恐怖の、その正体

実に1週間ぶりに、ケニアの自宅に戻った。
どこにもたどり着くこともなく、何の生産的な行動も成されぬまま。
出来事の記録もないのに時間だけが経って、同じベッドで目が覚めた。
相変わらず、窓の向こう側の、ケニアの空は青い。

1週間ぶりにまともにシャワーを浴びて、1週間ぶりに違う服を着た。
それだけでえも言われぬ清々しさを感じる。
この国には、この私の当たり前を享受できない人がたくさんいて、
世界中にはさらに、五万といる。
誰一人として生まれる場所を選べないのに、世界は潔いほどに不公平で、
未来永劫、不公平であり続ける。
憐れむことも、感謝することも何か少し違う気がして、私はただ、思い知るようにしている。
世界は残酷なほどに不公平なんだと。

シャルージャ空港でぼんやりと二日半を過ごした後、
これが最後のフライトだ、と、ナイロビ行きの便に乗せられる。
憎きAir Arabiaだが、悪いのはこの人じゃないと思い、
チケットを渡してくれた職員に、色々ありがとう、と伝える。
こんな状況で、物凄く大変だよね、と言ったら、
明日からここにいる全員、来なくていいと言われたんだ。
給料は出ないし、僕の国はとっくに国境閉めてるから、
帰ることもできないよ、と彼は言った。

ああそうだ。
誰もがそれぞれの事情を背負って、それでも日常をこなしているんだ。
カスども、と心の中で罵りあげていたことを恥じる。

ナイロビ空港に着いて、預け入れた荷物を回収に行く。
スーツケース2つ、40kg。
そのほとどんが布で、同じくデザイナーの彼と、
ネパールで試作品を作る予定だった。
荷物を彼に託す許可をネパールのイミグレーションから勝ちとるも、
荷物を管理するAir Arabiaスタッフがフライト直前まで現れず、
なんで今の今まで来なかったの、荷物を彼に渡して!
と言うも時すでに遅し、
ええもう飛行機に積んじゃったよ、もっと早く言ってくれたらよかったのに。
と。もうこいつらはダメだ、あんぽんたんだ、と思う他なかった。

で、もう騒ぎもしないし、なんとなく想定内だったけど、
私はロストバゲッジした。
ナイロビ空港の荷物レーンで30分待つも私の荷物は現れず、
「シャルージャ空港にあるねぇ」
と、調べてくれた職員が教えてくれた。
いつ届けてくれるの、と聞いたら、
「Air Arabia、明日から全便欠航だから・・・」
そうだったね。
やっぱりAir Arabiaはもう二度と使わない。

携帯の電源を入れてタクシーを呼ぼうとした瞬間、
長ったらしい3通のメッセージが飛び込んできた。
一緒に暮らすハウスメイトとのグループチャットだった。

長すぎて全訳は割愛するけど、要約は大体こんな感じだ。

「おかえり。
君が取りうる全てのコロナウィルス予防をしたことに疑いはないけど、
僕らは君に対して責任を持つ必要がある。
4人で話し合った結果、以下のことを決定した。

-今日から14日間、部屋から一歩も出てはいけない。
-部屋のドアを開けてもいけない。
-共同のキッチンは使用不可。
-食事は全てオンラインで注文して、デリバリーのみ。
-飲み水は供給する。
-配達が来たら僕たちが当番制で玄関から君の部屋のドアまで運ぶ。
-洗濯物禁止。

君が健康なのは重々承知しているけど、
僕らには他の人たちにうつしてはいけないという責任があるんだ。
君が部屋の外へ出るということは、僕らにも自主隔離を強要するということだ。
なるべく君が居心地のいいように決めたけど、これが不服ならホテルに泊まってくれてもいいよ。」


私は携帯を投げ捨てた。

帰国前の、空港で何もすることがない間中、
私はこのハウスメイトたちとずっと電話やテキストでやり取りをしていて、
ネパールのイミグレーションとシャルージャ空港で私が何を経験して、どんな風に過ごしていたか、文字通り彼らは時間単位で知っていた。
そして凄く心配してくれていた。
その時に私ははっきりと伝えていた、自主隔離するから心配しないでね、と。


政府の推奨する、シェアハウスでの自主隔離のガイドラインはこうだ。

-なるべく自室で過ごすこと。
-共用スペースの使用はなるべく避けること。
-使用する場合は他の人が同じ時間に使用しないことを確認すること。
-トイレやシャワーを共用する場合は使用後、入念に洗うこと。


