【十年前に絶交した親友とミシガンに乗ったら、『成瀬は天下を取りにいく』の著者が現れた話】
近江牛コロッケ定食を平らげると、俺たちはそそくさと『おいしや』をあとにした。
「やべえ!ギリギリじゃねえか!」
「くそ・・・一服する時間もねえ」
十年前と変わらない会話を繰り広げながら、三十一歳男性二人、浜大津アーカスを出てミシガン目指して駆けていく。
『成瀬と天下を取りにいくスタンプラリー』の旅、ここ大津港が一番のメインイベントである。
小南君(仮名)は大学の同級生である。彼と仲良くなったのは、九州にある姉妹大学へ一週間の短期留学をした際に同部屋となったことがきっかけだった。
同じ学部で同じ学科。何かしら授業が被りそうなものだが、一度も顔を合わせたことがない。「俺、あんまり大学行ってなくてさー」ヘラヘラ笑う彼の二回生取得単位数が、一桁台だったことを未だに俺は覚えている。
小南君の下宿先へはしょっちゅう遊びに行った。満杯になった灰皿を囲み、ぐだぐだと酒を飲みながらあてのない夢の話をたくさんした。鴨川制圧、UMA探し、大文字を犬文字に、見知らぬ奴と鍋・・・阿呆らしい行為に思いを馳せれば馳せるほど、俺たちの青春は輝いたのであった。
しかし、そんな青春は四回生の春に強制終了を強いられてしまう。
これに関しては、小南君の事情を考慮し詳しくは書けない。とある人物の出現により・・・とだけ言っておこう。
ラインは既読にならず、電話にも出ない。オートロックのインターホンを鳴らしても、永久に無視される。
俺たちの友情は、たった一人の人間の影響なんかであっさり壊れてしまうものではなかったはずだ・・・!
俺は激しく憤り、深く悲しみ、そして何年も引きずった。もう小南君は死んだのだ、そう言い聞かせては静かに泣いた。
その後、紆余曲折あって、彼とは二年前に木屋町で再会を果たすことになる。
タバコを深く吸う彼の姿は、あまりにも懐かしく感動的だった。感極まって思わず抱きついたら「気持ち悪いな!」と叫ばれた。
小南君の叫びは、時計の針を一気に学生時代へと引き戻す。
「すげえ!やっと乗れたぜミシガン!うわー!夢叶ったー!うわー!すげえすげえ!っていうかめっちゃ天気よくね!完全に歓迎されてるっしょ!いやあ、俺、やっぱ持ってるわ!この勢いで天下取っちゃうわ!」
興奮のあまり、頭の悪い言動を繰り返しているのは俺である。
本屋大賞の現場でもらったド派手な成瀬Tシャツを着て、年甲斐もなくぴょんぴょんと跳ねるようにミシガンの階段を上がっていく。
豪快に水しぶきをあげている二階船尾の赤い外輪を見て、小南君は「成瀬に出てきたやつじゃね」とスマホで写真を撮りだした。
「落とすなよ」
「ああ」
「フリとかじゃないからね」
「当たり前だろが」
軽薄な会話を琵琶湖へ放り投げつつ、俺たちは『成瀬は天下を取りにいく』第五章"レッツゴーミシガン"の世界を堪能し始めた。
九十分間の湖上旅はあっという間に終わってしまった。陸上と湖上の境を感じることなく、スムーズにミシガンを降りる。
夢が叶っている最中はとてつもない高揚感に包まれていたのに、叶ってしまったあとはなんだか寂しく切ない。
俺は振り返り、一仕事終えたミシガンを見上げる。隣を見ると、小南君もミシガンを見上げていた。
「念願のミシガンに乗れてホントによかった!まあ小南君じゃなくて、一緒に乗るのが岸井ゆきのみたいな女の子だったらもっとよかったけど」
「あーん?それはこっちの台詞だぜ?今度はめちゃくちゃ可愛い巨乳ガールとミシガンデートしてやるわ」
・・・どうやら、名残惜しいのは互いに同じらしい。
「成生さん、こんにちは!」
