takiayumi

帰国子女でもないのに7年半前に突如全てを投げ捨て日本を飛び出し、無帰国で45ヶ国放浪した末たどり着いたアフリカに恋をして。ファブリックアーティストとして暮らし始めた35歳、ソマリア系アメリカ人の夫と結婚し、ケニアで新婚生活はじめました。

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帰国子女でもないのに7年半前に突如全てを投げ捨て日本を飛び出し、無帰国で45ヶ国放浪した末たどり着いたアフリカに恋をして。ファブリックアーティストとして暮らし始めた35歳、ソマリア系アメリカ人の夫と結婚し、ケニアで新婚生活はじめました。

最近の記事

日本を発って、今日で10年。

2014年1月4日。ちょうど10年前の今日、日本を後にして、世界へ旅に出た。 1年半のつもりの旅は5年も続き、訪れた45近くの国の、とある国に舞い戻り、そこからさらに5年。夢中で好きなことをやるうちに、会社を作り、家族ができ、仲間が増え、「これが私の情熱をかけてやっていることです」と、胸を張って言えるものができた。 あの日、明日死んでも後悔しないだろうか、と自問自答し、あれもこれもやりたかった、と思いつく100のことを眺めながら、そうか、後悔しない生き方をしていないのか、

    • 流浪の職人 ~ノマディック・アルティザンに込めた想いと、3年目の決意~

      ノマディック・アルティザンという、アフリカの布、キテンゲを使った一点物のお洋服を世に生み出す仕事を始めて、3年になる。 そんな節目のタイミングで、先日ケニアのナイロビでポップアップを開催した。産休明け久々の、また、結婚して、子どもが産まれてから初めてとなる、1年半ぶりの開催。 楽しみに待ってたのよ、と久しぶりに会えたお客さま。ずっとお会いしたかったお客さま。はじめてのお客さま。応援してくれている友人。実に沢山の人に来て頂き、言わずもがな、過去最高の、予想を遥かに超える業績

      • 夏休み、最後の一人旅

        乗り換えのアムステルダムから大阪行きの飛行機に乗った瞬間、機内放送で日本語が流れてきて、ふいに涙目になる。ナイロビからアムステルダムまでも同じKLM航空だったけど、英語でなされた機内放送は、こんなにも丁寧ではなかった。ああ、そうだ、これが、私の愛する母国。 3年振りの日本。それも前回は5年振りに、長すぎた旅路に区切りをつけ、ケニアに片道切符で戻るために、たった10日ほど帰っただけ。その後ケニアに住まう暮らしを始め、そこで家族もできてから、初めてゆっくりと帰る日本。うまく言え

        • 新しい命

          1年前に、一度だけ会った人と再会して、結婚して一緒に住み始めてから、半年が過ぎた。
 私の家族や友達は日本にいて、彼の家族や友達はほぼアメリカにいて、そんな私たちはケニアに暮らしているのだから、結婚式はどうしようという話題は、コロナも相まり2秒で「ま、いつかやれたらでいっか!」となった。その後ナイロビのモスクに行き、二人だけで式を執り行い、なぜかケニアの外務省に婚姻届を提出し、私たちは夫婦になった。最近になって、ようやく重い腰を上げ、日本とアメリカの大使館にも婚姻届を出して

          10年前の今日、私は、あの日。

          東日本大震災から、今日で10年。 というタイトルの記事が、ソーシャルメディアのタイムラインを埋め尽くしている。あれから、10年経つのか。 東京に住み、レコード会社で働いていた当時の私は、確か大量のCDを片手にラジオ局に向かう途中で、ぼんやりと、死ぬかもしれないな、と思ったことを思い出す。 なんとかたどり着いた新宿の駅で、ビルから逃げ出してくるおびただしい人の様子は、まるでゴミのようだった。上司から、自宅に帰るようにと指示があり、けれど電車は全て止まっていて、新宿から自宅

          10年前の今日、私は、あの日。

          1年前に一度だけ会った人と、結婚しました。

          ちょうど1年前に、一度だけ会った人と再会して、結婚した。 と書くと冗談のようだけど、運命とはそんな気まぐれのように聞こえるものだ、とも思う。 初めて会った去年の大晦日、ケニアの年越し音楽フェスの会場で、あの人がこっちに向かって歩いてきた時、話始める前の名前も国籍も知らない時点で、冗談抜きで「ああ、きっとこの人と一緒になるんだな」という感覚が走った。 どこから来たの?と聞くと、ロサンゼルスと彼は答え、君は?と聞かれ、日本。でもナイロビに住んでる。と答える。 その次にはじゃ

