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続 まわる土器・まわらない土器  浅間縄文ミュージアム編

2024年5月に「まわる土器・まわらない土器」と題したnote記事を投稿しました。最近、長野県御代田町の浅間縄文ミュージアムなど、長野県内の博物館・資料館の縄文土器を見て歩いているうちに、新たに気づいたことがいくつかありましたので、記事を追加したいと思います。

前回の記事の概要

前回は縄文土器のデザインの指向を、「まわる・まわらない」という基準で分類してみました。「まわる土器」というのは、真上から見た形が、下図(上)のように一定の角度回転させると元の形と重なり合うけれども、鏡合わせの形とは重ならない土器です。「まわらない土器」には2種類あります。タイプAは、下図(中)のように、完全に1回転させないと元の形には重ならない土器です。タイプBは、下図(下)のように、重なり合う回転角度があるけれども、裏返しの形とも重なる土器です。

「まわる土器」「まわらない土器」の模式図

「まわる土器」が見られるのは、縄文時代中期の短い間に限られています。新潟の火焔型土器は代表的な「まわる土器」です。

火焔型土器(十日町市 笹山遺跡)

縄文中期前葉の「まわる土器」

前回の記事では、「まわる土器」は主に縄文時代中期中葉~後葉のもので、それより以前の五領ヶ台式土器などの時代には、「まわる土器」は見られないと書きました。五領ヶ台式期の土器は、それに続く勝坂式などと比べて見た目が地味なものが多く、正直な話テンションが上がらないため、実はあまり注意深く見たことがありませんでした。また資料館などでも展示自体が少なく、実物を目にする機会も割合に少なかったのです。

今回、浅間縄文ミュージアムに展示されていた縄文中期前葉の土器に、「まわる土器」らしきものを見つけ、認識を改めて少し調べてみることにしました。

浅間縄文ミュージアムは御代田町の川原田遺跡から出土した焼町土器で有名です。国の重要文化財に一括指定された土器群が、立派な特別室に凝った照明で展示されています。

重要文化財特別展示室

今回取り上げる土器は、常設展示室ではなく廊下の壁に埋め込まれたガラスケースに、ひっそりと展示されていました。川原田遺跡ではなく、その近くの滝沢遺跡で出土した縄文中期前葉の土器だそうです。

滝沢遺跡の土器(J-12号住居跡 No.156)

口縁に突起が4つあります。突起の左側はなだらかな傾斜で緩く立ち上がり、頂部から落ち込むとまた次の突起へと立ち上がります。つまり90°回転させると元の形と重なります。しかし突起は左右非対称ですので、裏返しの形とは重ならず、「まわる土器」になっています。

「御代田町埋蔵文化財発掘調査報告書23:滝沢遺跡」[1]ではこの土器(No.156)について次のように述べています。

東北地域などの影響を受けた土器: 口縁部文様帯に輪にならない円形の突起がつく点。突起間をつなぐ波状沈線や長軸が長い楕円形区画文、など個々の要素は東北地域の大木式土器に求めることが可能である。(中略)この土器は大木式土器の装飾が東北地域から本地域に伝わってくる間に、中間地域の装飾要素を取り込みながら変化してきたものと言えよう。(456ページ)

文献[1]より

また文献[1]を読むと、この土器と同じJ-12住居跡から、別の「まわる土器」が見つかっていることが分かりました。多少前後はありますが、どちらも五領ヶ台式期の縄文中期前葉の土器です。

滝沢遺跡の土器(J-12号住居跡 No.164 引用:文献[1])

No.164 の4単位の突起は左側が傾斜、右側が垂直の非対称形になっていて、90°回転で重なります。

一方、No.164は文様帯の分帯方法、2本セットの隆線とそれが継ぎ手状の連結部を有する点、隆線脇に半隆起線が沿う点、半隆起線脇に連続刻み(刺突),が伴う点などは、「深沢タイプ」と共通する。しかし、大きくキャリパー形に広がる口縁部を持つ器形、あるいは継ぎ手状隆線の使い方は大きく異なっている。特に、体部継ぎ手状隆線が横方向に展開するあり方は、この地域で中期中葉段階に発展する「焼町土器」古段階(新巻段階)につながるものである。こうした点から、No.164は在地化の進みつつある「深沢タイプ」と言えそうである。ただし、胎土。色調は在地の上器と大きく異なっており、今後、その`点を解明する必要があろう。(456ページ)

