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【只管打坐とは?】

【只管打坐とは?】

只管打坐とは何でしょうか?

『岩波 仏教辞典』(岩波書店)

の中に、こう書いてあります。

「〈只管〉は宋代以降の口語で、〈ひたすらに〉の意。

ただひたすら坐禅すること。

全身心をあげて坐りぬくこと以外に、仏法の体得はない、
打坐即仏法という道元禅の特質を端的にあらわした語。

黙照禅の伝統をつぐ天童如浄の法を受けた道元は、
只管打坐を強調した。

『只管打坐して大事をあきらめ、心の理をあきらめなば、後には一字を知らずとも他に開示せんに、用ゐつくすべからず』[随聞記3]

『参禅とは身心脱落なり、祇管打坐にして始めて得』[正法眼蔵三昧王三昧]」


只管打坐とは、

曹洞宗の開祖である道元の提唱する

“悟りを得る手立て”

です。

『ただひたすら、
瞑想することによって、
宇宙意識と繋がり、
直接的に宇宙の叡智を覚ることができる』

ということです。

宇宙の叡智を、

言葉で理解しようとするのではなくて、

直観・インスピレーション・天啓によって直覚するべく、

瞑想三昧をしましょう。

三昧とは、

『精神を集中して雑念を去ること』

です。

早朝の瞑想を日課としましょう❗️

(参考図書)
『岩波 仏教辞典』
(編者 中村元 福永光司 田村芳朗 今野達 岩波書店)

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高原茂
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