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新しい命


1年前に、一度だけ会った人と再会して、結婚して一緒に住み始めてから、半年が過ぎた。


私の家族や友達は日本にいて、彼の家族や友達はほぼアメリカにいて、そんな私たちはケニアに暮らしているのだから、結婚式はどうしようという話題は、コロナも相まり2秒で「ま、いつかやれたらでいっか!」となった。その後ナイロビのモスクに行き、二人だけで式を執り行い、なぜかケニアの外務省に婚姻届を提出し、私たちは夫婦になった。最近になって、ようやく重い腰を上げ、日本とアメリカの大使館にも婚姻届を出してきた。

デートというデートもしないまま結婚したものだから、新婚というよりは付き合いたてのカップルという感じの気もする。けれど日々の所々で、「ああでも、何があっても、死ぬまでこの人といるんだ」という、一生一緒という感覚が訪れる度に、結婚したんだなぁと実感する。

割とノリで結婚したような話に聞こえてしまう私たちだけど、でも、この人に出会うための人生だったと、これまでの全部振り返った時に心からそう思える人と出会えたことは、きっととてつもなく幸せなことだ。


それまで7年も、ひとりで世界を転々としながら生きていたので、何処かに誰かと定住するという感覚は久しぶりで新しい。朝から寝る前まで(時には寝る間も惜しんで)制作に没頭していた日々に、やれご飯を作るだの、洗濯するだのといった生活のリズムを取り入れざるを得なくなったことに、最初こそチッとなったものの(ごめんよ夫)、いや、生きるってこういうことだよな、と、普通の人間らしい生活に軌道修正されたことに、今では心地よさを覚えている。これからは「私だけの人生」ではなく、「二人分の人生」という軸が基本になっていき、背負うものが増える部分と、逆に減る分とを、責任と感謝を持って共有しながら、一緒に生きていくに違いない。

そんな風に夫婦の人生計画の話をする中で、子供が欲しいということは二人とも一致していた。じゃあいつ、ということになると、彼は今年42歳、私は36歳と決して若い夫婦でもない。とりあえず一年新婚生活をしてから、とか、コロナが落ち着いてから、と機会を待った挙句、恵まれなかった時にきっと、「もしもあの時」とすごく後悔する。だから待つことなく、この一年まずは気楽に頑張ってみよう、と私たちは決めた。

そう遠くない日に、子育てが始まるかもしれない –– そう思い描いた時、私のこの、一人で全ての仕事をこなす体制ではやっていけないことは明らかだった。ちゃんとスタッフを雇って育て、私が制作できなくても進行が滞らないようチームを作るべき時が来たのだ、と妙に納得し、色々考えた末、事業再構築期間としてしばらく休業することを決めた。そんな矢先に、妊娠がわかった。

偏食で運動もしないし、不摂生の極みみたいな生活をしていたし、健康診断もブライダルなんとかチェックもろくにしていないから、できないかもしれないというぼんやりとした恐れが実はずっとあった。だからこんなにもすぐに恵まれたことに涙が出るほど嬉しくて、神様ありがとう、って叫びたかったのも束の間で、神様はやっぱり、そんなに甘くはなかった。

妊娠すると、受精卵を異物と認識して排除しないよう敢えて免疫が下がるらしいのだが、すると健康しか取り柄のなかった私に、すぐさま不調が訪れた。5年間世界で食い散らかした自慢の強いお腹のはずが、酷い食あたりにかかり救急搬送されたり、風邪をこじらせて寝込んだりという日々が続いた。ようやく治った、と安堵したその先には、暗黒のつわり生活が待っていた。昔よくドラマの妊娠が発覚するシーンで、突然ウッとなってトイレに走り込む、みたいなシーンがあったけど、そんな可愛いもんじゃなかった。2ヶ月以上に渡って毎日、朝起きた瞬間から寝るまで吐き気に苛まされるなんて、教科書には全然書いてなかったじゃん。今まで普通に食べれていたものがまるで食べれないし、もはや何が食べたいのかもわからないから栄養もきちんと取れず、頻繁に失神したり立ち眩みするようになった。ベッドからほとんど動けなくて、それでも頂いたオーダーを作らなければとなんとかミシンの前に座るも、物凄い気持ち悪いし、やる気も出ないしで、悲しくて、ただただ泣いた。もしかしたら一生、もうミシンなんて踏みたくないってなったらどうしようと、どんどん鬱々とした気持ちになって、突然泣き出すことが増えた。

今思えば完全に鬱だが、そんなネガティブオーラ全開の、ただ息をしているだけの木みたいな私を、一生懸命支えて、大丈夫だよって励ましてくれた旦那には、感謝しかない。それから、詳しい事情も伝えられないまま、体調不良という理由で制作の中断にご理解をくださり、できるまで待ちますよ、と待ってくださったお客様には、本当に、なんと感謝とお詫びを伝えればいいのかわからない。

6月に入ってようやく普通に食べれるようになり、でも食事後の胸焼けとやんわりとした吐き気はついてまわり、食べたくない症候群と戦っていた。そんなある日、突然ケロッと、つわりは消え去った。それはもうまるで、昨日まで誰かが私に乗り移っていたんじゃないかと思うくらいの、嘘みたいな消え方だった。

そうして3ヶ月振りに普通の私を思い出し、仕事も生活もこれまで通りの、日常をようやく取り戻した。違うことと言えば、私史上最高にお腹がぽっこり出ていて、時々その内側から、何やら生き物がうにょうにょと動いて、無尽蔵に私の膀胱を蹴るということぐらいだ。現在妊娠6ヶ月で、年内にはソマリア系日本人の男の子が、この世に爆誕してくれる予定となっている。ソマリア人と日本人のハーフなんて聞いたことないけどwって皆んなが驚いてくれるだけあって、夫婦で夜な夜な「somali japanese」とググってみても全然ヒットしないから、一体どんな子が生まれるのだろうかとワクワクしている。黒人であり、アジア人である息子は、いつか日本やアメリカに住むような日も来るだろうから、苦労することや、傷つくこともあるかもしれない。願わくは、自分が自分であることを誇りに思って生きていってくれるよう、最大限の支援と環境を用意してあげるために、今まで以上に頑張らなくちゃと思っているところだ。

使い古された言葉で恐縮だけど、もう、本当に、世の中の全てのお母さんに敬礼したい。おめでたいはずなのに重い病魔みたいなのと戦わねばならず、壮絶なる痛みを経てこの世に産み落とした命に、責任と全ての愛情をつぎ込んで、それなのにソレときたら、時々悪態をついたり道を逸れたりしながら、20年後くらいには、どこかへ旅立ってしまうのだから。19歳の時に田舎から黙って上京し、気づいたら東京からもいなくなって、5年間一度も帰ることなく世界のどこかに行ってしまった娘を、見守り続けてくれていた両親の気持ちに改めて想いを馳せてみる今、感謝は深くなるばかりだ。

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