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ちょっと!お父さん!!⑥
父と一緒に行った旅行は数少ないが、全てにおいて後にネタとなる出来事がたくさんある。
旅行とは楽しいものだ
思い出はたくさん出来るのは当たり前だが、ネタがたくさん出来るのは父との旅行ならではだろう。
父旅赤面記❶
私が小学生、姉は大学生の時。
我が家は借金まみれな筈だが、世の中がバブリーだったおかげと、父の友人の計らいで軽井沢の、会員制リゾートホテルに一泊させて頂いた事がある。
エク〇ブという名前の素敵なホテルだったが、ニュアンスだけで名前を覚えた父は行く前からずっと「マキシムっちゅうとこや!!」と連呼していた。
姉はその度に、「エク〇ブ!! マキシムはコーヒー!!」と突っ込んでいたのを覚えている。
我が家には似つかわしくないゴージャスなホテルに着き、ホテル周辺の観光スポットを回った。
夕食はおフランスのコース料理🇫🇷
私は人生初のフランス料理に心躍らせていた。
テーブルに着くと、素敵なテーブルセッティングがされており、その後出てくるであろうパンの為のバターがお洒落な容器に入って置かれていた。
大人たちはシャンパン🍾なのか、ワインなのかで乾杯🥂
私にはジュース🥤。
お腹を空かせていた私たちは、鴨肉にするのかラム肉にするのか的な質問をされたが、なんでも食べるからとにかく早く始めてくれ!というような感じだった。
ワインを飲みながら父は、テーブルに置かれたバターをおもむろに食べ始めた。
姉「お父さん、これバターやで。」
父「チーズや。」
「チーズはワインに合うでのう!!」
姉「後でパンが出てくるんやって!その時塗るバターやって!!」
父「いや!チーズや!!」
あまりに、父が言い張るので味見してみた。
紛れもなくバターだった。
父はお酒が好きだが、めっぽう弱い。
フランス料理の出てくるペースでは、父の酔いのペースにおいつけなかった。
父はテーブルの上のバターを全て食べ尽くし、
「後は部屋に運んでくれ!!酔いがまわった!!」
と偉そうに部屋へと戻って行った。
残された私たちは、あんな人はじめてやろな、、、とホテルの従業員に申し訳なく思いながら、コース料理を頂いた。
パンが出てきた時にバターのおかわりをしなくてはならないのが、心の底から恥ずかしかった。
部屋に戻ると、父はテレビを見ながら一人寛ぎながらコース料理を食べていた。
バターをおかわりする恥ずかしさは、家族に押しつけて。
この思い出がインパクトありすぎて、軽井沢でどんな観光をしたのか全く思い出せない。
それから、時が過ぎ、、、
父と家族で出かけたのは私が大人になり、東京で姉と二人で暮らしていた時だ。
実家の両親を東京に呼んでディズニーランドに行くことになつた。
母は人混みが嫌いで遠出も嫌う。あと、父と出かけるのも気乗りしない。
でも、せっかく2人の娘が呼んでくれているのだから、、、と面倒な父を連れて来てくれた。
父は出かけるのが好きなので、凄く楽しみにしていた。
そんな父は東京に来る直前 足を怪我した。
父はいつでも大袈裟にモノを言うので、どうかわからないが、ヒビでも入っているような感じだった。
中止を打診したが、父は断固として来ると言い張った。そんな足でディズニーランドに行くという。
杖をついて新幹線に乗り、ディズニーランドでは車椅子でも借りればええ!!と強情に言い張るので、こうなると止められないのを知っている私たちは心配しながらも一緒に行くことになった。
父も母も初めてのディズニーランド。
私や姉は何度か行っていたのできっと私たちのガイドで行くのだろうと思っていた。
が、御一行の先頭に立ったのは杖をついた父だった。
車椅子を借りるどころか、俺について来いと言わんばかりにゲートをくぐり、
誰よりも先にカツカツと杖をつきながら何かに突き動かされるかのように歩いて行った。
何故か父を最初に誘惑したのはハニーハントの前のクマのプーさんのお土産屋さんだった。
私達は父のスピードについて行けず少し後を歩いていたので、立ち止まって様子を見ていた。
私「お母さん、、、お父さんいきなりお土産屋さん入ってったで。」
母「なんか、面白そうなもんあるって思ったんやろな、、、。」
姉「お父さん!!そこ、お土産屋さん!!」
お土産屋さんの中でこちらを振り返り、待っていた。
誰も着いてこないので、不思議そうにしていた父も 諦めて出てきた。
クマの耳でもつけるつもりだったのだろうか?
初っ端から浮かれすぎて空回っているのが印象的だ。
乗り物もそこそこにパレードを見たりして楽しんでいた。
父がその頃持っていたガラケーで必死に撮っていたのは、ヒラヒラのスカートをなびかせたスタイルのいい長い足をしたダンサーのお姉さんの写真ばかりだった。
パンチラ写真みたいな角度でそれはそれは嬉しそうに鼻を伸ばして撮っていた。
私「お父さん、ここの主役ネズミやで。」
父はその後、更にパワーアップしてパレードの場所から移動する際、杖を持っていなかった。
足が痛くないのだ。
恐るべし夢の国パワー!!
シンデレラ城に行きたいと言っていたのにあそこには別に何もないから、と言ってスルーしてしまっていた。
私はそれを後悔している。
帰りの電車の中、車内中に響き渡る大きな声で
シンデレラ城を指差して、
「しもた!!
あそこに行くの忘れとったやないか!!」
と、子供の様に悔しがっていた。
あの頃は別になんも無いよ、シンデレラ城は、、、子供向けのアトラクションやし、あとは、お土産屋さんやで。と父をなだめていたが
あんなに悔しがるくらいなら連れて行ってあげれば良かったと今は思う。
ディズニーランドの思い出は父との珍道中の思い出として今でも鮮明に思い出せる。
この頃くらいから、(20歳くらい)私は父を面白がって観察できるようになった。
なかなか、身内のことは面白がれないものだ。でも、私には母や姉という同じ感性で同じ父という人物を家族に持つ同志がいたので、一緒に笑っていられた事が幸せだ。