りも含め各要素の詳細もこのnoteに記載していきたいと思っています。
また、上記の三要素に加え私が実践している(していきたい)のが、
○投資思考を鍛え、実践(経営とは「投資と回収」。原材料も投資。人材も投資。広告も投資。家賃も投資。お店自体が投資。)+証券口座を持ち長期分散インデックス投資(しっかり勉強し、負けにくい堅実な手法を学ぶ)
⓪お金の使い方を学ぶ(「貯める、稼ぐ、増やす、守る、使う」実は、これこそが商売を始める以前に最も大事!)
もちろんここに関しても詳しく記載していきたいと思います。私如きが恐縮ではございますが、私の記事がほんの少しでも、「誰かの何かの」役に立てれば幸いです。
若林 誠
私の基礎十訓
◎ピンチをチャンスに(悪い状況を逆手に取る)
◎学び続ける、考え続ける(何が何でも諦めない)
◎打ち手を探し続ける(知らないことを否定しない)
◎お客様との心理戦(小粋なサービス、名前を呼ぶ、些細なことを覚えておく、ミスをしたらワインでお詫び、お客様ノートを作る)を楽しみながら制する
◎精神論+科学的努力
◎割り切る知恵と勇気
◎厨房を綺麗に。備品を綺麗に。整理整頓。
◉とにかく気さくに愛想良く。
◉細部の質を磨き続ける。
◉単価×頻度×客数 の公式を意識し続ける。(刻み込む言動、思い出してもらう仕掛け。知られる行動)
●仲間募集
当店は只今、1店舗経営の小さな事業ですが、今後「共に未来を創造してくれる仲間」を募集し、「その街に必要とされる、100年続くカッコいいお店」を2店舗ほど創りたいと思っています。
●現状一店舗目がトラットリア(イタリア食堂) http://www.tb-giorno.com/fcblog/2020/05/14/456/
●二店舗目は、ニューヨークの路地裏、くたびれた雑居ビルの三階あたりに佇む、昔の古いアメリカ映画に出てくるような(ボブディランやニールヤング、ジョニーデップやトムウェイツが似合いそうな)素朴だけど渋くてカッコいい「コーヒーバー」☕️ テイクアウトや通販システムも併設した、「古くて新しい喫茶店」を計画中。内装やメニューを含めて、無駄なものを削ぎ落としたシンプルな店作り。と同時に、古き良きを温めつつもセールスやマーケティングにおいては現代的なアプローチも怠らない。100年続く、そんなお店。を創りたいです。
イメージはこちら。イメージソングはこんな感じ。
まあ、禁煙にするんですけどね😅
●三店舗目に、
地域で一番美味しくて、安らげる、カッコいい「大人の男が通う」
オーセンティックな喫茶店を構想しています🌿
イメージはこちら。BGMはこんな感じ。
画像はあくまで内外装のイメージとして掲載しました。コピーするのではなく、「独自性と戦略と想い」を持ってオリジナルを創りたいと考えます。
クリエイティブで「自分の心に誇れる」生き甲斐となる仕事を探されている方!僕と一緒に「未来を想像し、人の息づかい、鼓動、命の輝きを感じあえる、カッコよくて安らげる場所を創造」しませんか🌱
●【未来の経営幹部 兼 ☕️コーヒーマスター募集】
まだまだ構想段階なので、自由な発想、アイデアを出して、企画から立ち上げ、事業計画、段取り、運営、経営、マーケティング、全てに関わってくれる方大歓迎です。コーヒー、カフェ運営に明るい方ならなおよし! ・また、この先の将来に不安を感じている方、今は勤めているけど「もっと幸せになりたい!」「やりがいを感じたい!」「人の役に立ちたい!」「思いっきり自分を解放したい!」そんな方も大歓迎です。
●【🇮🇹イタリアンシェフ 兼 経営幹部募集】
そして、2010年開店のイタリアン本店では、僕に代わって腕を振ってくれる現役イタリアンシェフも募集中。経験、センス、熱意によってはメニュー開発を含めた現場運営のすべてをお任せしたいと思っています。
もちろんいずれのパートも、熱意、実績、成果次第により、報酬は惜しみません!成果次第では月収50万円以上も実現可能。
スタート時は週6勤務、1日12時間前後(休憩2時間前後)の勤務にはなるでしょう。しかし軌道に乗り、収益が見込め、さらにスタッフが増えれば、
「幹部であっても」完全週休2日、1日9時間勤務(休憩1時間前後)にしていきたいと思います。
「無駄に頑張らない、合理的で効率的な頑張り」を追求していきたいと思います。
★更に、イタリアン、カフェ共に業績、意欲、頑張り次第ではありますが、数年〜十数年後には、店舗そのもの+全経営権を譲渡したいとも考えております。
今現在お勤めでも、構いません。急ぎません。「善き人に巡り合った時」が新店開発のスタート。もしご興味、関心を持っていただけたら、気軽に連絡してください。気軽にじっくり、ゆっくりお話ししましょう。電話でもsns でのメッセージでも構いません。
仲間が、同士が必要です。あなたに投資させて下さい!
