僕の過去について①
僕は現在30歳。人の一生は、大なり小なり、誰しもが酸いも甘いも経験しているとは思いますが、これまでの僕の人生はどのようなものだったのか、振り返ってみようと思います。
最初に申し上げておきますが、僕がこれまで歩んできた人生はとても中途半端なものでした。人様から羨ましがられるような人生を謳歌しているとは口が裂けても言えません。
それでも僕がこれまでどのように生きてきたのかということをnoteに書くことで、これを見てくれている読者の方の心の支えになったり何かしら役に立つ情報などもお伝えすることができるかもしれないと思っています。
そのために、自分事の話をどのように伝えていけば読者の方に興味を持ってもらえるのかということを毎回考えながら書いていこうと思います。
今回は、一つ思いつきました。
学校ヒエラルキーについて、話していこうと思います。
誰もが一度は聞いたことがあるかもしれないこの言葉。
学校の人間関係にも社会的な構造のように階級があるとする見方です。
小学校から大学時代までの僕のヒエラルキーはどんなものだったのかなと振り返ってみました。
小学校は中の中〜中の上くらい
中学校は中の中くらい
高校では下の中〜下の下くらい
大学では下の上〜中の中くらい
だったと思う。
もちろん肌感覚です。
特に辛かったのは高校時代です。
僕は小さいときから人の目を気にしやすい子でした。これまでの人生の中で心から楽しんでいた時期が少ないです。
小学校はまだ特性も目立たず周りとの差もそんなになかったのですが、中学校からは思春期の時期も相まって気持ちが繊細になっていたんですね。
中学一年の頃に入ったバスケ部を一年で辞めました。どこもそうなのかもしれないですが、中学校や高校のほとんどの球技の部活は、やんちゃというかエネルギッシュというか、若者らしい子たちがやっています(まあ、若者なのでそれが普通なのですが(笑))。
バスケ部を辞めるときビクビクしながら先輩に退部しますと伝えたんですが、案の定とても怖かったです(笑)
バスケ部を辞めて二年目からはバドミントン部に入りました。
もちろんバスケ部よりは上下関係はキツくなくて、気持ち的にも合いそうな同級生も多かったので精神面では多少は楽になったのですが、それでも自分の殻を破ることはできませんでした。
ちなみに恥ずかしながらヤンキーでもないのに中学二年で初めて眉剃ったりしてみた時期もありまして、でも何も変わりませんでしたけどね(笑)
高校時代には登校拒否、不登校を経験しました。
高校生らしいノリと勢いについていけなかった。何よりみんなからの反応が怖かった気がします。
毎日学校があるのが辛くて、毎週土日が来くるのを待っていました。
彼らのことを羨ましく思えたけど、僕にはできませんでした。
ある日学校サボってるときに高校側(担任)から家にいた父親に電話がかかってきたらしく、そのことで僕が学校行ってないことがバレて、下校時刻に合わせて帰宅したのに玄関入るや否や父親に頬をビンタされました。
「お前どこいってた?先生から電話あったぞ!学校行ってないのか?」って。
その時にあーあ、しまったと思いました。
お互い、ちょっと泣いてたかな。
僕の記憶が確かならば、30年生きてきてめちゃくちゃ怒られたのは、眉を剃った中2のときと、これまた中2か中3のときに公共機関を子供料金で乗ろうとしたことがバレて親に電話されたとき、そして不登校がバレた高校1年のときです。
周りにも迷惑をかけるし、もう犯罪はしないと心に誓いました。
2浪後に楽しい楽しいキャンパスライフを夢見て入った大学では、リア充とは程遠い生活を強いられました。
単純に僕自身のやる気がなかっただけですが、バイトも恋も勉強も何もかも中途半端にすらできていませんでした。
地元の大学に通っていたんですが、敷地内には寮もあって地元生でも入寮可だったので、安くで一人暮らししたいなぁとも思ってたんですが、お金のことが心配で結局一回も寮に入ることはありませんでした。
まあ、寮は棟がいくつか分かれていて公共スペースや人によっては個室が汚かったのですが、少しは住んでみても良かったかなと今にしてみれば思います。住めば都ですし。