父は歌う事が大好きで、お酒も強くないのにカラオケがしたいばかりでスナックに通いつめていた。 カラオケボックス世代の私たちの事をみて、ギャラリーのおらんところでうたって何が楽しいんや!?と言っていた。 確かに夜のお店に行けば、 〇〇さん!素敵な声やし、ええわぁ〜、しびれるわぁ〜。 などと歌う度に誉めてくれるのだから気持ちが良いものだ。 そうやって、父はどんどん自分の歌に酔いしれ、カラオケ大会などに参加して賞をもらったりして 遂には歌手デビューを夢見る事となる。 父
「今に見とれよ!お父さんはなぁ、 一発当てて一棟大っきいビルを買ってやな!! 、、、ナンタラカンタラ、、、」 父はよく、こんな感じでビッグドリームを聞かせてくれた。 現実味があれば楽しい話ではあるが、全く現実味が無いので、家族全員 ノーリアクションで聞き流していたものだ。 父のそんな夢見る少年の様な志は、時に家族の大迷惑となる。 いや、ほぼほぼ大迷惑となる。 父と魔法の箱 「お父さんって本当に人の話聞かんよなぁ!!」 と、私が言うと 父は 「そ
父は晩年不整脈を患っていた。 何度か死にかけたらしく、ペースメーカーを入れる手術を受けた。 術後父はまるで生き帰ったかのような元気を取り戻した。 手術後一ヶ月くらい経った時、夏休みに家族で旅行に出かけることになった。 父旅赤面記❷ 姉が計画してくれた旅行で、家族4人と姉の夫、甥っ子(3歳)を含めた6人で行く事になった。 一度このメンバーで旅行したのだが、父のいびきと寝っ屁のアンサンブルがうるさすぎて父以外全く眠れなかった。 みんなの睡眠を奪った当の本人は、「よう
父と一緒に行った旅行は数少ないが、全てにおいて後にネタとなる出来事がたくさんある。 旅行とは楽しいものだ 思い出はたくさん出来るのは当たり前だが、ネタがたくさん出来るのは父との旅行ならではだろう。 父旅赤面記❶ 私が小学生、姉は大学生の時。 我が家は借金まみれな筈だが、世の中がバブリーだったおかげと、父の友人の計らいで軽井沢の、会員制リゾートホテルに一泊させて頂いた事がある。 エク〇ブという名前の素敵なホテルだったが、ニュアンスだけで名前を覚えた父は行く前からずっ
冒頭から辛辣で申し訳ないが、私の父はエロじじぃだった。 これも、父からしたら 男ならそんなもんやろ!!で済まされる話なので、 娘にそんな言い方されて可哀想と思われるかもしれないが、心配無用だ。 男とはそんなもんかも知れないが、 理性の上で、自分の子供の前ではエロの話はやめておくべきだ。 それも、年頃の娘の前では、、、 丘の上のエロ 父の運転で、遠方に出かけた時だった。 助手席に私。 後部座席に母が乗っていた。 父は大きな声なので、車内中響き渡る声で話して
これまでの父の話をみて、笑っていいのか複雑になる人もいるかもしれない、 遠慮なく存分に笑って頂きたい。 その方が、私は幸せだ。 きっと父もそう思うにに違いない。 父の突拍子のない行動の代表例をご紹介したい。 墓石と父 私は小学3年生くらいだった 家に霊媒師が来て、仏壇の前で父と何やら話をしていた。 どうやら、これから父の周りで不吉な事が起きるらしい。 ご先祖のお墓が崩れかけているから、早く何とかしないと大変な事になると、、、 昭和のミスターポジティブなくせ
ハッピー脳みそ🧠 40を過ぎて、自分の今まで辿ってきた道を振り返ってみる機会があった。 心理学?的なものに触れた瞬間だった。 私も父には負けるが、かなりポジティブな人間だと自負している。 だけど、何故かたまに無性に寂しくなったり、自分の事を嫌いになってしまう時がある。 他人は悪くない。私が悪いのかも。という思考の癖がある。 その癖は母から受け継いでいる。 母は耐える人だ。どんな状況でも耐えてきた。そして時に自分を責める。 そういう部分では父とは真逆な人だ。
父と姉 私は小さい頃から、面白い人に惹かれる。 最近自分の今まで出会ってきた中で影響を受けた人物名を紙に書き出してみた。 その人達の何に惹かれるのか、 尊敬できる部分などを抽出すると、 面白いというワードが出てきた。 面白いにも種類があって、 尊敬に値しないただ面白いのではなく、尊敬に値する面白いの方だ。 テレビでもこの芸人さんって面白いなぁって思う人達は、やはり頭のキレ味が全然違う。 語彙力もあり、発想も豊か。 そんな感じだ。 前置きが長くなったが、