突如名前を呼ばれ、足が止まる。声のした方へ顔を向けると、見覚えのある女性が一人、笑顔でこちらに手を振っていた。
「え・・・なんで!?どうして!?」
「ミシガンに乗ってる、というXの投稿を見たので!」
劇的な展開に驚きが隠せない。小南君も口をあんぐりと開けてその女性を見つめている。
成瀬あかりの生みの親が出迎えてくれているなんて、誰が予想できただろう。
そう、そこにいらっしゃったのは宮島未奈さんだったのだ。
言わずもがな、本屋大賞受賞作『成瀬は天下を取りに行く』の著者である。
「写真を撮りましょうか!」
宮島さんとお会いするのは二度目だ。前回は本屋大賞授賞式の際。同じように「写真を撮りましょうか!」とパシャリと一枚撮って頂いている。そして今回は、ミシガン前という聖地にて、である。まさに成瀬ファンとして僥倖極まりなしだ。
「ほら、そこ!宮島先生の横並んで!」
やったあ!まじか!嬉しい!興奮しすぎてわたわたしている俺に指示を出し、迅速にスマホを構える小南君。さすが親友だ、俺の扱いをよく分かっている。
「サイン書きますよ!」
「まじっすか!あっ、でもペンがな」ありますよ」
宮島さんは肩掛け鞄からサインペンを取り出し、俺が手に持っていた『成瀬は信じた道をいく』にするするとサインを書いていった。その様子を見ていた小南君、「すいません。僕のもいいですか」と遠慮がちに自らの『成瀬は天下を取りにいく』を差し出す。宮島さんは風のようにシャシャーとサインを書くと、にこやかに小南君へ手渡した。満面の笑みを浮かべる小南君。その嬉しそうな顔を見て、思わず俺の口元も緩む。
奇跡の邂逅は一瞬で終わった。いや、別に一瞬というわけではなかったのだが、体感的には一瞬だったのである。
「じゃあわたしはこれで!楽しんで!」
颯爽と去っていく後ろ姿に羨望の眼差しを向けながら、俺たちはただただ「すげえ・・・!」と漏らすばかりだった。
次のスタンプラリースポットへ移動する小南君の車のなかでもずっと、「すげえ・・・!」と呟き続けていた。
学生時代、ベロベロで自転車に乗ろうとして転倒し、二人して四条通を南に入った路地で気絶していたことは一生忘れない。それに勝るとも劣らない、むしろだいぶ勝っていると言っても過言ではない思い出ができた。
宮島さん、ありがとうございました。
スタンプラリーをクリアし、無事に特典の栞をゲットした俺たちは大津駅で別れた。
小南くんは友人と用事があり、俺は翌日に京都でライブ出演を控えていたのでバンド練習へと向かう。
「じゃあなー」
「おう」
あっさりした別れ方だったな、と思う。
ぷっつりとさよならするわけでもなく、ねちねちと手を振り合うわけでもない。まるでかつて過ごしていたような、なんでもない青春の一日がそこにはあった。
もし互いに素敵な出会いがなかったら、また一緒にミシガンに乗るのだろうか。
もちろん俺は乗り気ではないし、次回は岸井ゆきののような女性と湖風を浴びる所存である。小南君は、めちゃくちゃ可愛い巨乳ガールと乗るつもりだと言っていた。そうなれば最高であるが、そんな未来が俺たちには今のところまったく見えないのが悔しい。
なにはともあれ、今回は一緒にミシガンに乗れてよかった。もう一度青春を謳歌することができるなんて思ってもみなかった。べったりくっつくこともせず、隔たりをつくることもなく、これからも酒を飲んだり遊んだりできたらいい。
成瀬と島崎、彼女たちのような関係でいられれば一番嬉しい。
小さくなっていく大津駅のホーム。その景色を眺めながら俺は、いつか小南君とM-1グランプリに出場してみようと思った。