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ちょっと!お父さん!!①
昭和16年生まれ、父と母を亡くし戦後親戚に育てられ、幼い頃から丁稚奉公というものをしていたらしい。
どんな、苦労人生のがあったのか本人から語られる事は全くなかったが、
そんな父が71歳で亡くなるまで、添い遂げた母は相当苦労したのを知っている。
私の父は、ネタの宝庫である。
父の事を表す言葉を並べてみた。
自由人、破天荒、借金大魔王、チンピラ?、ギャンブル好き、酒好き、女好き、、、
平成、令和の時代でにここまでのワードが揃った男と結婚しようとする女はまずいないだろう。
昭和という時代は、恐ろしい時代だ。
父のエピソードは数え切れないほどあるが、私の記憶に残る一番の事件は間違いなくあれだ。
真夏の オープン ザ ハウス
私が生まれる頃、食品会社を経営していたらしい。
バブルが弾けるちょい前くらいに、会社が倒産した。
私が小学2年生になる頃多額の借金の、肩代わりに家を追われた。
慣れ親しんだ家を離れる寂しさみたいなものは全くなく、私は新しく住む家だったり、新しい出会いにワクワクしていた。
大人の事情は知るも知らぬも、まだ幼かった自分にはノーダメージである。親が行くところに行くまでの話だ。
新しく住む家には、在日韓国人のおじさんが住んでいた。
とても優しい叔父さんで、良くしてくれた。
おじさんは2階に住んでいて、気がついたら2人くらい韓国人の女性も一緒に住んでいた。
みんな私の事を可愛がってくれるし、特に不満もなく、一つ屋根の下に住んでいた。
新しい家は、割と立派な家だった。
なぜ、そんな家に住めたのかは謎だが父には指の1.2本ないお友達が何人かいたので助けてもらったのかもしれない。
そんなある日、ノーテンキな私にも衝撃の走る事件が起きた。
鍵っ子だった私は鍵を握りしめて玄関の前に立ち尽くした。
玄関のドアが無い
開いているのではない。
玄関の扉ごと無いのだ。
オープン ザ ハウス!!
中に誰もいないか確かめつつ、恐る恐る家の中に入る。
誰もいない。
とりあえず、母に連絡。
父のポケベル鳴らすもコールバック無し。
家にいるのも怖いので、近くの公園で母の帰りを待った。
母 曰く、借金取りの嫌がらせらしい。
父が帰ってきた時の一言が忘れられない。
父は笑ってこう言った。
「夏でよかったのぉ!!冬やったら寒てしゃーない(しょうがない)!!」
もう、どこから突っ込んでいいのかわからないが、昭和のミスターポジティブである。あっぱれだ。
その後も借金にまつわる話はいくつかあるが、笑って話せるのはこれと後、一つくらいかな。
私が笑って話せても借した方はたまったもんじゃないだろう。
私には面白い姉がいる。
その姉と父のやりとりもなかなかネタなので、次はそれにしようと思う。