滝ノ家

茨城県在住。コロナ下で始めた博物館・資料館巡りで縄文土器の魅力に捉われました。あとは古墳系を少々。県内では常陸大宮市の滝ノ上遺跡の縄文土器が一番好きで、ペンネームはそこから頂きました。本ページでは主に気になった土器、ちょっと変わった土器などをご紹介できればと思います。

滝ノ家

茨城県在住。コロナ下で始めた博物館・資料館巡りで縄文土器の魅力に捉われました。あとは古墳系を少々。県内では常陸大宮市の滝ノ上遺跡の縄文土器が一番好きで、ペンネームはそこから頂きました。本ページでは主に気になった土器、ちょっと変わった土器などをご紹介できればと思います。

マガジン

  • まわる土器・まわらない土器

    縄文土器を「まわる」「まわらない」という観点で分類してみました。意外に見つかる「まわる土器」を紹介してゆきます。

  • 大木式土器の変貌

    大木式土器は縄文時代前期~中期の東北地方南部を代表する土器です。各地の博物館・資料館を巡って、時代ごと、地域ごとの特徴の変化をまとめてみました。

最近の記事

大木式土器の変貌(4) 縄文前期の大木式

関東に住む筆者にとって、縄文時代前期の大木式土器は遠い存在でした。 縄文中期の大木8a式や8b式土器、大木系の七郎内Ⅱ群土器などは北関東でも良く見かけるのですが、前期の大木式、特に大木1~5式となるとほとんど見る機会がありません。かろうじて、茨城県のひたちなか市埋蔵文化財調査センターで展示されていた、大木4~6式の破片と大木4式の深鉢を見たことがある程度でした。 先日、宮城県七ヶ浜町の七ヶ浜町歴史資料館、同多賀城市の東北歴史博物館、福島県南相馬市の南相馬市博物館をはしごして

    • 伊勢崎市の縄文 「ヒミツの縄文土器☆大集合」より

      群馬県伊勢崎市にある伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館の企画展「ヒミツの縄文土器☆大集合-伊勢崎の縄文時代のすべて-」(2024.10.11~12.22)に行ったところ、予想をはるかに超える規模と内容だったため、写真を中心に速報したいと思います。 伊勢崎市は群馬県の南部、前橋市の南東に位置します。考古学の分野ではむしろ古墳や埴輪で有名です。東京国立博物館で現在開かれている、「挂甲の武人 国宝指定50周年記念特別展 はにわ」にも、赤堀茶臼山古墳の家形埴輪など14点の伊勢崎市出土の埴輪

      • 縄文の編みかご(クルミ入り) 南相馬市博物館企画展「縄文みなみそうま」より

        3000年前の縄文人が一所懸命拾い集めた大粒のオニグルミがぎっしり詰まった竹の編みかご。 福島県南相馬市の南相馬市博物館で開催された、「浦尻貝塚縄文の丘公園オープン記念企画展 縄文みなみそうま」に展示されていました。南相馬市の鷺内遺跡から2017~2018年の調査で発見されました。河川の跡に近い、水が溜まりやすい土坑で、水に漬かった状態だったため編みかごもクルミも3000年のあいだ腐らずに残ったそうです。 説明パネルの写真のように、発見された時はかごもクルミもつやつやの状

        • 続々 まわる土器・まわらない土器  縄文後期の土器も意外にまわる編

          2024年5月に「まわる土器・まわらない土器」、6月に「続 まわる土器・まわらない土器  浅間縄文ミュージアム編」と題した記事を投稿しました。その後またいろいろな土器に出会って認識を改めた点がありましたので、さらに記事を追加したいと思います。 これまでの概要5月の記事では、縄文土器を「まわる・まわらない」という観点で分類しました。「まわる土器」とは、真上から見た形が、図1(上)のように一定の角度回転させると元の形と重なり合うけれども、鏡合わせの形とは重ならない土器です。「ま

        • 大木式土器の変貌(4) 縄文前期の大木式

        • 伊勢崎市の縄文 「ヒミツの縄文土器☆大集合」より

        • 縄文の編みかご(クルミ入り) 南相馬市博物館企画展「縄文みなみそうま」より

        • 続々 まわる土器・まわらない土器  縄文後期の土器も意外にまわる編

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        • まわる土器・まわらない土器
          3本
        • 大木式土器の変貌
          4本

