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「たいつ」とは何か ー学生編ー

自己肯定感の鬼。

それが私のキャッチコピー。
自分でつけたが割と親和性あるなと感じている。

どのように育ってきたのか
何を考えて生きてきたのか
私自身を紹介していこうと思う。

おおらか、陽気、気が長い。
育児に最も向いている資質を兼ね備えている母親。
子供が大好きでものすごく他人を尊重してくれる父親。
そんな両親に育てられた。
字面だけでもわかるように、結構な感じで伸び伸び育った。

しかし幼稚園という社会に入ると状況は一変。
自分中心に回っていた家庭内と違い、社会は自分一人のためには回っていない。
加えて私は他の子供達の価値基準が全く理解できなかった。
自分と他人って違うんだなぁ!と子供心に強く思ったのだ。
だからと言って幼稚園が嫌いになることはなく、結構楽しんでいた。
が、自分以外は全員宇宙人だとこの時から感じていた。

勉強もそこそこできて、他人と話すのも好き。
小学校もエンジョイ。
そして6年生の時に転機が訪れる。

「ソフィーの世界」

ご存知だろうか?
その時すごく流行った哲学小説。
母親が借りてきたのだと記憶している。
テーブルの上のなんか分厚い可愛い本。
本好きだった私は迷わず手に取った。

自分とは何なのか
人はなぜ生きているのか

数々の問いが私の心を鷲掴みにした。

え、まじで、なんで生きてんねやろ!
私って何やろ!
全然わからんやん!!!!!

あまりにも面白くて全力で読んだ。
そしてその時から、

自分が何を考えていて、なぜそう考えているのか
自分が何を感じていて、なぜそう感じているのか

自分自身の内側を観察することを始めたのだ。

同じ頃、私は中学受験用の塾に通い始める。
が、突如私は塾でいじめを受けるようになった。
そんなひどいものではなかったのだが、今まで一緒にお弁当を食べたりバスでおしゃべりしたりしていた子達から一斉に無視されるように。

なんでや

ああいうのって不思議で、初めは認めたくない。
あ、挨拶聞こえへんかったんかな?
なんか今日機嫌悪いんかな?

でも何日も続くと流石にわかる。
無視されてる〜〜!!

それを理解した時、泣きながら家に帰った。
母親はびっくりして訳を聞き、私は状況を説明する。
そしたら彼女はやんわりと一言。

「それは嫉妬されてんねやな〜」

!!!!!!!!!!!!!!!!
そうか!!!!!
それはしゃーないわ!


と私は思ったのだ。

中学受験というのは、早い子は3年生くらいから勉強を始めている。
小さい頃からずーっと塾に通っているのだ。
でも私が勉強を始めたのは5年生の最後。ほぼ6年生。
そして私は彼女達より成績が良かった。
毎月あるテストでクラスが成績順で分かれるため、点数の優劣は誰でもわかる。

何年も通っている子供達が最近入ってきた子に抜かれたら、そりゃあ嫉妬もするだろう。
意地悪な気持ちになっても仕方がない。
私は彼女達の気持ちが想像できたのだ。
そりゃ仕方ねぇわと。

いじめられて傷つけられたことはすげー腹立たしかったが、
かと言って彼女達を責めても仕方がない。
彼女達には彼女達なりの理屈があるのだ、と理解した。

人はみんな考えていることが違う。
自分の事だけを考えていては自分のことしかわからない。
相手の立場を想像すると見えてくるものがあるのだと私はこの時知った。

人の数だけ世界があるのだ、と。

その後、まあ塾なんて勉強しに通ってる訳やし友達おらんくてもええか〜と気楽に行き始めたら、いじめてきた子供達なんてどうでもよくなった。勉強することだけに集中できたし。

そしてそこから私は自分の内側だけでなく、自分の内側と外側の現実世界との関係性も何となく観察するように。でもこの時はまだ、内側と現実が繋がっているなんて思いもしていない。

その後私は無事、自分をいじめていた子達よりええ中学校に合格し
ものすごく楽しい学生生活を始めた。
大学までついていたら受験せずに済むやん!という小学生にしてはかなり打算的なチョイスで選んだエスカレーター式の学校。
女子の人数が少なかったため女同士のややこしさが一切なく、受験のストレスもないので勉強もそこそこでいい。
みんな自分の好きなことをやっていた。
想像のつく通り、伸び伸びに拍車がかかったのだ。

そんな中学時代、祖父が亡くなった。
病気で入院していて、そろそろ危ないと言われて家族で病室へ。
みんなで彼のベッドを囲んでいたのだが、なぜか一瞬病室に私以外の誰もいなくなった瞬間。
なんと祖父が息を引き取った。

うそやん

おじいちゃん死んだんやけど!
というパニックと、
なんで今やねん!
というので頭はいっぱい。
10代の少女の頭は爆発しそう。

しかしパニックになりながら私は同時に考えていた。

「おじいちゃん、もう生命としての価値は無くなったんやな〜」

無くなった人が生き残った人に別の価値を付与することはもちろんある。
愛情や思い出、物理的に何かの価値を残すことはできる。
死後の世界があるのかわからないけど、魂としての価値みたいなもんやってあるかもしらん。
でも、生命としての価値、というのは生命活動が止まるとなくなるのだ。

「じゃあ、生き物の価値って生きてることやん。生きてることこそが価値やん。」

自分とは何か、生命とは何か、人間とは何か。
哲学的な問いを考えてきた私にとっての斜め上からのアンサー。

「生きてることこそが価値」

あらゆる問いの直接的な答えとしてはなんか違うような気もするが、これが理解できたらいろんな問いがどうでもええんちゃうかと思えてきたのだ。

元々伸び伸び育ってきて、親から何かを期待されてきたこともなかった。
好きなことややりたいことばかりをやってきた。
それにプラス「生きてることが価値」やん、とか思い始めたらもうあかん。
私の自由さに拍車がかかる。

バンド活動を始め、部活をやり、勉強も適当に。
夜中まで歌の練習をし、友達と遊び、彼氏を作り、たまに先生に怒られる。
思いつく限りの楽しい学生生活はほとんど全部やった。

今考えるとほんま環境に恵まれていたなと思う。
両親と友達、先生も、ただただよくできた人たちだったのだ。

次回、音楽編に続く。

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