たいつ/となりのお師匠/自己肯定感の鬼👹

美しさ 愛 そして喜びについて 好きなことを好きなだけ 自己肯定感の鬼と呼ばれています。 歌うことと漫才が大好きなゴリゴリの関西人。 読むだけで自己肯定感が上がるようなシステムになっています。(知らんけど)

たいつ/となりのお師匠/自己肯定感の鬼👹

美しさ 愛 そして喜びについて 好きなことを好きなだけ 自己肯定感の鬼と呼ばれています。 歌うことと漫才が大好きなゴリゴリの関西人。 読むだけで自己肯定感が上がるようなシステムになっています。(知らんけど)

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最近の記事

徒然所感 YUKI “SUPER SLITS” から

才能とは生まれつき決まっているものだ。 身体を動かすのが苦手な子供はスポーツ選手にはならないだろうし 歌が好きじゃない子供がミュージシャンになることはないだろう。 人前に出る人たち 板の上に立つ人たちは そのように生まれてきている。 ある者は美しい目鼻立ち ある者は芸術的な骨格を携えて。 高い舞台の上でくるくると舞うYUKIちゃんは 本物の153cmのリアルファンタジーだった。 身体が動くたびに光が爆ぜる 言葉を発するたびに空気が踊る 全く世界に愛されていた。

    • やりたいことを哲学する

      やりたいことって何だろう? 子供が小さい頃、私はよう膀胱炎になってん。 赤ちゃんとか小さい子ってこっちの都合は知らんやん? おっぱいあげてる時にトイレ行かれへんし 幼稚園の帰りにこれは緊急!急ぎ足で!とかもできん。 事前に済ませればいいんやけど、生憎計画性が皆無で時間の余裕を作るという芸当ができなかった。(なので子供のせいではなく自分のせい) 行きたいのに行けないっていう状況ってそれまでそんなになかったから ああ、これですか…という感じで初めての膀胱炎になった日はかなり

      • 分断を哲学する

        分断や。 あれ、こっちも分断! 先週から分断が引き起こす事例を立て続けに見聞きしている。 なので本日のテーマはこちら、分断。 分断とは何か。  分断:あるものを別々に断ち切ること。 寸断。 社会や国家、対人関係などを二つまたはそれ以上に断ち切って互いの連携を失わせること。 小さい頃からこれとっても苦手。 あっち側とこっち側。 国と国。 社会とか環境とかあらゆるシステムに存在している。 できてる人とできてない人。 持ってる人と持ってない人。 全然わかんねぇ。ずーっと

        • 疲れを哲学する

          疲れたー! というのは私の口癖。 体力がない。気力もない。おまけに五感が割と繊細なので受け取る情報が多い気がする。(他の人はわからないから気がするとしか言えへんけど) 頑張ったー!とかにすればいいとも聞く。 充実したー!とか。 でも頑張ったっていうほど頑張ってる気もしないし 充実はまあしてるっちゃーしてるかもやけどなんかその口癖胡散臭いやん? なので、自分が気力体力の無さと繊細さのせいで疲労しやすいのかどうか、本当にそれが原因なのかを考えてみることにした。 まずこ

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        • 自己肯定感の鬼は考えた
          18本
        • わたしを哲学するマガジン
          6本

        記事

          結婚を哲学する

          夫と喧嘩をしない。 そう言うと割と驚かれる。 より自由になるために結婚した。 これも、どういうこと?ってそこそこ聞き返される。 結婚して初めて家電を選びに行った時、デザイン重視の私と機能性重視の夫、2人で選べばそのデザイン性と機能性の間のバリエーションの中から全部選べるんやん!!! と、自由度の爆上がり具合にめちゃくちゃテンションが上がったのを覚えている。 先日夫婦関係に関するインタビューを受けた。 (私は異性愛者で法律婚をしている) 結婚13年目になる夫とのことを色々

          「変わりたい」という人が本当に求めているもの

          この夏、家の中にある大きめの観葉植物の葉っぱをほぼ全部切り落とした。 わさわさ伸びていた植物から葉がなくなると、それはもう坊主と言わざるを得ないようなただの木の枝。 実は枝振りを変えるため人生で初めての剪定をしたのだ。 切った直後は マジでこれ大丈夫なんかいな。 というくらいのただの枝。各枝一枚だけ葉っぱがついてる。 しかも枝もめっちゃ色んなとこ切ってる。 マジでこれ大丈夫なんかいな!? しかし生命の力によって今現在うちの観葉植物、モッサモサ。 坊主にしてから約1

          「変わりたい」という人が本当に求めているもの

          わたしという哲学

          私とは何か こう考えたことはあるだろうか? 私とは誰か、ではない。 私とは何か。 私らしさとは何か、でもない。 私とは、何か。 哲学とは「根本的な問いや問題について考える学問や活動」らしい。 私を哲学することは、この世界を哲学すること。 その問いは 人とは何か 個人とは何か 環境とは何か などありとあらゆることに結びついていくものだから。 生命が続く限り、いついかなる時も存在し続ける「わたし」を哲学する。 それは広く、深く、限りなく素晴らしいこの世界に全力で

          徒然所感 藤井風のライブ配信から

          透明度が抜群。 自我が限りなく薄い。 超透明な筒。 歌がめちゃくちゃ上手いわけではない。 (上手いけどもっと上手い人はたくさんいる) 倍音も声も曲もいいけど肝はそこじゃない。 本人の思想と意識と作品のブレがないこと、元々持ってるコアイメージをそのまま拡張していくアレンジ、それを形にするミュージシャンやパフォーマー達。 作品と本人のズレのなさがここまでのメッセージの強さを醸し出してる。 音楽というツールを使って世界を創りたいんやろなぁ。 エンターテイメントというより、もうち

          徒然所感 藤井風のライブ配信から

          この鬱々とした気持ち、どうしてくれる!!!