そのPDFを送りつけ、こう伝えた。

「これが一般的に推奨されている”自主”隔離のガイドライン。
お前らの勝手に決めつけたルールはそれからかけ離れていて、
私の人間として生きる権利を妨害している。
お陰様でロストラッゲジして着る服も下着もないし、
歯ブラシも歯磨き粉もコンタクト洗浄液もないし、
シーツも洗濯カゴに入れて洗濯場に放置されたままで洗濯できてないし、
あなたたちが私に2週間も毎日外食させる権利もないし、
ホテルに泊まれとか、一体コストを誰がどう負担すると思ってるの?
部屋から一歩も出るななんて非人道的なことを強いる権利、警察にですらないわ、ボケ」

電話で言い合いになった挙句、それでも断固として、
彼らは条件を1ミリたりとも譲らなかった。そして彼らはこう言い放った。

君は、君のせいで僕らが仕事行けなくなっても構わないし、
君のせいで僕らがホテルに住まなきゃいけなくなるのに、
自分は間違っていないと思っている、とても自分勝手な人だ。


聞いてほしい。
彼らはただ居を共にするだけのハウスメイトじゃない。
半年も一緒に過ごして、辛い時にお互いを支え合って、
親友だと思っていた人たちだ。
共に涙を流し、共に笑いあい、お互いの恐れや夢を語り合った、
大切な人たち。

そしてこれが、そんな大切な友情をいとも簡単にぶち壊す、
恐怖の正体だ。

何でも話あえる間柄だった人たちが、
話し合うこともせず、恐怖に駆られた末、
その得体の知れない恐怖から逃れるための自己防衛を、
あたかも正義かのようにかざしてきた。

私は悲しかった。
心の底から、悲しかった。
自主隔離をしないと言ってるんじゃない。
それが何であろうと、この一連の流れに、優しさとか、
思いやりとか、人間が人間である理由が、全く加味されていなくて、
私はただただ、泣いた。

これが、世界中で今起きている、アジア人差別の、
トイレットペーパーの買い占めの、まぎれもない正体だ。
ニュースやネットから流れてくる情報を、
自分できちんと考察することもせず、
インターネットを通して知りうることが、
あたかも世界の全てであり、
自分の半径5メートル以内の全てであると錯覚し、
恐怖と不安に自らをコントロールされることを許し、
尊い人間性を放棄していることに気づきもしない、現代に生きる私たちだ。
問うてみてほしい。
その恐怖が、不安が、一体どこからやって来ているのかを。
誰がその感覚を生み出し、そう感じると決めているのかを。
ことのつまり、幸せや、喜びや、優しさや思いやりだって、同じ場所から来てる。
だから何度も繰り返し声を挙げる。
私たちは今まさに、その人間性が、問われているんだよ。


向かいのアパートに住む友人から、昨夜遅くにテキストが届いた。

「アユミ。おかえり、無事に帰って来てくれて何より。
ハウスメイトと色々あったって、聞いた。
本当に申し訳ないし、そんな扱い本当にひどい。
特にみんな、あなたがこの1週間どんな目にあったか知ってるのに。
ご飯作れないんでしょ?今から持って行くね。」

そうして彼女は私の部屋までカレーライスを持って来てくれた。
ドアの前に置いてくれたらいいよと言ったら、
何言ってんの、ドア開けて。
そうして彼女は、開閉厳禁のはずの私のドアから部屋に入って来て、
私を抱きしめてくれた。私は泣き崩れた。

アパートのオーナーに、
私は毎日外食デリバリーをするつもりもないし、
人間らしく食事を作って食べる権利がある。
キッチンを誰もいない決められた時間に使わせてくれないのなら、
私がきちんと食事できる他のオプションを用意するべきだ、と主張した。

その結果、私の部屋には小さな冷蔵庫と、携帯電気コンロ、
それから諸々のフライパンや鍋などのキッチン用品(私の私物)、が運び込まれるらしい。

マジでどうかしてる。
さらに憤るのは、ハウスメイト4人のうち一人は、
二日前にルワンダから帰って来たばかりのアメリカ人で、
ルワンダは感染ケースが少ないから、彼は自主隔離しなくていいという。
感染ケース1のネパールに入国すらできなかった私と彼がどう違うのか、論理的に説明してほしいと言ったら、ルワンダは同じ東アフリカだし、君は空港に長くいてたくさんの人に会ってるから、と。
一体、私が何十人もの人とコンタクトを取ったって、勝手に想像しているんだろうか。


青空から日差しの降り注ぐ、私の部屋の大きな作業机で、
別の友達が差し入れてくれたコーヒーを飲みながら、これを書いている。
今日から14日間、ここから一歩も外に出られないらしいということ以外、
いつもと変わらない、愛しい私の日常。

傷の入った友情を、どう修復するのか、
そもそも修復したいのかも、今はわからないし考えないようにしている。

私にできることと言えば、ただただ今日も、私らしく生きるだけだ。
明日も、来週も、来月も。



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