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甘野充プロデュースの創作に特化した共同運営マガジンです。 共同運営マガジンは、みんなで作るマガジンです。 自作の小説、詩、絵、音楽、動画など、想像力と創造力あふれるアートやエンターテイメント作品をnoteで公開している人たちが集まって、作品を披露する場となります。 参加すると、自分の記事を共同運営マガジンに追加することができるようになります。 たくさんの人に自分の作品を読んでもらえるチャンスです。 参加費は無料です。 参加希望の方はトップ記事へコメントお願いします。 ルールは以下です。 ・投稿内容は、自作の小説、詩、音楽、絵、のみになります。 (エッセイは不可。他者の作品の紹介も不可) ・投稿は自分の記事だけにしてください。 ・投稿は当日投稿の記事のみにしてください。 (過去記事は投稿しないでください) ・タイトル、タイトル画像、説明文は変更しないでください。 甘野充
K
自分の抱えてきた葛藤や想いの集合体
働くってのは大変だあ。
我、口で詩う。我、詩を口る。
昔よく聴いていた楽曲をふと思い出した。 AppleのCMでも使用された Yael NaimのNew Soulである。 聞いた事のある曲かもしれない。 学生時代、未熟な自分をおもしろ可笑しく 包み込んでくれるこの曲を気に入っていた。 自分が犯したと思った間違いを ポジティブに受け止め未来に生かすのだ。 酸いも甘いも噛み分け味わって。 僕は新しい魂でこの世界の新参者 学べばいいさ この年になると悲しい哉。 前を向こうとした事をすぐに忘れる節がある。 事故を起こし
辛い時の自暴自棄、ドカ食い、やけ酒。 無価値な自分に嫌気がさして 自分を含めて全てを投げ出したくなる 感情から生まれていたのだろう。 辛いと思っている自分を労るのではなく 寧ろさらに自分を傷つけてしまう人間の性。 何かを失ったり、何かを奪われたとしても それでも人間には無数の選択があると思う。 選択を投げ出すのではなく 選択を抱きしめていくのだ。 選択こそが人間に生まれた醍醐味かもしれない。 明日は何時に起きようか? 明日の朝食は何しようか? 今日をどう過ごそうか
ある日のこと。 出張で滞在しているホテルと 自由の女神が隣接している事に気がついた。 展望スポットまで走って行きたいと思った。 僕はGoogleマップで基本情報を確認。 5km。徒歩で片道35分。往復で走れる距離だ。 世界を自由で照らす女神。 ニューヨークとニュージャージーの間に流れる ハドソン川に浮かぶ小島にただ佇んでいる。 ニュージャージー側の川沿いに滞在していたので、 ハドソン川を下って、走っていく事にした。 東海岸の空はカラッと快晴。 程よい寒さも相まっ
ご飯は腹八分目にしましょうね。 学校の保健の勉強でも社会人になっても 定期的に目にするあの言葉。 胃袋の満たされ具合。 自分だけが知っている秘密。 小柄で胃袋の大きい人が感じる腹八分目は 食べ過ぎなんじゃなかろうか? 大柄で胃袋が小さい人が感じる腹八分目は 栄養失調ではなかろうか? 無意味な人の心配をしながら 中肉中背は緑のアイコンを開く。 ベトナム料理が並んだカートを眺めながら考える。 食べ切れるだろうか? 満腹虫垂に生じたバグとの戦いは
一所懸命に走ったら 微笑んでくれるかなあ 自分の足で最後まで 少しだけ微笑んでくれないかい 僕に元気をくれないかい 今日も飲まず食わずなのさ 貴方頼みなんてカッコ悪いね 見てて 走り続けるから ガシャン 正面衝突 障害物は当たった瞬間に 形が成される 見えない障害物の中 走る事が生きる事? どうだろう 障害物は見えていたんだろうね とうの昔に けれどあの時は見えなかったんだよね ああ そりゃ微笑んでくれないか 自分すら見えてないんだか
一寸先は闇。 ほんの少しの先の事であっても 全く予知の出来ないことのたとえ。 時は戦国時代。 明日の命さえ、分からない不安定な時を過ごし、 怯えながら寝床につく。 時間が解決してくれるのか。 平和な時代はいつ訪れるのか。 人々は願い祈りながら生きていた。 そして、この言葉は生まれた。 僕たちは生まれた。 そして変わらず、一寸先は闇。 時が凄惨な事実上の闇を連れてくるのか 暖かな光と共に現れるのか。 僕は時に期待したくない。 自分自身の足で前に進み
マジ卍を許容すべきか、僕には結論が出ていない。 さっき、マジ卍という言葉の意味を忘れたので調べてみた。 若者が使う言葉と認識していたが、理解が出来なかった。 調べて理解した。 さらに調べてみた。 新しいと思っていた言葉は死語だったようで 墓からせっせと掘り出していただけだった。 時代の風にピューッと吹かれた気分。 この前、車の後部座席に座って、山中を走っていた。 「おい、K。さっきの件、調べたか?」 偉い人が僕に問うた。 「すみません、電波が顔を出さないの