          1年前に一度だけ会った人と、結婚しました。

          歳を重ねてゆくということ。

          誕生日には未だに母親が一番乗りで連絡をくれ、私が一番に話したい人もまた両親だ。35年前の今日、産んでくれてありがとう、と。歳を重ねるほど、巷にありふれて見える子育てとか普通の家族が、いかに色んな奇跡の上に成り立っているのかを思い知る。だから生まれてこれて、私として生きてて本当によかったって。両親に、大切に自由に育ててもらい心から感謝。 毎年誕生日を迎え、年齢と呼ばれる数字がひとつずつ増えていくのが、年々愛おしい。特に30を越えてから、偽りなく、歳を重ねるのが楽しくて仕方ない

          歳を重ねてゆくということ。

          地球上の全人類がマスクをしている2020年に、想うこと。

          2020年がもう7ヶ月も終わったらしい。 こんなにも奇妙な時間を過ごしている年は間違いなく他にないし、願わくば、後にも先にもこれだけであって欲しい。 時間が止まっているのに、でも勝手に流れているこの感じを、奇妙以外に何と形容しよう。ほとんどを家で過ごさざるを得ない毎日なのだから、目まぐるしいトピックや出来事も少なく、日々は人生で最も、平坦に近い。 それが、どうやら私だけではないのだ。私の友達や家族はともかく、世界中全員がおそらく同じように感じているという、世にも奇妙な、この感

          地球上の全人類がマスクをしている2020年に、想うこと。

          明日死んでもいい、 そう思えるほどに私を生きたくて。 | 1周年によせて

          1年前の今日、ノマディック・アルティザンのウェブサイトをオープンした。 あれから1年。 作るのが楽しくて、食事も寝るのも忘れて制作に没頭した日々と、 全然作れなくて、無理やりミシンの前に座ってはため息をついた日々を、 ただただ繰り返しただけの記憶しかない。 土日も関係なく、予定さえなければひたすら作っていた。 しなければいけないからではなく、 今日は何しようかなと考えて、 作ること以外にやりたいことも特になかった。 1年前の今日、もしも誰も買ってくれなかった

          明日死んでもいい、 そう思えるほどに私を生きたくて。 | 1周年によせて

          恐怖の、その正体

          実に1週間ぶりに、ケニアの自宅に戻った。 どこにもたどり着くこともなく、何の生産的な行動も成されぬまま。 出来事の記録もないのに時間だけが経って、同じベッドで目が覚めた。 相変わらず、窓の向こう側の、ケニアの空は青い。 1週間ぶりにまともにシャワーを浴びて、1週間ぶりに違う服を着た。 それだけでえも言われぬ清々しさを感じる。 この国には、この私の当たり前を享受できない人がたくさんいて、 世界中にはさらに、五万といる。 誰一人として生まれる場所を選べないのに、世界は潔いほどに

          恐怖の、その正体

          世紀末、という言葉がこれほどふさわしかったことが、未だかつてあっただろうか。

          世紀末、という言葉がこれほどふさわしかったことが、未だかつてあっただろうか。 テロや戦争はもちろん悲惨だけど、私はずっと、人間レベルの手には負えない、例えば地震とかの自然災害や地球温暖化の方が恐怖のレベルでは遥かに怖いと思っていて、 特に最近の地球温暖化による世界中で起きている気候異常や森林火災に、 もはや地球は100年以内に住めなくなるのかもしれない、なんて思っていた矢先に。 ウィルスが世界をこんな風に震撼するなんて、想像すらしていなかった。 当然だ。現在地球に生きる誰

          世紀末、という言葉がこれほどふさわしかったことが、未だかつてあっただろうか。

          気候変動と紛争とワインとテラスハウス。

          先月の台風に引き続き、過去最大級の台風19号が日本を直撃したというニュースを、祈るような気持ちで追う。温暖化の影響だろうか、こんな時期に立て続けに大型台風が来たことなんてなかったように記憶する。 日本の外に出てから気づくのは、その自然災害の圧倒的な多さ。そんなコンディションにかかわらず、しかし世界有数の経済大国で裕福かつ安全で住みやすい国として現在もあり続ける母国を、純粋に心から、誇りに思う。6年間、45ヶ国を旅したり住んだりしたけど、優越でも贔屓目でもなく、日本は本当に、素

          気候変動と紛争とワインとテラスハウス。

          書き始める。

          夜8時。寝るのには早いし、でもこんな夜に限ってハウスメイトはみんな出かけてしまって、リビングルームはしんと静まり返っている。そんな時は決まって、自然と体はアトリエに向かい、私はすんとミシンの前に座る。Hidden nightと名付けたプレイリストを流し始め、縫いかけのオーダーメイドのマキシスカートを針にセットする。 日本に住んでた頃は、することが思いつかない夜なんてなかった。ような気がするだけかもしれない。だって日本を発ってからもう直に6年だ。でもアフリカ、ケニアの夜にでき

          書き始める。