朝鮮の歌と舞踊、安田浩一さんの講演を聴いて。
このようなイベントに行ってきた。
つい先日、初めてピアノリサイタルを鑑賞したばかり。
それでもまた、心が大きく揺さぶられるような貴重な体験ができた。
ほとんど無知な自分にとっては多くを語ることは難しい。
そして、何より怖い。
それでも、今現在、差別や偏見に苦しむことのない人こそが、少しでも考えなければいけないことなのだと思った。
「まだ疲れていない」とは、「差別や偏見に苦しむことに疲れていない」というような意味だと思う。
講演会のスライドでこのようなものがあった。
ローザ・パークスさん。
自分は初めて聞いたけれども、きっと有名な方なのだろう。
彼女はアメリカ人、そして黒人。
仕事帰りのバスの中、白人専用席に座っていたところ、注意を受けても席を立たれなかったらしい。
そこで捕まり、下の画像は裁判での証言だろうか…
この事件をきっかけに、多くの人が黒人の人種差別の問題に対して声をあげたのだとか。
捕まることが怖くて社会に合わせるしかなかった、つまり屈服するしかなかった人たちが大勢いたのだろう。
もちろん今もそうだろう。
きっと、彼らは疲れ切っている。
だからこそ、疲れていない人たちも一緒に考えて、声を上げていかなければいけない問題がたくさんあるのだと思う。
【第一部】
朝鮮の歌と舞踊
"福岡・広島朝鮮歌舞団" という方々の舞台だ。
大昔に、朝鮮舞踊(?)だけの舞台を観たことはある。
宝塚歌劇にハマる前、色んな踊りの舞台を観まくっていた時期だ。
本当に華やかで癒やされた思い出がある。
今回は小さな舞台ではあったけれども、歌も踊りも本当に素敵だった。
写真撮影は自由とのことで、ついたくさん写真を撮ってしまった。
美しい歌声と美しい踊り…
衣装も華やかでうっとりしてしまう。
そして、踊られていたお二人は、技術はもちろん、笑顔がとても素敵だった。
誘ってくれた親戚から、「講演会」とだけ聞いていたので、まさかこんな美しい舞台が観れるとは思ってもみなかった。
もう、こちらのステージだけで満足していたのだけれども、まるで真逆のステージ「講演会」でも、大きく心が揺さぶられるとは思ってもいなかった。
※注: ここから先は、画像の資料内などに残酷な表現が多く出てきます。
※閲覧注意!
【第二部】
講演会
「関東大震災朝鮮人虐殺から100年〜日本社会の歴史改ざんを問う」
安田浩一さんという方の講演会だ。
恥ずかしながら、初めて知ること、聴くことばかり…
それでも、今まで何となく不思議に思っていたことなど、少し分かってきた気がする。
例えば、なぜ日本人は、朝鮮の人や中国の人に対して悪く言う人が多いのか…
自分の浅い歴史認識では、「日本が酷いことをしたのだから、敵意を向けるのはおかしい」と思っていた。
それでも、その理由はあまりに簡単なものなのかもしれない。
どなたか影響力のある一部の人が行なった、差別、偏見…それが人々の "先入観" を作り出した。
ただそれだけだ。
こちらの図を見ると分かりやすい。↓
憎悪のピラミッド。
もちろん上の図では、下の部分が最初なのは分かる。
ただ、人々の先入観は一体どこで生まれるのか…
やはり、その人にとって最も影響を与えたであろう人たちが、差別や偏見を持っていたからなのだろう。
自分にとっては、同じ日本人同士でも行われる、"いじめ" や "ハラスメント" などとも似ているように思える。
例えば、両親の転勤などで全く違う地域に住むことになった子供が居るとする。
それに逆らうことなど、小さな子供には不可能だろう。
もちろん温かく迎えてもらえる所もあるかもしれないが、そうでない場合はどうだろうか…
その地域の子どもたちからいじめられるかもしれない。
理由は一つ。「他所の人だから。」
朝鮮人を殺した人の証言にこのようなものがあるらしい。
「まさか捕まるとは思わなかった。朝鮮人を殺したら褒美がもらえると思った。」
…この人は、朝鮮人を見付けたら殺して良いのだと本気で信じていたのだろう。
そして、それは「良い行い」だとも信じていたのかもしれない。
