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歳を重ねてゆくということ。

誕生日には未だに母親が一番乗りで連絡をくれ、私が一番に話したい人もまた両親だ。35年前の今日、産んでくれてありがとう、と。歳を重ねるほど、巷にありふれて見える子育てとか普通の家族が、いかに色んな奇跡の上に成り立っているのかを思い知る。だから生まれてこれて、私として生きてて本当によかったって。両親に、大切に自由に育ててもらい心から感謝。

毎年誕生日を迎え、年齢と呼ばれる数字がひとつずつ増えていくのが、年々愛おしい。特に30を越えてから、偽りなく、歳を重ねるのが楽しくて仕方ない。若い頃の無敵にピュアで我武者羅な身分も懐かしいけれど、酸いも甘いも知り尽くしてなお、真人間であろうとするピュアは、きっと当時のそれよりも強度がある。無駄なものがどんどん削ぎ落とされ、開き直りにも近い正直さを手に入れ、世界を言われるがままには受け入れず、私のフィルター越しに見る賢さも手に入れた。経験値という名のいくつかの瘡蓋を以って見る世界は、濁りも漆黒も垣間見えど、いっそう色彩と深みを増したように、私には見える。

ずっと曇りで寒かったナイロビだけど、今日は珍しく朝から晴れて青空が見えていて、神様はやるなぁ、粋な計らいをありがとう、とか呟いてみる。スピリチュアルだと笑うかもしれないが、何を信じていますかと聞かれると、私はいつも、宇宙、と答える。私たちは人間の形をした紛れもなく原子の集合体で、それは空気も、木々も、この目の前の机だって変わらない。極論を言えば宇宙の果てまで、原子同士の私たちは、繋がっているのだ。自分が醸し出すエネルギーは原子の波動を通じて必ず周りに伝搬していて、だからこそいい行いはいいことを呼び込み、悪い行いもまた、自分に巡るようにできている。それをカルマと世間では呼ぶんだけれど、私は割と科学的な話だと思っている節がある。見えないその想いの力が驚くほどに強靭であるという世界のひみつを、私は密かに知っている。

さあ、人生これからだ。と本気で思っている。絶頂期は45か、まだ先かもしれない、などと。そうすると今日からの10年はまた、人生で最も楽しいに違いない。

今日も私らしく。健康で、好きな人生をあゆめていることに、感謝の気持ちで。

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