田島マカオ
78歳のひとり親(母)の介護。脳梗塞によるせん妄、若い頃からの精神障害による攻撃性、認知症?(本人診察ガチ拒否)原因はわかりませんが解明しつつみおくるための記録。 いわゆるガチの毒親が認知症になると、いったいどうなるのか、ドキドキの人生です。只今息子(ひとりっ子)である私が寝込み中。
今日は包括支援センターに、母がサービスを受ける意思があることを伝え、支援を受けるにしても、一体サービス自体がどのようなメニューを含んでいるかについて網羅的にわかる資料を提示してほしいと告げました。職員が即答できなく極めて断片的なことをポツポツと居丈高に告げてくることに苛立ちを感じながら必要なことをメモして帰ってきました。 隣の振興局(帯広)管轄の職員に知己があるのだがもう数段階レベルが高いです。今日向かうにあたってその方より予め情報収集はしておいたのでまだ助かったが、
前回、母親、ケアマネ契約への抵抗が少しばかり和らいだ、ということを報告しました。 そこで、前回下記の懸念事項を挙げました。老齢の人間にはありがちなところです。 いざケアマネ契約の段階で彼女のヘソを曲げないように、しなやかに持っていかなければならない 今夜の彼女なりの理解や決意が、一晩でお空に消えていかなければいいなと願う この2点目について、本日それなりのやりとりがありました。 僕『先日話したケアマネの件、明日手続きに行ってこようと思うんだけど。あくまでも非常時の保
たった今、の話なんですけど、親とそこそこディープな話し合いになりまして、その中でケアマネジャー契約の話題にもなりました。 そもそも彼女がケアマネジャー契約を頑なに拒否していたのはこういった恐れからだったようです。 1. ケアマネジャーと契約すると、施設にぶち込まれて放っておかれる 2. 医療関係のあれこれに干渉されて、病院に入院させられる 3. オカミ(国)のカネをズルズルと浪費するのは嫌だ(プライドが許さない) 気高いのかワガママなのかよくわかんないですよね。
今朝は選挙、開始時刻の朝7時に連れていけというので朝5時にお粥が仕上がるように仕込み、朝から食えないと案の定言われ、歯軋りしながら行ってきました。 道中やはりその意識の高さからか荒ぶっており、後部座席からパワハラ野郎さながらの演説をぶっていて僕は笑顔でストレスMAX。安定のネトウヨ老人だ。投票所着いて車椅子乗せても杖で方向指示しながら威張ってる。晩年の内田裕也かよ。 、、、と、でも帰りはなぜか身も心もスッキリ。なんだろこの感覚。 ----- 母は2週間前から投票日のこ
ここ数日言い合いや籠城(笑)、体調不良合戦、等々を経験して、危機状態の中で繰り返し自分に言い聞かせたことは『自分がダメになったらおしまいであり、そのために罪悪感を抱かないこと』でした。 疎ましいが出来れば相手を理解したい、今すぐ消えちまえと何度も思いつつ塩分とか味を気にしたりする。自分の感情の位置を何次元の座標で表せるかわからんのです。これは介護に限ったことじゃありませんが。 厄介なのがその中に潜む罪悪感がモグラのようにぴょこぴょこ出ては齧ってくること。これは確実に
『年寄りだからかわいそうとか、狂った相手に手加減してると、こっちが死ぬよ』 これ、色んな人に言われたんだけどまじかもね。ということで、きのうついに身体が動かなくなり、トイレと料理は気合いでやってました。ぼくがね。 ということで、前の職場であまりの激務に身の危険を感じてメンクリ駆け込んだ時にもらった漢方薬を昨日飲み始めました。もらった時はなんだか気がへんになって働き続けられないことへの恐怖から飲まずにおいたのです。 まあ、そもそも漢方だからそんなキツくねえだろうなと、あま
昨夜は、脳梗塞に大敵の1日1食を希望してきた母親。ケアマネを拒否して健康管理もままならないとなれば、保護責任放棄でオレしょっ引かれるけどいいんだな?と確認したら理解出来ない様子。 もはやちょいウソを(しょっ引かれる)混ぜてドラマチックにしてもケアマネを拒否する親。息子しょっ引かれてもいいんだってよー笑。 そこで親。祖母(母の母)を97歳まで看たわけで、わたしは完璧に介護やってきたと長口舌で演説開始。だからアンタなんてヤワだという結論に持っていくつもりなんだろとしばし
ので、リンク貼っときます だれかのお役に立ちますように ぼくもよんでみて、いずれ感想つづります https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/interview/ishikawa_01/ また、こんなケーススタディもありました。これはわりと激しさにおいてウチに似ています https://kaigo.homes.co.jp/tayorini/column/toianna_02/ 今日はドン底まで突き落とされてキッチンドランカーやって体力な