親の転勤の話と同じように書くのは間違っているのかもしれないが、当時の朝鮮は日本の植民地。
日本に呼ばれれば逆らうことはできないし、生きていくためには働きに行かなければならない人々もいたのだろう。
そうしてやって来たにも関わらず、酷い扱いを受け、関東大震災に遭い、何とか生き残ったところで殺される…
"朝鮮人が暴動を起こしている" 、"井戸に毒を入れている" などというデマを信じた大勢の日本人から殺される。
井戸なんて、日本人はもちろん、そこに住んでいる朝鮮人も同じように使うこともあるだろうに…
あまりに残酷すぎる。
きっとどこにも逃げ場などなかったのだろう。
そして、やはりどこか、今で言う "いじめ" や "ハラスメント" などと似ているように思える。
いじめられる側は何も悪くない。
これは、自分の学生時代の経験からも言えること。
いじめる側の理由はこんなものだ。
・臭いから。
・禿げてるから。
・若くて信用できないから。
・自分もいじめられたくないから。
…どれも、とても正当とは言えないものばかりだ。
"いじめ" や "ハラスメント" などが原因で病気になる人や亡くなってしまう人も大勢いる。
差別、偏見、先入観…
今も昔も人間はそう簡単には変わらない。
講演会で聴いた、"朝鮮人虐殺" についても、もう100年も前のことのように語られるけれども、人間の歴史からしたらほんのわずかな期間。
社会は大きく変わったように思えても、人間の本質はまるで変わらないことに気付かされた。
それでも自分には、虐殺した側やいじめる側が必ずしも完全な悪だとも思えない。
集団心理は恐ろしい。
…ただそれだけだ。
無知ではあっても、やはり書き出すと止まらない。
ここからは、講演中のスライドを中心に書いていく。
ほとんどが初めて聴くことばかりだったで、きっと聴き間違いや間違った解釈などもあると思う。
なので、もし読んで下さる方がいらしたら、おかしいと思われるところはご自分で調べて頂きたい。
それでも、できるだけ講演会で話されていたことを思い出しながら、書いていこうと思う。
【朝鮮人虐殺についての証言】
【政府が先導した…?】
障がいなどのある日本人も犠牲になったらしい。
あまりに残酷な「疑わしきは〜」だと思う。
…いや、それ以前の問題だろう。
民族の違いなど関係ないのだから。
【虐殺事件を悔い改めようとした当時の文章】
当時も、起きてしまったことを認めて、悔やんだ人は居るようだ。
一般市民にも大勢いたことだろう。
「長く許し難き罪悪」と、はっきり書かれている。
【当時の自警団団長のお孫さん(?)】
こちらに写っている方のお祖父さん(?)が、自警団の団長だったらしい。
遺品整理をしていると、当時のことが記されたものが出てきて初めて知られたのだとか…
今では語り部としての活動をされていらっしゃるらしい。
【事件は無かったことにされていっている…?】
安田さん曰く、「朝鮮人虐殺事件の犠牲者は、関東大震災の犠牲者ではない。虐殺事件を震災という災害の中に閉じ込めて、無かったことにしようとしている。」と。
【各地の慰霊碑などが撤去されていっている】
上の2枚の写真は、見出し画像の石碑について。
「記憶 反省 そして友好」
とても大切な言葉だと思った。
それでも裁判の判決で、いつ撤去されてもおかしくない状況らしい。
他にも多くの慰霊碑が撤去され、処分されていっているらしい。
ネットでは、あっという間に情報が広がる。
そのようなものがあると分かれば、自治体に苦情などが全国から寄せられるらしい。
そして、自治体はなぜかそれに逆らえないようだ。
【災害時に今でも書き込まれるツイート】
未だに信じている、もしくは面白がって書き込む人がいるようだ。
【TVのコメンテーターさんに対してのツイート】
コメンテーターさんがどのような話をされたのかは知らない。
ただ、その人の名前が出てきた途端、会場全体から呆れたようなため息が…
きっと有名な方なのだろう。
そして、こんな恐ろしいことを頭で考えるだけではなく、公にツイートできる人が居ることが怖いと思う。
自分が逆の立場に生まれていたとしたら…?
