田島マカオ
78歳の親の介護。脳梗塞によるせん妄、若い頃からの精神障害、原因はわかりませんが解明しつつみおくるための記録。 いわゆるガチの毒親が認知症になると、いったいどうなるのか、ドキドキの人生です。
昨夜は、脳梗塞に大敵の1日1食を希望してきた母親。ケアマネを拒否して健康管理もままならないとなれば、保護責任放棄でオレしょっ引かれるけどいいんだな?と確認したら理解出来ない様子。 もはやちょいウソを(しょっ引かれる)混ぜてドラマチックにしてもケアマネを拒否する親。息子しょっ引かれてもいいんだってよー笑。 そこで親。祖母(母の母)を97歳まで看たわけで、わたしは完璧に介護やってきたと長口舌で演説開始。だからアンタなんてヤワだという結論に持っていくつもりなんだろとしばし
ので、リンク貼っときます だれかのお役に立ちますように ぼくもよんでみて、いずれ感想つづります https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/interview/ishikawa_01/ また、こんなケーススタディもありました。これはわりと激しさにおいてウチに似ています https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/column/toianna_02/ 今日はドン底まで突き落とされてキッチンドランカーやって体力な
やはり認知症の症状なのか(診断は受けていない)元々の性質なのか、脳梗塞やって以来、柔らかくなったりトゲトゲしくなったりが激しくて参ります。そこでふと頭をよぎったのが渡鬼。 幸楽のマダム(赤木春恵)は五月(泉ピン子)を日常的にガン詰めしてたのに、ある時突然軟化してごめんね五月とか言い出し、ピン子も絆されてここに嫁に来て良かったとか言っちゃう。 しかしマダムはそのうち前の言葉は何だったんだってくらいケロっと忘れてまたイヤなやつに戻る、を繰り返す。オロオロするだけの勇(角
親との関係性をダラダラ綴るにつれブログが木のウロのようになってしまうとこでした超あぶねー。 と、この辺で実際にどういったことに臨もうとしているか記録していきます。まだぐちゃぐちゃしてるけど。 --- 親が脳梗塞治療より一応(無理矢理)退院して今後の投薬も診察も拒否、ということは先日触れました。 そこでぼくもいい感じで投げやりになり、言うことを聞かせるストレス抱えるよりはカラダとアタマを動かして『悪化させないための料理』のことだけ考えようということに。 幸い病院の規則
幼少期からの親との想い出辿って整理した結果、ああ、毒親というやつなのかと確信したのが30歳の頃。それからしばらく絶縁して40歳の時祖母が逝ったタイミングで連絡取るようになった。 帰郷移住してから4ヶ月半、壮絶なバトルや親の入院退院、また壮絶なバトル。精根尽きた自分がここ2週間逃げ込んでいたのは3食の健康食献立作りと調理だった。 ということで、その逃げ込んだ世界から、ちらりほらりと見えてくるのは、自分の帰郷の本来の目的である。足腰立たなくなった親を、診るためじゃなかっ
母がケアマネその他完全拒否との意志変わらず、このまま僕が厚生年金積み上がらないまま将来の年金ロクにもらえねえぞと言っても理解するどころか私を責めるのかとキレてワメく始末。 こういう時、少年時代は相手に危害を加えるという発想は一切わかず、ひたすら自分を痛めつけていました。いわゆる非行というやつです。 まあ、イイ歳になってお縄になるのもかっこ悪いし、気力もわかないので身にならないジタバタをせず。まずは現状を一旦受け入れ、まずは自身の心の安寧をということで在宅ワークを探すことに
今朝起きたら左足首に激痛 久々にきたかこれ。いつもストレスフルなことがあった10日後にやってくる。 ということで今回は痛風発作をロキソニンだけで紛らすことなく病院に駆け込む。すげえ混んでる。 たぶんこの中で最年少ではあるが、今現在いちばん痛みレベル高いのは自分だ、とちょっとだけ威張ってみたがこれが1時間待ち。のたうちまわりながら待合室に置いてたドラえもんに救ってもらった。 医師によると、はぁぁこれは体重減りすぎですよ、ストレスですね、と。血液検査結果は後日出るらしい。
介護やってると目の前が暗くなる時多いけど、少なくとも日々の自分のタスクに本人と自分の未来がかかってると思えば、そのこと自体が光である、なんていえなくもない。 ということで、人間の性格をどうこうするなんていう途方もないことは一旦忘れて、目の前の生活が少しでも豊かになるような工夫を楽しむことに全振りする。 途方もないことは、やはり途方もないことであって、拘泥していると不全感に苛まれてそのぬかるんだ泥が足枷になる。 元々趣味といっていいほどリラックスできることは料理と物の整理