僕もまだまだですが、少なくとも僕がこれまでに学んできたことや経験してきた事は全てお伝えします。精神的にも、そして経済的にも、もっともっと自由に、楽しく、幸せに人生を生きていくために一緒に成長していきましょう。
若林誠
●店舗情報 連絡先
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トラットリア バール ジョルノ【イタリア食堂 ジョルノ~Trattoria Bar Giorno~Dal 2010.】
◉北堀江1丁目/四ツ橋駅徒歩5分/2010年開店
TEL 06-6532-1117
住 所:〒550-0014 大阪府大阪市西区北堀江1-16-17 アメニティ北堀江1F
●食べログ ➡︎ tbg.2010
●Google MAP ➡︎ Giorno
●Instagram ➡︎ tb.giorno
●HP ➡︎ ジョルノ
●BLOG ➡︎ WORDPRESS
●You Tube ➡︎ YT.video
●FaceBook ➡︎ FB.giorno
●note ➡︎ note.giorno
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●生い立ち
誰も興味ないであろう、僕のヒストリーですがちょっと書いてみます。
ごく普通の平凡な家庭に生まれ、大事に育ててもらいました。二歳上の姉が一人。親には本当に感謝しています。決して金銭的に裕福ではありませんでしたが、不自由なく暮らしていました。坂道が多い、小高い山側の住宅地だったので、足腰がすごく鍛えられました。そのため足は人一倍速く、短距離走でも、マラソン大会でも常に学年で1、2を争っていました。でも勉強はあんまりできるタイプではなかったです。中の中位だったと思います。小学1年生から6年生までは少年剣道の道場に通っていました。ここでもかなり鍛えられたと思います。礼儀や根性続けることの大切さ…
今考えるとよく続けていたなと思います。強くなれば強くなるほど、先生からのしごきに近い練習(もちろん愛情は感じておりました)は次第に過激に。小学生が30代40代50代の達人に挑んでいく「かかり稽古」では、何故か頭を掴んで突き飛ばされたり、高校生以下は使用してはならない「突き技」をされたり…もちろん僕たちを強くするために心を鬼にしてわざとやっていた稽古には違いありません(笑)週に5日から6日は道場に通い、夏休みや冬休みには1週間ほどの地獄の合宿。市内にある4つほどの小学校の体育館を利用しての稽古でしたが、当時だと総勢100名前後は練習生がいたと思います。そこでは、キャプテンを務めたり、その道場の中では一応強い方に位置しておりました。
しかし小学校時代の最大の衝撃は両親の離婚でした。父親が出ていったのですが、なんとその原因は母と僕の通っている剣道の道場の師範との不倫。しかも、実の父が出て行ったその翌週、その不倫相手である師範が僕たちの家に来て暮らし始めたのです。そして再婚しました。当時はよく訳がわからなかったのですが、両親が別れると聞いたその日はとにかく泣きじゃくっていたのは覚えています。ですが別に暴力を振るわれたり、嫌な人ではありませんでした。義理の息子になる僕にも愛情をかけてくれたと思います。母親も罪悪感からか、今まで以上に僕たち子供を気にかけてくれていた事は、今でも感謝しています。
しかし、2歳上の姉も最初は何とか上手くやっていたのですが、思春期になるにつれ親への反抗心が膨れ上がり、どんどんどんどん家族の距離は離れ、溝は深まり20歳過ぎには家を出て行ってしまいました。僕は必死に家族をつなぎとめる役割になっていましたが、姉を止めることができませんでした。姉は今でもその義理の父親とコミニケーション取る事はありません。僕や母親とは仲良くやっています。
