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Kei
2024年12月4日 07:06
実際のところ夏を越したらもう無理だろうと覚悟していました。主治医曰く「全く嚥下が出来ません。機能的には出来る筈なのですが、それが出来なくなっていますので、点滴のみに頼っている状態。胃ロウか、喉切開で栄養摂取するかという選択、或いは、このまま自然に任せるという選択、どちらかでしょう。手術は・・正直進められません、お母さんの体力がもたないでしょう」退院前、そう言われました。決断しな
2024年11月8日 09:45
「白い三角巾はあまりに病人っぽい」と・・娘が100均で購入したというバンダナを二枚縫い、それはそれは素敵なonly1の三角巾を持って来てくれる。夜、消灯時間のあとは長い。緊急病棟ゆえに痛みを訴える方、術後の方、重篤な方多し。一番好きな77歳のご婦人。夜中に「たすけてください。もう痛いのは厭です。自尊心を粉々に壊されるのも厭!何故?何故、あの方達は意地悪するのでしょうか。
2024年11月2日 07:50
くわっ!と、その目を見開き”お前は!”と、怒声を発せよ入道雲の如く大岩の如く圧倒的な畏怖をわたしに味あわせよ事の推移 わたし自身の風邪にて一週間訪れなかった間 父は隔離室に入れられ点滴を受け 頬削ぎ落ち目は窪み 久し振りに会う父は死に行く人の如く変貌遂げていた お父さん!と声を掛けても眠ったまま 「何も食べないからです。」介護士が憎憎しげに答える
2024年10月28日 06:17
それでも母は父を覚えているのだ。多くを忘れようと、母が口にする「一番大事な人を忘れるわけがなかろうもん」母の大手術ののち、車椅子で近付いた父が「おい、オレが誰かわかるか!?」の問いに即答した母であった。既に三年前・・認知症という病は、特効薬が無い。が、症状を遅らせることは出来るのだ。それを助ける薬もあるにはあるが、何といっても、周囲の言葉や働きかけ、母の表情を察知し喜んでいるとわ
2024年10月1日 07:02
あと二ヶ月で、父、奇跡の生還より丸三年経過する。脳出血で高次脳機能障害となった父は、リハビリを続けるも未だ歩けない。当初あった言語障害は回復。父の入院時より、母の認知症は悪化した。父母の三年は、私にとっても、新しい三年でありました。尊大で倣岸不遜が服着て歩いているような、巨躯の父はその肉体のみ半分になり。伊達男たる父は、全てのスーツ、ネクタイ、手を通すことも着ることも不
2024年9月19日 06:20
緊急搬送後、しばらくナース室の前に母は移されていました。サービスステイション、見守りや検査、点滴、他、治療必要な方が入る場所。血圧、体温、他、一応安定ということで、本来ならば本日21日に、従来の父との部屋に戻すという医師、看護士さんのお達しあり。が、何しろ、父がうるさい。「夫婦を別々にするヤツが居るか~!夜、お前たちは、ずっとA子の様子を見れるんか?俺が寝ずの番をする。早く
2024年3月13日 07:27
2024年3月4日 07:33
母は喋ることも忘れつつあるのか、とみに無口になった。栄養士さんとの面談。三ヶ月更新、状況報告あり。食べる量が減っていますとのこと。前は80%は食べていたのが、60%、体重も急に5キロ落ちた。なのに~クダンの医師め!母に間食させるなと?BMIがどうだってのさ。そもそも、母の身長からして計算ミスでしょ。母は165センチあったのだ。多少、縮んだにせよ・・背中の湾曲で145センチって計
2024年3月2日 21:05
車椅子に乗り、半身麻痺の父は、大声でそう喚く。脳内出血時の損傷箇所が大きくて、リハビリを頑張るも、結局、歩くこと叶わず。ただ・・好きこそものの上手なれ。違うかw生来、口の達者な、いや、饒舌、多弁、父が口を開けば誰もが時に感動で、時に唇かみ締めて・・去ったという、その性格が幸いしてかはたまた、言語療法士さんが、とびっきりの(父好みの)スレンダーな若い美女だった為か、言葉だ
2024年3月2日 07:15
母が大好きな千鳥屋のカステラと、ふと目に留まった可愛らしい雛あられを買い、僅かな時間、ホームに寄って戻る。カステラは、口に含むも吐き出す。嚥下が困難になっているのか?と嘆くも、突如、袋開き、「うわ~~可愛い、美味しい!」と、雛あられを音立てて食べた母。色とりどりの小さなあられを無心に笑顔で口に運ぶ母。ああ、嬉しい!「ホントにお前は子どもになってしもうたのぅ」と・・苦笑しつつ