【ジェンダーと労働】 // じゃあ、私たちは今どう働くか。国もジャンルも違う3冊から考察します。
こんにちは。
今日は、こちらの3冊の本から「ジェンダーと労働」について考えてみたいと思います。どうぞお付き合い下さい。
◎ 今日の紹介本 ◎
絵画に潜む男性の視点を読みとき、 現代につながる社会構造を考察する(現代書館ウェブショップ)
夢を求めてアメリカ社会の中で生き抜こうとした青年…現代に繋がるアメリカ社会の断面を浮き彫りにしながら、その中に生きる人々の苦闘を描く(花伝社)
少女小説作家として一世を風靡し、若くして文壇にデビューした吉屋信子が描き上げた、「女流文壇」の草分けともいうべき十人の肖像。個性豊かに輝いた女性作家たちの魅力を、折に触れての交流の中から余すところなくすくい上げた自伝的エッセイ(講談社BOOK倶楽部)
◎ はじまりは、「アメリカの悲劇」を読んで、縫製工場の女工に興味を持ったこと
物語の中で、主人公のクライドと縫製工場で働く女工のロバータは恋に落ちます。共に貧しい家庭出身で、美しい顔立ちをしている。その似通ったふたりが、幼馴染が惹かれあうような形で付き合い始めるのですが、悲劇的な展開を迎えることになります。
その理由の一つが、当時の女性が置かれていた立場によるものでした。
ところで、女工って言葉自体、今はあまり聞きませんよね。でも、小説の世界ではちょいちょい出てきます。つまり、当時の女性労働者を知るにはかなりの重要ワードということです。彼女らはどのような人たちだったのでしょうか?
私の過去記事です↑↑
「働く女たちの肖像」で、お針子の意味を知って、腑に落ちる
もう一冊のご紹介したい本「働く女たちの肖像」を読んで知りましたが、当時、貧しい家庭出身の女性が就労できる仕事は限られていたようです。
アメリカとフランスで国は違いますが、以下を参考にしてみます。例えば、今では憧れのバレエ・ダンサーですが、当時は存在の意味合いが異なっていました。
*アメリカの悲劇が出版されたのは1925年です。
お針子というのは、縫製業に就く女性のことを指しますが、当時のフランスでは、「自らの手で働いて給料をもらわなければならないお針子や縫製女工、帽子女工のこと」を「グリゼット」と呼んでいました。
これは職業の意味だけではなく「性の気軽な遊び相手という意味も帯びてい」て、「貧困と無学ゆえに男性から搾取されやすい存在」だったと言われています。
これらを知ると、縫製女工のロバータの扱われ方も理解できてきます。クライドにとって、ロバータは、身近にいた付き合いやすい恋愛相手にすぎなかったのかもしれません。なぜなら、その後すぐに、階級の高い女性に心変わりするからです。
これが単に恋愛にありがちな別れ話で済めばいいのですが、現在と違うのは(いえ、現在も同じかもしれませんが)、女性ひとりのお給料ではとても生活できず、結婚するしか生きていく術はほとんどなかったこと。
そして、宗教及び法律によって、人工妊娠中絶は禁止されていたということです。
これらのことからも、ロバータがかなり窮地に置かれるていることが伝わるでしょうか。(実はクライドも窮地なのは同じです)。
◎ 「働く」目的は時代によってかなり変わる
――ところで、皆さんにとっての働く目的はなんでしょうか。
人それぞれ、答えは違うと思います。生活のため、資産を増やすため、自己実現のため、家業を継ぐため、等々あるでしょう。何となくという方も多いかもしれませんね。
著者の永澤さんが、当時の女性の働く目的について書いているくだりがあります。
現在ももちろん生活の糧のために働いている方はたくさんいるでしょう。しかし、ここで述べているのは、女性の労働に多様性がなかったということです。
女性が働くことに対してポジティブなイメージがある今と違って、圧倒的な負のイメージがつきまとっていたのです。