        記事

          大木式土器の変貌(3)【縄文DX ー会津・法正尻遺跡と交流の千年紀ー】後編

          前回に引き続き、福島県立博物館の企画展「縄文DXー 会津・法正尻遺跡と交流の千年紀 ー」(2024/7/6~9/1)に出展された大木式土器を観察します。 福島県福島市のじょーもぴあ宮畑のパネル解説と、調査報告書「法正尻遺跡」[1]を参照しながら、法正尻遺跡の大木式土器が持つ特徴に注目します。前編では大木6式から大木7b式までの土器を扱いましたが、今回は大木式土器の最盛期である大木8a式とそれ以降の土器を取り上げます。また大木8a式期に盛んに作られた火炎系土器や、会津と新潟の

          大木式土器の変貌(3)【縄文DX ー会津・法正尻遺跡と交流の千年紀ー】後編

          大木式土器の変貌(2)【縄文DX ー会津・法正尻遺跡と交流の千年紀ー】前編

          前回は、大木式土器の大木7a式から大木10式までの変遷について、福島県福島市のじょーもぴあ宮畑で開かれた企画展のパネル解説をご紹介しました。 今回は応用編として、この解説を参考にしながら、福島県立博物館の企画展「縄文DXー 会津・法正尻遺跡と交流の千年紀 ー」(2024/7/6~9/1)に出展された大木式土器を観察します。法正尻遺跡は猪苗代湖の北西、福島県猪苗代町と磐梯町の境目にあった、縄文時代前期末から中期末の大規模な集落跡です。「縄文DX」は法正尻遺跡だけでなく様々な遺

          大木式土器の変貌(2)【縄文DX ー会津・法正尻遺跡と交流の千年紀ー】前編

          ボテロの注口土器(松戸市立博物館企画展「異形土器 縄文時代の不思議なうつわ」より)

          ずんぐりと大きな本体に、明らかに不相応なちんまりした注ぎ口。上半分は蓋のように見えて蓋ではなく、てっぺんにやはり不相応に小さな口がちょこんと開いています。美しい仕上げと対照的なアンバランスさに思わず笑ってしまいました。 これは岩手県軽米町の長倉Ⅰ遺跡から出土した、縄文時代後期、約3500年前の注口土器です。松戸市立博物館の企画展「異形土器 縄文時代の不思議なうつわ」で見てきたばかりのところでした。 昨年亡くなったコロンビアの画家・彫刻家フェルナンド・ボテロは、ふくよかな体

          ボテロの注口土器(松戸市立博物館企画展「異形土器 縄文時代の不思議なうつわ」より)

          大木式土器の変貌(1)【縄文土器の精華~縄文時代中期の土器】より

          縄文時代に、東北地方南部を中心に分布した大木式土器は、縄文時代前期から中期までの長い期間をカバーする土器型式です。関東地方では諸磯式、十三菩提式、五領ヶ台式、阿玉台式/勝坂式、加曽利E式と時期ごとに分かれた多くの土器型式に対応するのが、東北南部ではまとめて大木式です。 大木式は大木1式から大木10式まで、細分を含めると13段階に分かれています。時代によって変化する様々な土器が含まれるのですが、名前がみんな「大木」なので、特徴がなかなか覚えられないという個人的な悩みがありまし

          大木式土器の変貌(1)【縄文土器の精華~縄文時代中期の土器】より

          火焔土器の時代の新潟の、火焔型ではない縄文土器

          口縁にそびえる立体的な突起や、器面を飾る隆帯の文様が見事な火焔型土器は、新潟のみならず全国の縄文土器の代表選手として、縄文時代にあまり関心がない人にも広く知られています。新潟県十日町市笹山遺跡から出土した「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」は、1999年に縄文土器としては唯一の国宝に指定されました(のちに長野県茅野市の国宝土偶「仮面の女神」と一括で国宝指定された土器を除く)。 一方、火焔型土器とその兄弟分である王冠型土器は、その最盛期であっても、住居跡から出土する土器のうちの1

          火焔土器の時代の新潟の、火焔型ではない縄文土器

          ブラジャー土器と呼ばれた縄文土器 ー 縄文時代中期埼玉の複弧文類型

          いつだったか、だいぶ前に埼玉の資料館で学芸員の方から、「ブラジャー土器」という縄文土器があると教えて貰いました。昨今はそういうネーミングは差し支えがあるんでしょうけど、と。最近ふと思い出して全国遺跡報告総覧で検索してみると、確かにブラジャー土器(以下ではBJ土器と略)という言葉が出てくる発掘調査報告書が見つかりました。 こうして見ると、学術用語に準ずる通称くらいの感じだったことが分かります。文献[1]が1985年、文献[2]が2014年なので、10年ほど前までは普通に使われ

