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🧟‍♀️脱ブラック部活 - コロナに救われた話 -

 教員ブラック説の大きな議論の一つに部活動が挙げられる。
自身が経験した部活の指導をしたいがために、教員を志望する先生もいる。

 私が中学生だった頃、部活への加入は必須だった。なので、あまり部活に興味がなかった私は、その学校では幽霊部員が多かった卓球部に所属した。

教員になって初めて受け持ったのは、野球部の副顧問

 小学生で男子に混ざって少年野球をしていたことを、校長面談で何気なく話したことが採用されたわけだ。当時ペアを組んだのはベテランの先生。
 野球以外受け持ったことがないおじさん先生だった。彼は野球未経験だったが、ずーっと野球部を持つうちに、野球部会では知らない顧問がいないくらい有名な人だった。
 当時、初任で右も左もわからない私は、渡された予定表のとおりに、練習や練習試合に参加したが、13年前は、「土日のいずれかは休み!」「平日も休養日を設ける!」等のルールがなかったため、それこそ冗談抜きで年間300日以上、部活に携わった。初任には指導員が一名付くので、2時間分の授業の指導案を毎週提出しなければならなかった。もう時間がない時は、練習試合のベンチで指導案を書く外なかった。

異動先のソフトテニス部

 全くの未経験のスポーツで、ルールすらわからなかった。
しかも、テニス界隈では重鎮(後にまさかの現任校で教頭をしている方)の後任…。そこそこ強かったので、不安も大きかった。はじめは疎外感しかなかったが、その頃はまだ若さもあったので、一緒に練習をすることに決めた。
 2年、3年と子どもたちと一緒にプレーしていくうちに、なんとはなしにできるようになってきた。
そのうちに部活に熱が入るようになってしまった…。
 年間を通じて朝練習、平日は19時まで練習、土日は練習試合。そんなことをしていたら、全員初心者、しかも3年生3名、2年生7名の小規模のチームながら、地区大会準優勝、県大会へ出場してしまった…。
 親の会も熱が入り、熱暴走する私を止める者は誰もいなかった

きっかけはコロナ

 新型コロナウイルスの流行に伴い、部活動の取組が大幅に制限された。
その年、3年生の引退をかけた最大の大会も中止になった。心の中で張り詰めていた糸がプツリと切れた音がした。
 それからというもの、ガイドラインの指示に従って、勝利至上主義から、安全に健康的に体を動かし、楽しく活動を!と路線変更をした。
 すると、自分の時間も確保され、心に余裕が生まれた。これくらいがちょうどいいんだ!という着地点を見つけた。

そして現在・・・

 これまた未経験のバレー部を受け持っている。
そもそも、ラケットやらバットやらを振り回すのが得意な私は、バレーのような直接ボールに触れるスポーツは苦手だ。
加えて、ゴルフという新たな趣味もできたので、バレーに関しては、予定表の作成や練習試合の連絡等の渉外関係やボール拾いや子どものメンタルケアに落ち着いている。
 年度始めは副顧問だったが、色々あって、大会では監督バッジを付けることになったが、外部コーチを頼んだり、親の会が独自にスポ少と合同練習したりしているので、学校・コーチ・親の会の三位一体が絶妙なバランスで成り立っている。

これくらいがちょうどいいのである

 学校ができること、コーチにお願いした方がいいこと、親の会が機能すること、これくらいがちょうどいい。
 先生が一人で奮闘して、なんとかしようとする必要なんてない。部活は先生たちの善意で成り立っている。先生たちは、期待に応えようとして、頑張っちゃって、なんとはなしにできちゃうから、苦しくなる。適材適所。
 自分の時間も大切に。


どこかの誰かの何かの足しになりますように。

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