【慰安婦問題についてのプラカードなど】
慰安婦、売春婦…
もちろん同じではないだろう。
それでも、彼女たちは、なぜそのような生き方をしなければならなかったのか…
ペ・ポンギさん。
慰安婦として働かされ、日本人と同じように、沖縄で米軍に捕まったらしい。
のちに解放されたが、日本人と違い、彼女たちに行き場はない。
毎晩酒場へ出向き、売春婦として生きる道しかなかったそうだ。
【その他のデモでのプラカード】
【ヘイトスピーチについて】
上の画像のように、ヘイトスピーチについての定義はある。
そして、デモのプラカードにはそのような言葉がたくさん書かれてもいる。
ただ、こんなに恐ろしい言葉を使っても、罪に問われることはないそうだ。
【オスプレイ配備反対デモに対抗したデモ】
写っているのは、あくまでオスプレイ配備に反対する人たちに対抗して行われたデモらしい。
自分には、何ともおかしなデモのようにも思えるが、取材に行った安田さんは、こちらの方々については特に何も感じなかったそうだ。
ただ、何も無いように街を歩く無関心な人々に対して憤りを感じたのだと。
「無関心は差別や偏見を助長する。」
自分にとっては、とても耳に痛く、尚且つ心に響いた言葉だ。
【孫正義さんについて】
こちらは講演会の冒頭で話されたこと。
有名な方だけれども、自分は何も知らなかったと言っても良いだろう。
地元である出身地を知らなかったのだから…
最初は資料の写真を撮っていなかったので、文章だけで書いていく。
孫正義さんは、当時、鳥栖駅のほとんど敷地内のような "朝鮮人部落" のご出身らしい。
雨の日は、膝まで汚水に浸かりながら勉強をされていたのだとか。
安田さんが、孫正義さんの中学生の時の担任の先生とお会いして取材された時の話。
彼の成績はトップクラスで、どんなに難しい学校にでも入れるレベルだったらしい。
しかし進路相談で彼は進学を拒否。
先生が理由を尋ねると、「朝鮮人だから。」。
そして、
「どんなに良い高校、大学などに進んだとしても、その先はない。」と。
…当時の彼にとって、日本の社会はそういうものだったらしい。
ただ、先のことを何も考えていなかったわけではないのが彼の凄いところ。
先生に対してこう言われたそうだ。
「これからの時代は受験戦争がますます厳しくなる。学習塾を作りたい。しかし自分はまだ子供で教えることはできない。だから先生を雇わせてもらえませんか?」と。
たまげた先生はもちろん断ったそうだが…
生まれた時から差別、偏見に遭い、貧しい生活を送りながらも、わずか14〜15歳で、ここまでのことが言えるだろうか…
実際は、高校に進学されたそうだが、やはり無意味だと思い、一ヶ月で退学。
その後はアメリカに渡り、コンピューターなどについて学ばれ、今に至るのだと。
有名な実業家になられた彼は今、何を思っているのだろうか…
この辺りで終わっておこう。
自分はまだ何も知らない。
ただ、久々に会えた親戚が勉強中だということで、自分も興味を持って着いて行っただけだ。
この日もテレビのニュースで取り上げられていた。
実家ではテレビがいつもついてるので、家族と話しながらも釘付けになった。
ちょうど今、「福田村事件」という映画も上映されている。
講演会の会場で買った本はすぐには読めないかもしれないけれども、ゆっくりと学んでいけたら…と思う。
会場で購入した本。↓