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寂しさ、がもたらすもの

 今日は包括支援センターに、母がサービスを受ける意思があることを伝え、支援を受けるにしても、一体サービス自体がどのようなメニューを含んでいるかについて網羅的にわかる資料を提示してほしいと告げました。職員が即答できなく極めて断片的なことをポツポツと居丈高に告げてくることに苛立ちを感じながら必要なことをメモして帰ってきました。
 
 隣の振興局(帯広)管轄の職員に知己があるのだがもう数段階レベルが高いです。今日向かうにあたってその方より予め情報収集はしておいたのでまだ助かったが、これではあまりといえばあまりの対応。
 
 加えて連絡不備、見えていないフローチャート、残念なところは一旦ハラに収めてことなきを得ました。
 
 帰宅後母は憮然としてる僕をみて、僕の喧嘩っ早くせっかちなところを心配していたのか、ケンカしてきたと思ったのか、やけに譲歩したような態度をとってきたんですよね。どうした。それではまるでオレが面倒を見られてるみたいじゃないか。確かにこの1ヶ月は余計にピリピリしていたからそんなプレッシャーを感じていたのかもしれないですけど。
 
 僕は真鱈の子とこんにゃくの煮物とひじきの煮物を黙々と作り、今後のことを母に一言二言と告げる。支援を受けるにも本人の健康への意識がある程度のレベルでないと支援しかねるだの、まあそんな感じのことです。すると
 
母『ただでさえ年寄りが増えて、あんたみたいな鋭いやつが責めに来て、すぐネットに悪口を書かれて、職員のひとたちも疲れてるんだから、私は言うことを聞こうと思う。』
 
 あらそうかい、と返事しながら、こんなに物分かり良くて、死亡フラグなんじゃねーかと一瞬思いましたね。
 
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 ここで、寂しさ、についてなんですけど、怒りの原動力って、寂しさがかなりを占めるんだろうなって気がしてます。自分もそうかもしれない。この仮定を一旦自分の中にセットして意識して親に接してきたこの1ヶ月。それなりの効果があったんですよね。もちろん、相手の要求に全部応えるとか機嫌を取るとか、そういうんじゃない。とにかく顔がいつも見れる、という状況を保ってみました。
 
 ただ、これをエスカレートさせると今度は親が錯覚して甘えから無理難題をふっかけてくるかもしれない。そのギリギリ手前に持っていくこと。これを試行錯誤しながらやってみました。
 
 まだ道半ばで成果なんていうものではないけど、それなりの手応えを感じています。少しずつ、こちらの提案を理解するようになってきたんですね。あとはひたすら行動にて示し、その根拠を説明することをしました。(住環境や介護にまつわる手続き等)環境を整えるためにどれだけの作業が必要か、ひとつひとつ簡潔に母に説明しながら動き回る自分を見せました。
 
 その中には、ああ手続きで忙しい忙しい言いながら家を出てサウナでボケーっとしてたのも3割含みますけど。
 
 以上、支援センターでやってきたこと、この1ヶ月親との接し方を意識して実践してみたということ、を記録しておこうと思いました。各論の掘り下げはいずれ(逃げw)
 
 あ、最後に、親が通院の意思を示してきました。たったいま。大丈夫か病院行ってもいいなんて。喜んで連れていくけど。
 
 
<FINE>

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