やはり認知症の症状なのか(診断は受けていない)元々の性質なのか、脳梗塞やって以来、柔らかくなったりトゲトゲしくなったりが激しくて参ります。そこでふと頭をよぎったのが渡鬼。 幸楽のマダム(赤木春恵)は五月(泉ピン子)を日常的にガン詰めしてたのに、ある時突然軟化してごめんね五月とか言い出し、ピン子も絆されてここに嫁に来て良かったとか言っちゃう。 しかしマダムはそのうち前の言葉は何だったんだってくらいケロっと忘れてまたイヤなやつに戻る、を繰り返す。オロオロするだけの勇(角
親との関係性をダラダラ綴るにつれブログが木のウロのようになってしまうとこでした超あぶねー。 と、この辺で実際にどういったことに臨もうとしているか記録していきます。まだぐちゃぐちゃしてるけど。 --- 親が脳梗塞治療より一応(無理矢理)退院して今後の投薬も診察も拒否、ということは先日触れました。 そこでぼくもいい感じで投げやりになり、言うことを聞かせるストレス抱えるよりはカラダとアタマを動かして『悪化させないための料理』のことだけ考えようということに。 幸い病院の規則
幼少期からの親との想い出辿って整理した結果、ああ、毒親というやつなのかと確信したのが30歳の頃。それからしばらく絶縁して40歳の時祖母が逝ったタイミングで連絡取るようになった。 帰郷移住してから4ヶ月半、壮絶なバトルや親の入院退院、また壮絶なバトル。精根尽きた自分がここ2週間逃げ込んでいたのは3食の健康食献立作りと調理だった。 ということで、その逃げ込んだ世界から、ちらりほらりと見えてくるのは、自分の帰郷の本来の目的である。足腰立たなくなった親を、診るためじゃなかっ
母がケアマネその他完全拒否との意志変わらず、このまま僕が厚生年金積み上がらないまま将来の年金ロクにもらえねえぞと言っても理解するどころか私を責めるのかとキレてワメく始末。 こういう時、少年時代は相手に危害を加えるという発想は一切わかず、ひたすら自分を痛めつけていました。いわゆる非行というやつです。 まあ、イイ歳になってお縄になるのもかっこ悪いし、気力もわかないので身にならないジタバタをせず。まずは現状を一旦受け入れ、まずは自身の心の安寧をということで在宅ワークを探すことに
今朝起きたら左足首に激痛 久々にきたかこれ。いつもストレスフルなことがあった10日後にやってくる。 ということで今回は痛風発作をロキソニンだけで紛らすことなく病院に駆け込む。すげえ混んでる。 たぶんこの中で最年少ではあるが、今現在いちばん痛みレベル高いのは自分だ、とちょっとだけ威張ってみたがこれが1時間待ち。のたうちまわりながら待合室に置いてたドラえもんに救ってもらった。 医師によると、はぁぁこれは体重減りすぎですよ、ストレスですね、と。血液検査結果は後日出るらしい。
介護やってると目の前が暗くなる時多いけど、少なくとも日々の自分のタスクに本人と自分の未来がかかってると思えば、そのこと自体が光である、なんていえなくもない。 ということで、人間の性格をどうこうするなんていう途方もないことは一旦忘れて、目の前の生活が少しでも豊かになるような工夫を楽しむことに全振りする。 途方もないことは、やはり途方もないことであって、拘泥していると不全感に苛まれてそのぬかるんだ泥が足枷になる。 元々趣味といっていいほどリラックスできることは料理と物の整理
いつかおまえも歳をとるぞ、そんなのはわかっている。これから徐々にわかるし資料も数多ある。 いつかおまえも歳をとるぞ、という言葉に対する私達世代の正しい返答は、だからどうした、だ。 僕らが老齢になる時には荒野に放り出されるような時代になっていることはほぼわかっている。今の老人のアドバイス9割スルーがいい。 前時代の価値観に縛られず、ロマンを一旦忘れて、ひたすら現実的に、情報を理性的に合理的に整理しておかなきゃ、感情に流されちゃ詰む。 ということで、感情を逃すために、とい
太古の昔からのことを何となく想像してみると、現代はやはり介護というものをちゃんとサポートしてくれる動きがあるからか、各ファンクションを細分化して対処法が整理されている。 そのことはとても助けになる。 自分もその流れで、今直面している我が家のケースに応じて、果たしてどんな労働・対応が、それぞれどんなタスクなのか細分化して整理している。 肉体労働、頭脳労働、感情労働に分けてね。 それぞれに一体どんなタスクがあるのか、それぞれがどのくらいのこちらのキャパで対応可能なのか、具