文献[1]より

深沢系の土器は継ぎ手文が特徴です。下の展開図のように、縦方向や横方向の隆帯または平行沈線が回り込みながら接続するというものです。また、この展開図では主要な隆帯の文様がほぼ90°毎の繰り返しになっていて、「まわる土器」と似た構造になっています。滝沢遺跡No.164の突起は継ぎ手文が口縁の上にせり出して作られているようです。おそらく体部の文様も90°毎の反復になっていて、口縁の突起もそれと連動していると考えられます。

深沢系の土器と展開図
(更埴市 屋代遺跡群 引用:文献[2])

深沢系は北信地域を主体とする土器で、北陸の土器の影響を受けている点で火焔型土器とも接点があります。また深沢系は新巻類型を介して焼町土器につながってゆくと言われています。焼町土器の展開図の例を下に示しますが、器面を縦横に区画するよりも、流れる曲線の文様で器面を埋め尽くすという意識がさらに強まっています。

川原田遺跡の焼町土器と展開図
(J-12号住居址 No.39 引用:文献[3])

滝沢遺跡のNo.156は東北の大木系の影響を受け、一方No.164は北信地域の深沢系と、出自の異なる土器です。それでも共通して「まわる土器」になっています。同じ住居跡から出土していることから、土器の使用者に「まわる土器」に対するデザインの嗜好があったのか、興味深い現象だと思います。

この翌日に訪問した朝日村歴史民俗資料館でも縄文中期前葉の「まわる土器」を見つけました。氏神遺跡の土器です。手前側の渦巻状の突起と向こう側の突起が180°回転するとほぼ重なります。

氏神遺跡の土器(SK4032 No. 437)

「長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書133:氏神遺跡」[4]では次のような説明があります。

No.437 は口縁に4 つの突起をもつ。口唇部は押引文が施文され、口縁部文様帯は突起から垂下する押引文が施された隆線により4 単位に区画され、各区画を交互に瓦状押引文と斜行沈線により施文する。口頸部文様帯は等間隔垂下文、胴部文様帯上半は斜行沈線、胴部文様帯下半は縦位の沈線により施文する。SK4035 より出土した口縁部4片と遺構間接合した。(110ページ)

文献[4]より

突起だけでなく口縁部の文様も、90°おきに斜行沈線と横位沈線が交互に並んでいて、180°回転で重なり合う「まわる土器」です。また頸部の下の斜行沈線の文様帯も、左上から右下への沈線の並びが胴部を一周巡っている点で、回転の方向性を与えているとも考えられます。

この土器も五領ヶ台式期の土器で、系譜としては沈線文系の踊場式の土器とされています。一方、器形や文様帯の配置は、寺内隆夫氏による論文[5]に紹介されている、東信地域の東信系土器に似ているように思われます。

氏神遺跡No.437と東信系土器
(右の2つは更埴市 屋代遺跡群 文献[5]より)

以上のように、縄文時代中期前葉の五領ヶ台式期でも、意識して探せば「まわる土器」が結構見つかるということが分かりました。この時期の中部高地の縄文土器の状況は、当初イメージしていたような単純なものではなかったようです。

当該期、特に前期末から中期初頭の土器群は、多系統の土器が共存し、複雑な様相を呈する。長野県においては、「久兵衛尾根Ⅰ・Ⅱ式」や「籠畑Ⅰ・Ⅱ式」、「晴ヶ峰式、梨久保式」等、多数の土器型式が設定され、研究史的な位置付けがなされている。前期末から中期初頭の土器群を整理するために、山本典幸氏はA~Kの型式系統(型式組列)を示し、それらが地域ごとに異なった組み合わせをもつ様相を示し、これらを五領ヶ台式土器様式と呼称した。今村啓爾氏は当該期の土器群を「系統の束」として理解することを提案した。

