note200日続けることができました
私は昨日書いた記事にて
noteを毎日投稿初めて200日達成することができました。
本日は私がnoteを書くことに対する思いについて
書きたいと思います。
事前情報
以前私はnoteのつづけ方として
『noteのつづけ方を経験から書く』という記事を書き
大変好評をいただきました。
私がnoteをなぜ書いているのか
noteをなぜ書きつづけられるのか
今後どうしていきたいのか
が書いてあります。
「noteを書いてみよう」と思っても
なかなか先に進めない人
三日坊主で終わってしまう人
そんな人にはぜひおすすめしたい記事です。
一言でまとめると
「毎日書いた実績が自分の自信になる」
と書いてあります。
10日間記事を書いた人よりも
100日間記事を書いた人の方が説得力があるからです。
経験をどのように捉えるのか
私にとっての不変の事実は
日々着実に記事の数が増えていることです。
5月5日に初めて
昨日で200日連続投稿となりました。
私は200日間noteを書きつづけたという経験を持っています。
果たしてみなさんは
200日つづけたことを
「すごい」と思うのでしょうか
「たいしたことない」と思うのでしょうか
この捉え方は人それぞれだと思います。
例えば、
「私は毎日書くことなんてできない」
と思う方からすればとてもすごいことのように感じます。
対して
「毎日ただ書いているだけでしょ?利益いくら出たの?」
と思う人もいるかもしれません。
私はこの捉え方の違いによって大きな差があると思います。
過去は変えられる
私は今まで、変えられるものは「今」
「今」の積み重ねが「未来」
つまり「今」を変えない限り「未来」は変えられない
と信じていました。
そして過ぎ去った過去は
絶対変えられないものだと信じていました。
しかし私が先日読んだ本に
「過去は変えられる」と書いてありました。
それは今月映画化もされた有名な作品
平野啓一郎著『マチネの終わりに』に書いてありました。
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
『マチネの終わりに』P.33より
私はこの言葉に衝撃を受けました。
今まで考えていたことがひっくり返りました。
驚天動地という言葉がぴったりでした。
私が過去に行った出来事をどのように捉えるのかによって
過去は変わってくるのです。
noteを毎日書いていたことを
「結果が出なかったただの時間の無駄」と考えるのか
「毎日とてもよい経験ができ、今後のためになった」と考えるのか
どのように思うかだけで、
私が書いた200日の時間・努力・思考が
どのような評価がされるのかが決まります。
これは仕事にも言えます。
過酷な労働時間を強制され
日々疲れ果てて帰路につき
何を目標に生きていたのか
わからないような環境から転職をしたとします。
転職した先で
「あの会社は本当に無意味だった」と思うのか
「あの会社ではこんな勉強ができた」と思うのか
その考え方ひとつで過去は変わるのです。
ちなみに私は読書も続けていますが、
私の周りにいる人たちの多くは
「読書なんて時間の無駄」
「そんな暇あったら仕事しろ」と言ってきますが、
これも「読書」ということに対して
どのように評価をするのかによって異なります。
ちなみに私はもちろん
読書には賛成です。
読書しなければ先程の言葉には出会えませんでした。
今後のこと
130日書き続けた際にも書きましたが、
私はまだまだ書きつづける予定です。
もちろん私が今まで書いていきたものは
無駄だとは思っていませんが、
私が書いていきたものがいつの日か
書いていてよかったと心の底から思えるまで、
そして1年後に
「私は1年間書きつづけました」と
胸を張って書けるように。
その頃にはもっと自分の好きな
「書く」ということを別の媒体で
表現しているのかもしれません。
また、明日ももちろん書きます。
Taku
最後まで読んでくださりありがとうございます。皆様からのお気持ちが私の励みになります。