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人間は欲望に駆られると、道をはずれる生き物【多田修の落語寺・黄金餅】

落語は仏教の説法から始まりました。だから落語には、仏教に縁の深い話がいろいろあります。このコラムでは、そんな落語と仏教の関係を紹介していきます。今回の演題は「黄金餅」です。

 寺を持たず下谷(台東区)の長屋に住む貧しい僧侶・西念が、重い病気になります。西念は、隣に住む金兵衛に、あんころ餅を買ってきて欲しいと頼みます。
 
 西念は金兵衛を部屋から出すと、貯めていた金貨と銀貨を餅にくるんで、飲み込みます。金兵衛はその一部始終を、壁の穴からこっそり見ていました。西念は餅と金貨・銀貨を全部飲み込んで、息絶えます。金兵衛は、西念が飲み込んだ金貨と銀貨を自分の物にしようと画策します。

 まず、麻布(港区)の顔見知りの寺に西念の葬儀を頼みます。寺が貧しいので、住職は払子(ほっす)の代わりにはたきを持ち、鈴(りん)ではなく茶碗とどんぶりをたたきながら、デタラメなお経を唱えます。それから、桐ヶ谷(品川区)で西念を火葬にします。火葬が終わると、金兵衛は西念の遺骨を探って金貨と銀貨を取り出し、それを元手に餅屋を始めます。店の「黄金餅」は江戸の名物になり、繁盛しました。

 西念も金兵衛も、金に対する執着が並ではありません。私たちは、欲望にとらわれると道徳からはずれたことをします。それを大げさに表現すると、この落語のようになります。 

 江戸時代には、僧侶のような姿をして、お経もどきな歌を歌うなどの芸をして収入を得ている人々がいました。西念は、そのような一人だったのかも
しれません。桐ヶ谷には今も火葬場があります。

『黄金餅』を楽しみたい人へ、おすすめの一枚
立川談志師匠のCD「立川談志ひとり会 落語CD全集第16集 ぞろぞろ/黄金餅」(日本コロムビア)をご紹介します。不道徳な行いを、飾り気のない行動のように聞かせます。江戸の地名と、それに対応する昭和の東京の地名を立て続けに語っている所も、注目です。

多田修(ただ・おさむ)
1972年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、龍谷大学大学院博士課程仏教学専攻単位取得。現在、浄土真宗本願寺派真光寺住職、東京仏教学院講師。大学時代に落語研究会に所属。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。

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