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瞬間、瞬間、瞬間
昨年の秋ごろまで働いていた会社の同僚ふたりと、春が来たら会おうね、それまではそれぞれにがんばろうねと約束していた。
朝は選挙へ行くので昼からでもいい?と連絡を入れてすぐに、ふたりのうちのひとりAは海外から日本へ来ているので参政権がないのだということに思い至り、落ち込む。ぽろっと発した言葉がもしかしたら誰かへの暴力になっているかもしれないと、いつも気をつけているつもりなのに、やってしまう。
そんなことをひとり考えてもんもんしながらふたりと合流し、会った瞬間にわたしの名前を呼びながら抱きついてくるAによって気持ちは勝手に救われ、考えすぎるのはやめようと思う。
久しぶりに会ったふたりとの距離は何ひとつ変わることなく、気を使わない気楽な関係は会えない間も継続されているようだった。名目は鴨川の河川敷でピクニック。居る場所が変わってもまた会いたいと思える、思ってもらえる関係に知らぬ間になっていたことが嬉しい。
それぞれに好きなものを把握しているので、しばらく話した後は自然な流れで「本読むでしょ?写真撮ってきていい?」と言われ、そこからは自由時間となり、京都で読みたいと持ってきていたyoyoさんの日記『今日は思い出す日』を開く。
写真を撮ったり散策するふたりの姿が本を読むわたしの視界にも時々ちらちらと入る。ゆっくり歩いて静かに立ち止まりカメラを構える写真好きのY、ぱたぱたと駆け回ったりしゃがんだり、背中から好奇心が見えるA。わたしはじっと動かず、視線だけは本と景色を行ったり来たりする。風が心地よい。
Aが嬉しそうに駆け寄ってきて、大きな四つ葉のクローバーを手に、撮って!撮って!とせがむ。わたしにはない彼女の無邪気さは今日も心地よくて、ときどきとても羨ましい。
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ふいと空を仰ぐと雲は風に流されて、見るたびに形が変わっていく。移ろう景色の中で本を読むと、自分に響く言葉の意味が微妙に変わってくる気がする。本は、本そのものの内容だけじゃない、読む場所や気持ちに大きく左右されるから。本との接し方は無数にあって、だからおもしろい。
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心地よかった風は夕方が近づくとだんだん冷えて強くなり、びゅんびゅんと髪を乱すので、風を遮るつもりでベンチの前に座り込み、ベンチに背中を預けると、石造りの地面は昼間の熱をためてあたたかく、木のベンチも同じようにあたたかい。ああ、あたたかい。もうすこしここで本が読めそうだと安堵する。
yoyoさんの日記は、しんと静かな暗闇の中で小さなひかりがぽぅと揺れているよう。あたりまえの日々の中で思い出されるとりとめもないこと、その瞬間、瞬間の愛おしさ、吹けば消えてしまうような小さなひかりを両手で消えないように大切に包み込んでいるような、そんな読み心地だった。
きっと元気がないときにこの日記は寄り添ってくれるという予感がする。
ときどき自分の見えているもの考えていることは偏っていて、何も分かっていないのではないかと、何をするにつけても不安で無気力になることがある。偏っていない考え方などないし、自分が正しいと思うことが正しさではないかと思うけれども、心が受けつけない。自分ばかりが正しいわけではない。
こういうとき、誰かの日記を読みたいと思う。そこには迷いやためらいがあるから。私が抱えている不安もこういうものなのだと思えば、もう少しここにいても構わないかと思える。
Aが「これ!石チョコみたい!」と拾った石を見せてくれるので、それはほら石チョコが石に似てるんやろと、あははと笑い、岸政彦さんの『断片的なものの社会学』に書かれていた、そのへんに無数にある石は、拾った瞬間「この石」に変わるという話を思い出し、彼女にその話をする。
今目の前にいる彼女も、無数の人の中からこうして話す関係になったとき、はじめて「あなた」になり、気づけばこんな風になんでもない時間を一緒に過ごしている。ふしぎで取り止めもなく、それでいてとてつもない奇跡のようなこと。
Yは、鳶に持っていかれたチョコたっぷりのチョココルネの話をして「今ごろあの鳶、口まわりチョコだらけやん」と笑ったり、鳩の着地を見て「脚、降りる時は両足揃えてぴんてしてるのかわいい」と言う。わたしは鳶の嘴も鳩の脚も苦手だったけど、チョコだらけの鳶の嘴はきっと笑えるし、鳩の着地するときの脚はかわいくてすきになる。「これは木香薔薇、これは雪柳」と、花の名前を教えてくれる。
なんでもないような瞬間、瞬間。この先何度も思い出される瞬間。今日はその積み重ねが愛おしいと思える日。
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