中学時代、足が速かった僕は陸上部に入りました。長距離走です。この時代が僕の人生のピークであり、栄光と挫折を味わった青春時代になります。小学校時代にマラソン大会を3連覇していた僕は、中学の先輩たちから「怪物が来る」などと噂されていたそうです。後から考えると拍子抜けだったと思います。僕が小学校時代に1度も負けたことのない、マラソン大会でずっと3位だったライバルが、中学に入ってすぐ、異常な伸びを見せ、僕を抜き去っていったのです。以降、僕はこのライバルに1度も勝つことなく中学時代を終えました。そんな中学時代ですが全体的に見れば、陸上部のキャプテンで、ライバルには勝てなかったものの、それなりに活躍はさせてもらっていました。阪神大会と言う西宮市、伊丹市、尼崎市、宝塚市あたりの地域が集まって行う大会で3位になったり。中学2年の春、ライバル「文平」が怪我で出場していない市内の大会で優勝したり、その年の冬の駅伝大会ではレギュラーメンバー入りし、市内優勝をみんなで成し遂げたこと。せいぜい市内、阪神大会のレベルでしたが、「熱血、根性」を地で行く青春野郎でした。結構本気で全国大会出場は目指していました。しかし結局、中学2年生の3学期あたりからは、大スランプ、伸び悩みに陥り、むしろ記録的にはチームの足を引っ張る存在に成り下がってしまいました。
ライバルの「文平」はどんどんどんどん伸び続け、県大会でも入賞を果たすほどに伸びまくり、ついには全国的にも有名な陸上長距離強豪校「報徳学園」に推薦入学しました。僕は結局陸上でも伸び悩み、どこからも推薦を得られず、成績も悪かったため、大阪の陸上部中堅強豪校「北陽高等学校」へ普通に試験を受けて入りました。
中学3年生の夏、初めての彼女が出来ましたが、ほんの3ヶ月ほどで冷めてしまい自然消滅。ひどいやつだったと思います。
しかし、やはり小学校、中学時代と一生付き合える友達を見つけることができたのが1番の財産だと思います。
高校時代、陸上部には入りましたが、それなりにレベルの高い高校だったため、選手に選ばれる事は全くありませんでした。それでも中学時代の後悔の念が強く、ここでもうひと花咲かせようとそれなりにはがんばりました。1日も休むことなく学校にも部活にも出続けました。当時、高校陸上部駅伝大会において全国優勝を続けていた「西脇工業高校」などへの合同合宿は、今思いだしても、吐き気と、全身の地獄のような筋肉痛が蘇ります。
そしてこの時代、クラスメイトや中学時代の友達の影響で、ロックミュージックやファッションにも目覚めてしまいます。ブルーハーツやハイロウズ、ミッシェルガンエレファント、ギターウルフ、Hi StandardやMad Capsule Markets…中でも特にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTには心酔していました。恥ずかしながら、「奴らの本当の良さをわかっているのは俺だけだ」などと本気で心の中で思っていました。彼らの影響を受けたバンドなどを漁りまくり、ビートルズはもちろん、ローリングストーンズやドクター・フィールグッド、パイレーツ、モノクロームセット、ウェディングプレゼント、ヘッドコーツ、ソニックス、イギー・ポップ&ストゥージズ、エディーアンドザホットロッズ…なけなしのお小遣いで、周りの誰も聞いてないような昔のロックンロールも聞いていました。