そして、ショッキングなことですが、当時の働く女性たち(お針子やダンサー、モデルなどでも)は長時間働いていても低賃金だったため、貧しさから娼婦として副業せずには生きられなかった人が大半だったとも本書では書かれています。
一方で、じゃあ、働いていない女性はどうだったのか気になりますが、彼女らは「結婚」し、「良妻賢母」という規範的意識に従って生きていくことが求められていました。
◎ 男の芸術家は女たちの営みをどう描いたか
「働く女たちの肖像」では、働く女性の絵から、「男性には働く女性がどの様に映っていたのか」=「男性の視線」を浮き彫りにする試みがされています。
本を読み進めていたある日、私はイライラしている自分に気がつきました。そして驚いたことに、自分に価値がないとまで思いつめていたのです。
初めはこの感情がどこから来るのか分からなかったのですが、向き合ってみると、どうやらこの本から影響を受けているようだと認識できました。
それだけこの本は徹底的に男性視線が書き込まれ、女性側の生の本音が全く聞こえてこなかったのです。
◎ そこへ吉屋信子登場。日本の女性作家たちの多様な個性を描き出す。
吉屋信子は、熱狂的なファンが当時も今もいる小説家です。1896年(明治29年)に生まれ、やはり彼女も、進学よりも裁縫を、そして良妻賢母になることを求められました。
しかし、女学校で講演した新渡戸稲造による「あなた方は良妻賢母になる前に、一人のよい人間とならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです」との言葉に感銘を受けます。
その後、吉屋は「女性が憧れる女たちの世界を描」き、新しい価値観を提示することで女性読者たちから熱い支持を受ける様になります。また、男性の大御所たちからも肯定的な評価を得ていました。
と、ここまで書いて、吉屋信子は「選ばれし者」だからそんな生き方が出来たんじゃないかと思われるかと思いますが、
私が伝えたいのは、吉屋が「自伝的女流文壇史」で、女性視点で女性が働く様子を描いたということです。女性たちの声がやっと聞こえてきたのです。
吉屋は、仲間であった女性の小説家たちを驚くほどよーく観察しています。鋭く複雑な視線を持って、これまたリアルで豊かな表現力で描き切っているので、ここまで話しちゃって大丈夫か?と思うほどです(どの人も鬼籍後に書かれています)。
けれど、田辺聖子が「女性の知性とやさしさを信じ評価した作家」と吉屋について述べているように、女たちへの信頼や結局は肯定しているんじゃん!といった姿勢に、手厳しいわりには友情らしき温かいものを感じるのです。
その証に、作家たちは結構、吉屋に本音をぼろぼろ話しちゃっている。(そしてそれらを覚えている吉屋信子)。なんだかんだ互いに義理堅く、助け合っていたのだと思います。
◎ じゃあ、私たちはどう生きたらいいのか。
今日紹介した本の地続きにいる現代の私たちは、じゃあ、どう生きたらいいのか。
私が思うのは、まずは「労働に多様性があることに気づく」ということです。
かつての女性は、多様な働き方や個人のあり方は許されていませんでした。それでも、新しい芽は生まれ、社会も少しずつ変化し、今があります。
だから、働いていないというのも含めて、それぞれの働き方でいいんだと思うのです。〇〇であるべしという規範を手放して、自分なりで十分いいような気がします。女性も男性も。
相手を縛り付けるような一方的な視線はもううんざりです。だから、私たちは自分の気持ちを表現し、理解し合えないなと思う人の声も渋々だとしても耳を傾けてみる。
それが今の私たちにできることではないか。その先にきっと性差ではなく個性を持ったひとりの人が見えてくる気がします。
さて、皆さんはどう思いますか?
ここまで読んで下さりありがとうございました。興味のある本があったら、ぜひ手にとって読んでみてください。
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本の紹介をしています。また見に来てくださったら嬉しいです。