「何もない」世界で生きるには
この世界は薄められた世界なので、窮屈で苦しいというよりも、実は「何もない」世界です。何もないから、何も持っていないから、何かを追い求めて走り続けます。これは起きているときの物質界のことです。反対側にあるエーテル体には、反対にすべてがあります。すべての実感がエーテル体にあります。
エーテル体は感情体とも言うので、すべての実感が感情体にあるということになります。つまり体験というのは感情体験のことを言います。物質の側に、目に見える実際的で具体的な出来事には何もありません。一つの出来事にこだわる理由というのは、感情の側にあり、エーテル体の側にあります。ということで、物質界には「何もない」わけです。
どんな物事に対しても、全身全霊で飛び込む姿勢があれば、エーテル体の側に生きることができます。意味を見出すことができます。関わりすぎないように、表面をすくうように生きるなら、物質だけを見て生きることになります。これは物質にしがみついて生きる姿勢でもあります。
夢に馴染み、夢を通してエーテル体に主体が移っていくと、当たり前ですが、物質から解放されます。「物質界には何もないなー」「退屈だなー」となります。となると、自らが創造行為に生きるほかなくなります。生み出し続けることでのみ、息をすることができます。新鮮な知識も知恵もエーテル体にあり、目に見える、手に取ることのできる知識も知恵も、すでに形骸化したものです。寝ているときに得られる知恵は新鮮で刺激的です。それを起きている世界に持ち込み、また寝て、また起きるの繰り返しは、創造行為そのものです。