ここが僕の音楽リスナーの基軸となり、今でも、戦前ブルース、カントリー、フォーク、リズム&ブルース、ソウル、スカ、レゲエ、ロックステディ、ラヴァーズロック、ロックンロール、パンク、ポストパンク、ブリットポップ、グランジ、加えて、ジャズ、ボサノヴァ、ハウスやテクノ、エレクトロニカ、シガーロスやエイフェックスツイン、、、「グッときたものは何でも」聴くようになりました。小沢健二、山下達郎、サザン、井上陽水、中島みゆき、MISIA、スーパーフライ、スピッツ、ミスチル、チャゲアス、ZARD、WANDS、アイコ、ジュディマリ、ブリグリ、あいみょん、、、J-POPも昔の歌謡曲も大好きです。
高校は大阪でしたが、服を買いにいくのは神戸で、当時かなり尖っていた異彩を放つ小さな洋服屋「Anonyme′」を見つけ、通い、可愛がってもらっていました。大して買えもしないのに(笑)しかし、後に僕はこの服屋の会社が運営しているレストランに入ることになります。人生何があるかわからないものです。
高校でもろくに勉強はしていなかった上に、やりたいことも決まっていなかったので、片道二時間かけて、京都にある文系の大学の短期大学部に「四年制への編入を狙って」(先生の苦肉のアドバイス)何とか滑り込みました。それなりに友達もできて楽しかったのですが、もともと思い悩みやすい性格の上に、今後の人生をどうやっていくかすごく悩んでいる時期でもあり、訳がわからない位思い詰めたあげく、大学を退学すると言う愚行に走りました。このことに関しては本当に反省していますし、後悔しています。親にも申し訳なく思い、学費は長い時間をかけて返すことにしました。本当にあの時は一体何を考えていたのか、どういうつもりだったのか今でも思い出せません。退学後、2ヶ月ぐらいは何をしていたのかも記憶にありません。ただ鮮明に記憶に残っているのは退学から2ヶ月と少しが経った頃のその年の年末、僕が高校時代から通っていた神戸にある小さな洋服屋のオーナーさん(みんなからは親方と呼ばれていた)に、
「お前学校やめたんか。あほやなぁ。今何もやってないんか?ほな、来週からウチんとこ来い!下働きせい!まずはメシ屋でとことんやってみい!」
と、誘っていただいたのです!
正直この会社には、ものすごく憧れてはいたものの、めちゃくちゃかっこよくて、おしゃれで尖ってて、異彩を放ちまくりのこの会社で、オーナーはもちろんスタッフの方々も一癖もふた癖もある方々ばかりで、小さな洋服屋とレストランを一軒経営している、おしゃれでかっこいい会社ではあるものの、噂ではめちゃくちゃスパルタで、殴る蹴る、無茶振り当たり前の、周りからもいろんな意味で恐れられている会社だったので、一瞬、心臓がどきっと止まる位びびったのですが、今の自分の情けない現状、ここで変わらなきゃ一生変われないと言う思いが、背中を押し「はい!よろしくお願いします」と即答した自分がいたのでした。
思えば、中学時代の陸上、高校時代の陸上、受験、そして大学生活…挫折ばかりでした。打ちのめされてばかりの人生。
「今の自分には何もない。とにかく、何が何でも、なりふり構わず、がむしゃらここでがんばって、自分の根性叩き直し、やりたいことを見つける!」
そう心に決めこの会社に飛び込んだのです。
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個人マネーリテラシーアップ、経営サポート、記事、本、有益情報、失敗成功体験を拡散、分かりやすくまとめてアップする事で役に立ちたい
世界を良くするお手伝いを、投資、寄付などを通して微力ながら行う
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