この世の大体の植物はお水がなければ 大きく伸びないでしょう。 それは人も同じだと思うのです。 お水をあげなければ人は枯れるか 伸びる事を諦めてしまうと思うのです。 だからお水をあげれる人になりましょうね。 お水って何でしょうね。 感謝かな。 「いつもありがとうね。」って一言くれたら 少しこの人の為に背伸びをしようと思いませんか。 または愛かな。 初めの上司は叱咤激励がとても多かったけれど いつも上より部下を見て仕事をしていて 受ける言葉は尖ろうが僕は愛をそこに感
先週から週に1回ランニングを続けている。 足はこんなに重たかったのか。 全く上がる事のない腿に苦笑いしながら 脹脛をスライドさせながらゆっくり走った。 割と長く伸びた髪がワサワサと目に入り 髪の毛をかき分ける作業がまた疲労を加速する。 無理です。嫌いになる前に辞めましょう。 10分間。僕がゆっくり走った時間だ。 ほぼ1年振りのランニングである。 ツケが回ってきた事を甘んじて受け止めた。 しかし、走るのを辞めて家路まで歩いている時 久しぶりに熱くなった身体に心地よさ
ここ1年で億劫になったのが運動である。 元はといえば体育会系の環境で育ってきた。 上下関係やらそういった状況は面倒臭いと思いながら身体だけは動かし続けてきたのだ。そういった身体を動かし続けてきた習慣は年を重ねても変わる事はなかった。動かさないと自身が錆びていくような感覚を覚え、ムズムズして、週に1回は大学生、社会人となった後も走っていたのだ。 根底として哲学者アランの「幸福論」の思想に傾倒していた。 彼は心と身体に力強い繋がりがある事を教えてくれる。 幸福になりたけ
無関心というのはちょっと怖い。 色々な物事が自分から切り離されて 全てがどうでもいいと思ってしまうのだ。 結果、何もしたくなくなってしまう。 一度切り離されてしまったものを 紡ぎ直すのは自分の力では無理なのかも知れない。 今日は仕事だった。 9時が始業だ。12時に起きた。 豪快に寝坊をしているが そもそも目覚まし時計を設定していない。 どうでもいいのだ。 どうせ日本はお休みなんだから。 無関心は罪悪感を覆い隠す。 ただ罪悪感は消えたわけではないのだ。 ゆ
とある画家は得意な水墨画を完成させると 黒く塗り潰したくなる癖がありました 作品を眺めれば眺めるほど もっと上手く書けた やり直したい こんな作品を描き続ける意味は何もなかった こんなのは売れるはずがない そう思えてくるからです 蠢く感情は画家に黒いペンキを持たせます せめて力任せに塗り潰し感情を発散することで 意味を持たせたかったのです ペンキの入ったバケツが空になった時 僕にはもう描くことは出来ない 筆をそっと置きました とある画家は定職に就く
本を紹介して喜ばれると嬉しい。 前に会社が設けたキャリア研修に参加した。講師が簡単な趣旨などの説明を終えた後、参加者はオンライン会議のシステムで、グループに分けられ、キャリアについて話し合う。あまり好きではなかった。知らない人に本音を話すのは気が引けるし、そもそもこの会社の中の未来の話しかできないから。 幸い、グループのメンバーに恵まれた。 勿論、人それぞれに個性があって、そこに優劣はないのだが、どうしても本音を吐きづらくなるような雰囲気を醸し出す人はいるのではないかと
母から連絡が来た。 春の陽気に唆さられたか いつもより絵文字が多かった。 どうも3年ほどの前から家に住み着いている チビヤモリが顔を出したそうだ。 勝手口裏の空調の隙間からひょっこりと。 今年も無事に越冬出来たようだ。 我が家は勝手にこのチビヤモリを 家族の一員として数えている。 僕は一度しか顔を合わせたことがない。 去年の八月だった。 僕は勝手口の裏に出た。 家の壁にへばりつく小さなヤモリ。 ベージュの壁に同化して見過ごすところだった。 チビと僕の間に
何も考えないこと 昨今のマインドフルネス理論や 瞑想ブームも相まって評価されている。 意外とこれが難しい。 ただ、物思いに耽れそうな場所に 足を運べばいいのではと思う。 逆のようであるが結果的に僕は 何も考えていなかったから。 「お前、何黄昏てんねん。」 人生でたまに言われた言葉だ。 黄昏ているの用法は間違っているとようだが 何、物思いに耽ってるねん。と言いたいのだ。 暇さえあれば、空をぼーっと眺めたり 校庭に降っている雨の雫を見ていたが 残念ながら、僕は何も
僕は深海に頭から沈みゆく時 周りを見渡す余裕があるだろうか きっと身体の重力に身を任せて 憂鬱な気分と共に 目を瞑りながら落ちてゆく 息を止めて もう世界はどうでもいいと 海底に頭をぶつけたとき 僕はどんな顔をするのだろう 海底に首を捻じ曲げられて 不機嫌そうな顔をしながら 目を開けるのだろう そこで僕は見る 海底に続く道と微かに煌る海上を 海を超えた天空だけが 世界の全てではないと知る 僕たちは天空と海底が繋がった 世界に生まれたのだから