          ブラジャー土器と呼ばれた縄文土器 ー 縄文時代中期埼玉の複弧文類型

          安曇野市穂高郷土資料館の広耳把手付土器(ひろみみとってつきどき)

          長野県安曇野市は、北アルプス連峰を西側に望む松本盆地のやや北寄りに位置します。安曇野市穂高郷土資料館は、穂高地区の市街地から穂高温泉郷に向けて少し登ったところにあります。 元は旧穂高町の郷土資料館だったようですが、平成の大合併で近隣5町村が合併して安曇野市になったおかげで、旧明科町などの遺跡からの出土品もまとめて見られます。 安曇野市穂高郷土資料館には長野県宝「信州の特色ある縄文土器」が3点展示されています。平成30年に一括して長野県宝に指定された長野県内の縄文土器158

          安曇野市穂高郷土資料館の広耳把手付土器(ひろみみとってつきどき)

          なれの果ての縄文土器たち

          縄文土器に関する論文を読んでいたら、「なれの果て」という、学術論文にはあまり似つかわしくない言葉が何度も現れて、吹き出しそうになったことがあります。別にふざけた論文ではなくて、山形真理子氏の「曽利式土器の研究 ― 内的展開と外的交渉の歴史 ―」[1][2]という、いたって真面目な論文です。論旨が明快で大変読みやすく、また随所で「私はこう考える」と自分の立場をすぱっと明らかにしては、それを論証してゆく姿勢が小気味よくて気に入っています。 まだ勝坂式土器と曽利式土器の違いも良く

          なれの果ての縄文土器たち

          続 まわる土器・まわらない土器  浅間縄文ミュージアム編

          2024年5月に「まわる土器・まわらない土器」と題したnote記事を投稿しました。最近、長野県御代田町の浅間縄文ミュージアムなど、長野県内の博物館・資料館の縄文土器を見て歩いているうちに、新たに気づいたことがいくつかありましたので、記事を追加したいと思います。 前回の記事の概要前回は縄文土器のデザインの指向を、「まわる・まわらない」という基準で分類してみました。「まわる土器」というのは、真上から見た形が、下図(上)のように一定の角度回転させると元の形と重なり合うけれども、鏡

          続 まわる土器・まわらない土器  浅間縄文ミュージアム編

          鉾田市の縄文 ― 吉十北遺跡の縄文土器 ―

          茨城県鉾田市の生涯学習館「とくしゅくの杜」に、吉十北遺跡の縄文土器を見に行きました。鉾田市は茨城県南東の鹿行地域にあり、鹿島灘に面しています。メロンの名産地として知られていて、生涯学習館のすぐ近くにもJAほこたの農産物直売所「なだろう」があります。 数年前、関東考古学フェア・スタンプラリーのカレンダーに吉十北遺跡の土器が載ったことがあります。関東6都県の博物館や資料館を回ってスタンプを集めると、出土品の写真が載った考古学カレンダーが貰えるというものです。吉十北遺跡の写真は、良

          鉾田市の縄文 ― 吉十北遺跡の縄文土器 ―

          まわる土器・まわらない土器

          縄文土器には、まわる土器とまわらない土器がある。少し前からそんなことを考えています。 「まわる」「まわらない」の定義どういう土器が「まわる」のか、どういう土器が「まわらない」のか。まず、そこを説明したいと思います。私が考える「まわる」土器とは、簡単に言えば、真上から見た平面図が下のようになる土器です。 これらは、次の条件を満たします。 左右非対称の、複数の突起(把手)をもつ (360°未満の)ある角度だけ回転させると元の形と重なる 鏡写しの図形とはどんな角度回転させ

          まわる土器・まわらない土器

          諏訪遺跡の「スワタイプ」縄文土器 ー 日立市郷土博物館の収蔵資料展「日立のここにもあそこにも遺跡あります」から

          日立市郷土博物館の収蔵資料展「日立のここにもあそこにも遺跡あります-日立市内遺跡調査成果展-」(2024.3.23~5.12)を見に行きました。 諏訪遺跡の縄文土器35点が、日立市指定文化財30周年を記念して展示されていました。指定文化財の土器全てがずらりと並んださまは圧巻でした。この記事では、鈴木裕芳氏の論文「諏訪遺跡出土土器群の再検討」(文献[1])に基づいて、展示された土器に解説を加えてみたいと思います。 スワタイプと七郎内Ⅱ群土器東北の大木式土器の系統に七郎内Ⅱ群

          諏訪遺跡の「スワタイプ」縄文土器 ー 日立市郷土博物館の収蔵資料展「日立のここにもあそこにも遺跡あります」から