          こんな時ないやろか。 私はある。 まあまあちょいちょいある。 今日も朝起きてからそんな気分やった。 自己肯定感の鬼とか言うてるし、いつもどんな時でもハッピーで感謝! みたいな感じやと思われてることもあるけど んなわけねぇ〜! そんなわけがない。(2回目) っていうかそれなら人類とっくにやり終わってるはず。 菩薩や菩薩。 鬱々だけじゃなく あーもう本当消えてしまいたい! お前マジぶっ飛ばすぞ! どの口が言うてんねん!! など一般の人が考えうる悪口各種取り揃えて

          この鬱々とした気持ち、どうしてくれる!!!

          クリエイターと集合意識

          先日宇多田ヒカルのインタビューを見て、人間の意識における"集合意識"という概念について考えた。 "集合意識”とはざっくり言うと人類みんなの意識が繋がっている部分、つまり共通の意識の場所のこと。 離れた場所に住む猿たちが、ある種の道具使用を同時に始めるという不思議な現象があると言われてるように、人間は深いところでみな繋がっている。私が考える"集合意識"とは、そういった繋がりの場所を指している。 一般的に、顕在意識は意識の5%程度、残りの95%が潜在意識と言われている。 宇多

          あんた!かっこええな!

          昨日夜ご飯を食べたお店の駐車場で、 長男が1円玉を拾った。 「どうしたらいい?」と聞くので 「お店の人に渡してきたら?」と私。 1人で店内に入り、店の人に説明し、1円を渡して帰ってきた。 彼は小さい頃からとっても慎重なタイプ。 新しいことや場所はもちろん、緊張することは親についてきてと頼むことが多い。 その彼が、1人で。 割と後先考えずに思ったらすぐ行動、緊張とか知らん!タイプの私と夫は、 いつでも彼の慎重さをちょっとヤキモキしながら見ていたんやけど。 ヤキモキ、

          私これ何のフェーズ?

          私のやってることって何やろ? ここ何年かずーっと思ってたこと。 人が自分らしく人生を楽しむためにはある程度効率のええステップがあると思ってて。 それが 自己理解→自己受容→自己実現 という順番ちゃうかなと。 (もちろん全員がこうした方がええ!というわけではなくて、私がこの順番が効率ええんかもなと思っているだけ) 今の時代、この一連の流れをやってる人がたくさんいて。 どのフェーズが上とか下とかもちろんないし、先がいいとか後がええとかももちろんない。一個をきちんと終えて次

          鬼自分らしく生きてきた私がなんでSENSE入ったん?

          自分らしさとかマジ考えたことないわ〜 と言うのが本音。 これ言う人には2タイプあると思う。 ①自分らしく生きすぎてて考えたこともなかった人 ②他人に合わせすぎて自分がなくなった人 私の場合は① 小さい頃からずっと自分のやりたいことを、やりたいように、自由にやってきた。 自分らしさについて悩んだことは一応ちょっとだけある(思春期) が、 だから何や? と思っていた。 迷ったり悩んだりしてんのが私やんけ、と。 なので自分らしさとか考えたこと、マジでなかった。 自分って

          鬼自分らしく生きてきた私がなんでSENSE入ったん?

          「たいつ」とは何か ー学生編ー

          自己肯定感の鬼。 それが私のキャッチコピー。 自分でつけたが割と親和性あるなと感じている。 どのように育ってきたのか 何を考えて生きてきたのか 私自身を紹介していこうと思う。 おおらか、陽気、気が長い。 育児に最も向いている資質を兼ね備えている母親。 子供が大好きでものすごく他人を尊重してくれる父親。 そんな両親に育てられた。 字面だけでもわかるように、結構な感じで伸び伸び育った。 しかし幼稚園という社会に入ると状況は一変。 自分中心に回っていた家庭内と違い、社会は自

          「たいつ」とは何か ー学生編ー

          「生きてることこそが価値だ」と思うようになった理由

          「人は生きてることこそが価値だ」 それを人に伝えて達成してもらう(そう生きてもらう) ということが私の今回の人生でやることです。 今私が提供しているサービスややってることは全部、この目的を達成するための手段です。 今日は何でそう思うようになったかのきっかけを書いてこうと思います。 高校生くらいの時に、祖父がなくなりました。 彼は入院していて、もうあまりもたなさそう、ということで家族全員で病室にいました。 ところがなぜか、私以外の全員がいなくなった瞬間がありました。 病室には

          「生きてることこそが価値だ」と思うようになった理由

          自己肯定感の鬼って何なん?

          みなさんこんにちは。 自己肯定感の鬼、たいつです。 自己肯定感の鬼って何?って思いますよね。 自分でつけたキャッチコピーなんやけど私もそう思ってます。 自己肯定感がとりあえずむっちゃ高そう、と言うイメージでつけました。 私自身は自己肯定感とかほんまはどうでもええんです。 自分自身と仲良くなるきっかけを見つけてもらえたらな〜 そしてそれがなんかちょっとおもろいな〜というきっかけになればな! という気持ちでつけました。 私は普段自分の自己肯定感について考えることはありません。