いつかおまえも歳をとるぞ、そんなのはわかっている。これから徐々にわかるし資料も数多ある。 いつかおまえも歳をとるぞ、という言葉に対する私達世代の正しい返答は、だからどうした、だ。 僕らが老齢になる時には荒野に放り出されるような時代になっていることはほぼわかっている。今の老人のアドバイス9割スルーがいい。 前時代の価値観に縛られず、ロマンを一旦忘れて、ひたすら現実的に、情報を理性的に合理的に整理しておかなきゃ、感情に流されちゃ詰む。 ということで、感情を逃すために、とい
太古の昔からのことを何となく想像してみると、現代はやはり介護というものをちゃんとサポートしてくれる動きがあるからか、各ファンクションを細分化して対処法が整理されている。 そのことはとても助けになる。 自分もその流れで、今直面している我が家のケースに応じて、果たしてどんな労働・対応が、それぞれどんなタスクなのか細分化して整理している。 肉体労働、頭脳労働、感情労働に分けてね。 それぞれに一体どんなタスクがあるのか、それぞれがどのくらいのこちらのキャパで対応可能なのか、具
今日は入院費を払って、医療相談室に。 母の今後の定期診察拒否、薬服用拒否の旨を伝え、ネグレクトしているわけではないことを告げる。 担当の方は理解を示して書面取り交わすことを了承してくれたばかりか、ぼくの黄疸症状を指摘してくれた。 自分は半分投げやりになってた数日だったが、素直に医療機関にかかることにした。まあ数日ロクに食べなかったせいで栄養不良なのに加え肝臓でも悪いのだろう。 自己愛が肥大してこちらに攻撃の手を緩めない母のために病気になるのは悔しいので、とはいえやっぱ食
今日はとにかく病院やら包括支援センターやら、事務処理に走って、精神科に睡眠薬もらって帰ってきたんだ。 それを告げたら親 『はは。また私を責める材料を備えてきたな。』 と。 『おー、勘がいいな〜。その通りだよ〜。ワハハハハ。』 って答えておいた。 そのあとじっくり目を見て 『人を悲しませることが、ほんとうに好きなんだね。』 って言ったらイジけて寝たよ。 いやー、ほんとしょーもねーなと。 でも、めっちゃうまいご飯作って食わせた。 まあ、これは認知症の症状ではなく
お前が帰ってきてから私の自由は無くなったと言われ、ああ、完全に壊れてしまったなとの理解。 昨日ケアマネージャー契約の予定が、ご本人の了解を取れないということは何もできませんとのことで、正常な判断できないご本人に了解なぞいつになったら取れるんですかと質問。 すると、粘り強く説得するしかないですねと。 してるんだけどな。まあ、制度上の問題で致し方ないのだろう。 土日月、一食も摂っていなかった私が今朝、家の中でふらついた。それを見た彼女。 『そうやっておまえは私を責めるた
今日、ケアマネージャーの面接だったんだけど、親が拒否したため、契約できないし相談も乗れないと言われたよ。 これで公共サービスからも社会から切り離されることがわかり、別の方策を考える段階に来たと思う。 がんばってみる! 持久戦になりそうだわ。 具体的には、『ケアマネージャーを拒否することで、息子であるオレもサービス受けられなくて、働きにも出られなくて、年金を積み立てることができないから、老後野垂れ死にすることになる』 と母に懇切丁寧に話すも 『そうやって私を責めるのか
これからここに書いていきます。 親が退院後(1時間前)夜中2時半に叫ぶ 『風呂入れろ。39度だぞ。』 今は流れに乗ってやろうと冷めるのを加味して41度で入れる。 そのあと、入院後のアレやこれや恨みつらみを叫ぶ。近所に聞こえるテノールボイスだ。 そのあと小さい頃からの辛かったことを叫びながら入浴中 これ、せん妄を超えて認知症だと思うのですが、叫び方がクレイジーすぎる。介助しようと触れるとテメーなんかに触られたくねえと。この世の中に私ひとりだと叫ぶ。んで、這い
ここ1カ月は、家のアポー化プロジェクト。MacBookAirとiMacを一気買いして気分を一新する試みをしました。 やりたい事があってそのためのツールを揃える、ではなく、ツールを揃えてからやりたいことを考えるというムチャなアプローチ。 しかし、このことは思ってた以上に自分を見つめなおすキッカケをくれた。 アポー達は早速問いかけてきた。 『きみはいったい、ぼくらとどんなことをしたいんだい?』 詰まった。それはすなわち、きみはどう生きていきたいんだという問いのようなものだか