文献[4]より

こうした土器群の多様さが「まわる土器」を生み出す背景となり、また中期中葉~後葉の華麗な装飾の土器への萌芽にもなったと思われます。

川原田遺跡の「まわる」勝坂式土器

さて、話を浅間縄文ミュージアムに戻します。2024年4月27日(土)~8月25日(日)の日程で、「古代のうつわ-うつわで見る古代の暮らし-」と題した企画展が開催されています。その中で、川原田遺跡から出土した勝坂式土器が展示されていました。

川原田遺跡の勝坂Ⅴ式(井戸尻Ⅲ式)土器
(J-30号住居址 No.8)

この土器は割合に分かりやすく「まわる土器」になっています。同じ形の左右非対称で中空の大型把手が4つ、同じ向きで口縁に並んでいて、90°回転させれば重なり合います。

「御代田町埋蔵文化財発掘調査報告書22:川原田遺跡」[3]によれば、この土器は川原田遺跡の末期、焼町土器が衰退した時期に作られた土器です。

沈線の刻まれた4単位の大型把手が、口縁部に棒状工具による連続した押圧を施した隆帯がつき、胴部に縄文の施されたキャリパー形の深鉢である(231ページ)
土器組成では、勝坂式土器が増加の傾向を示す。「焼町土器」は数を減らすだけではなく、小型化し、装飾自体にも勢いを失い簡略化する。(556ページ)

文献[5]より

川原田遺跡の焼町土器には、分かりにくいながらも「まわる土器」が見出せる、ということを前回の記事で述べました。勝坂式土器No.8は、曲隆線や貼付文もなく、胴部に縄文を使った、焼町土器からは程遠い土器です。それでも「まわる土器」であるという点は共通しています。これは滝沢遺跡で、東北系と深沢系という系譜が異なる二つの土器がともに「まわる土器」になっていた、というのと似ています。

もしかしたら、「まわる土器」というデザインの特性は、土器の型式や系統を超越して伝搬・継承される性質があるのかも知れません。そんなことを漠然と考えつつ、今後も「まわる・まわらない」に気をつけて縄文土器を見て行こうと思います。

最後までお読み頂き、どうもありがとうございました。

参考文献

[1] 御代田町教育委員会「御代田町埋蔵文化財発掘調査報告書23:滝沢遺跡」御代田町教育委員会 (1997)
[2] 長野県埋蔵文化財センター 「長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書51:更埴市内」長野県埋蔵文化財センター (2000)
[3] 御代田町教育委員会 「御代田町埋蔵文化財発掘調査報告書22:川原田遺跡」御代田町教育委員会 (1997)
[4] 長野県埋蔵文化財センター 「長野県埋蔵文化財センター発掘調査報告書133:氏神遺跡」長野県埋蔵文化財センター (2022)
[5] 寺内隆夫「後沖式土器への系譜 ― 千曲川流域における中期前葉(初頭)、斜行沈線文系の土器について ―」(長野県埋蔵文化財センター『長野県埋蔵文化財センター研究論集Ⅱ 長野県の考古学』より)長野県埋蔵文化財センター (2002)

浅間縄文ミュージアム
所在地:長野県北佐久郡御代田町大字馬瀬口1901-1
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日、館内整理日(月最終木曜日)。
開館時間:AM 9:30~PM 5:00(最終入館 PM 4:30)
観覧料:大人500円 子供300円

朝日村歴史民俗資料館
所在地:長野県東筑摩郡朝日村大字古見1308
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)、冬期休館(12月~1月)
閲覧時間:AM 9:00~PM 5:00(最終入館 PM 4:30)
料金:一般200円  大学・高校生100円  中学・小学生50円  70歳以上無料  障害者無料(介添え者1名は無料)


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