昭和16年生まれ、父と母を亡くし戦後親戚に育てられ、幼い頃から丁稚奉公というものをしていたらしい。 どんな、苦労人生のがあったのか本人から語られる事は全くなかったが、 そんな父が71歳で亡くなるまで、添い遂げた母は相当苦労したのを知っている。 私の父は、ネタの宝庫である。 父の事を表す言葉を並べてみた。 自由人、破天荒、借金大魔王、チンピラ?、ギャンブル好き、酒好き、女好き、、、 平成、令和の時代でにここまでのワードが揃った男と結婚しようとする女はまずいないだろう
自分が変わった。 夫の機嫌をとるのではなく、自分が機嫌良くなる方法を選んだ。 自分が不機嫌だと夫の悪いところしか見えなくなっていた。 自分がしたく無いことはしない。 したいことは、見返りを求めずする。 それだけの単純なこと。 でも、今までできていなかった事。 私が機嫌良く家事と仕事をこなしていると、 夫が変わった 変えるつもりはなかった。 でも、ありがとうって言われる。 自然と感謝され、仲良くなった。 夫の良いところがみえてくる。 あ、この人のこんな
結婚して、7年。 セックスレスの子供無し、 30歳で入籍して、37歳になっていた。 今思えば、子供が欲しいのにセックスレスでよく、7年我慢したと思う。 気がついたら、私はすっかりシタイシタイ女になっていた。 せめて、スキンシップだけでも、、、 愛されている実感が欲しくて試みるも、、、 したくない夫は、それも嫌そうだった 。 シタイシタイという想いが、伝わってくるのが苦痛だったのだろう、、、 朝から晩まで、このシタイシタイ呪いに心が占領されていく 恥ず
離婚を後押しして欲しくて向かった占い🔮は、地元ではかなり当たると評判の占いだった。 占い師さん自身の主観や意見は全く関係なく、私自身の守護神さまがアドバイスしてくれるのだ。 「子供が欲しいのですが、妊活にあまりにも協力的ではない夫と不仲になってしまいました。」 「離婚したいなと、思うのですが、、。」 すると、手のひらに守護神様がメッセージを書いてくださるので手のひらを見せて下さい。と、、、 すると、 「まず、あなたが旦那さんの事を見下し過ぎている。」 ええ、そ
結婚して1年、、、 そろそろ子供が欲しかった。 夫への不満はあるものの、、、 年齢的にもタイムリミットが近づいている。 子供が欲しい。 そして、夫に愛されている実感が欲しかった。 夫は仕事でひどく疲れていて、私を抱こうとしなかった。 誘われることも無ければ、誘っても断られた 誘われるのも嫌なのか、夜な夜な釣りに出かけていった。 断られた夜、酷く傷つき夜中、家を飛び出した。 追いかけてこなかった。 家に帰ると、寝息をたてながら眠っていた その日から寝室を
4月 私たちは 入籍し、 彼は就職。 私の一人暮らしのマンションを出て、私の実家に移り住む事になった。 父が他界し、母も高齢で心配だというのと、 これからたくさんお金もいるだろうから、、、と母からの援助の意味もあった。 夫は快く承諾してくれて、 私は前職場が大好きだったので、片道1時間半の通勤をすることににした。 職場はまさに私の居場所だった。 信頼でき、信頼してくれる同僚たち、 慕ってくれる後輩 指名してくれるお客様も多く、 尊敬できる上司にも恵まれて
って、思わなかったわけではない。 だけど、もう一から恋愛するのもしんどい、、、 結婚はしたいしなぁ、、、。 今の彼と付き合うまで、散々な思いもした。 付き合い始めてすぐに、ドSっぷりを発揮され、嫌になって別れたら性病うつされてたり、、、 ラブラブだと思っていたら、いきなり音信不通になって、共通の知人に聞いたら結婚するって聞いたり、、、 やっと信用できる人に出会えて、順調にお付き合いして、心に平穏を取り戻したのに。 なんだろう、、、このモヤモヤは、、、 その理由
結婚から10年、、、 子供なんて、結婚すればできるって思っていた。 できにくい人がいるのも知っていたけど、自分は何となく、その分類ではないだろう、、、と鷹をくくっていた。 私の事が大好きな彼と30歳で入籍したのはよかったけれど、これがなかなかの波瀾万丈の始まりだった。 彼とは同棲して一年。 彼は言い方は悪いがヒモ状態だった。 同棲前はニート。 なぜそんな人と結婚したのか?というと話が長くなるのだけど、 結婚前のこんなエピソードがある。 結婚適齢期ちょい過ぎで