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田中友香里
2022年1月30日 18:19
「呪いは、耳と目から入り、口から出ることで強力になる。」とアニメで言っていました。意識せずとも、目に入り耳に入るものに人は影響を受け、影響を受けていることに気づかず、思いも考えも変わります。そして言葉になることで、それが自分になり、形になっていきます。この世界は呪いに満ちていて、私たちは呪われていると言えなくもないということです。ぼーっとしていると、部屋の中が網目で充満しているのが見え、すべて
2022年1月27日 17:24
5法王は、天上の秩序を地上に持ち込みますが、地に落ちる危険性はあっても、地に落ちることはありません。地に落ちるのは6恋人です。法王は自分自身を疑うことがなく、根拠のない自信があります。つまり地に落ちると、自分自身が欠けたようになり、劣等感やコンプレックスを抱き、自信を持つことに根拠が必要になります。そういう意味で、法王をきちんとやりきること、法王を身に着けていることは、その後の展開において、非常に
2022年1月24日 17:03
エーテル体に主体が移っていき、エーテル体が本体で、こっちに自分があることを実感していくと、肉体や物質界はおまけのような、端っこにちょっとぶら下がっているもののように感じます。自分というのは、どこにもいないけれど、「ここにある」という実感です。どこにも何にも依存しない、寄りかからない、つまり何かに自己同一化しない状態というのは、天にも昇るような快適さがあります。この状態になってはじめて、意志を持
2022年1月21日 17:12
よしもとばななの「アムリタ」を読むと、お腹がすきます。心地よい空腹感に襲われます。オレンジ色を口いっぱいに含むような、お腹が夕日で満たされるような感じがして、いっぱいなのに空腹です。夕暮れに七つの子が聞こえてきて、家に急いで帰るような空腹感。アムリタとは甘露のことで、不死を与える飲み物のことです。不死とは永遠に生き続けることで、つまり肉体が終わっても生き続け、エーテル体に自我があるということで
2022年1月17日 17:22
親子関係の色々をすっ飛ばして、恒星に回帰するのは難しいです。この世界における天と地である実際の父と母は、今の自分を作り上げています。実際の父と母の世界から出ていないということであり、自分の中の父と母に拘束されているということでもあります。恒星に回帰しよう、全惑星意識を獲得しようと、「いい感じで来たぞー」と思っても、何かに足を引っ張られるように、何度も同じように飛べずに元に戻るなら、まずは両親につい
2022年1月14日 17:14
※2021年11月24日にサークルに投稿した内容です。今日の夢では、突然結婚を申し込まれ指輪を渡されました。どうしようかなぁと思っていると、ガイドが「他にもいます。」と言い出し、どうやら結婚しようという人が他にもう1人いるらしい。そのとき私が考えていたのは、「私には父がいる。そういえば旦那もいる。一人に選ばなければいけないのだろうか。全員結婚できないのだろうか。」と。20審判のカードは任意
2022年1月9日 17:06
夢の意味を知ろうとすることは、自分を知ろうとすることです。自分で気づいていない自分を知るために、夢を解釈しようとするのですから、本心、本音を知ったとき、予想通りで快適だとは限りません。「そんなこと感じてるのかー」とガッカリしたりビックリするものだと思っていた方がよいです。夢の体験はエーテル体の体験で、エーテル体は肉体に対して影で、闇で悪なのだから。肉体を持った自分を自分だと思って生きているなら
2022年1月6日 17:38
「精神と物質を繋ごう、エーテル体と肉体を結びつけよう」と言っていますが、この二つをごちゃまぜにしてはいけません。この二つが別々に働いていることに気がつくことは、実は大切なことです。エーテル体の私というのは、まったく別の私として独立しています。そうでないとこの世界に存在できません。夢の私、エーテル体の私は、勝手に何か進めているもので、起きてから「ああ、こんなことをしてるんだな」と考える私は、物質
2022年1月3日 17:49
この世界は薄められた世界なので、窮屈で苦しいというよりも、実は「何もない」世界です。何もないから、何も持っていないから、何かを追い求めて走り続けます。これは起きているときの物質界のことです。反対側にあるエーテル体には、反対にすべてがあります。すべての実感がエーテル体にあります。エーテル体は感情体とも言うので、すべての実感が感情体にあるということになります。つまり体験というのは感情体験のことを言
2022年1月1日 17:56
恒星に回帰すると、当たり前のことですが、もう誰のせいにも、何かのせいにもできなくなります。地上で生きることの窮屈さは実感しやすいものですが、地上で生きることの気楽さには、案外無自覚なものです。会社や組織で働いていれば、最終的な責任を負うのは経営者です。「何かあれば、辞めてしまえばいいだけ」と考えられなくもないし、「夫が、妻が、親がこんなんだから、私は自由ではない」と言ってしまえば、自分は何もし