「素敵に年をとっている」ことを表す言葉はなぜないの? 若さの反意語を考える
最近、自分の娘や息子であってもおかしくない年齢の若者と仕事をする機会が、増えてきました。今時の若者は、自分の時代と比べると皆、ひねくれていない良い子が多い気がしてならない私。すっかり若者に頼ることも多いのです。
若い世代と自分達の違いは、様々な面で感じています。たとえば今時の若者は皆、家族と仲良し。親とは友達感覚なのであり、
「恋人はいますけど、家族が一番好きで離れたくないので、結婚はしたくないんですよね」 などと聞くと、
「そうなの!」
と驚くのです。
最も差を感じるのは、デジタル系の能力でしょう。あちらはデジタルネイティブなので、スマホなどのデジタル機器の使用法には精通している。文字を打つ速さも全く違うし、スマホが身体の一部のようになっているのです。
対してこちらは、大人になってからデジタル機器に触るようになった身。何を打っても若者に遅れを取るし、わからないまま放置して使用していない機能もたくさんあります。一緒に外出していると、そんなこちらの様子を察してか、検索でも何でも若者がしてくれるのでした。
大量のトンカツを平らげながら盛んにスマホをいじっている若者など見ると、「若いっていいわねー」などと思うのですが、自分もその昔は、大人から同じようなことを言われていました。何が「いい」のかその頃はよくわからなかったけれど、年をとると相手が「若い」というだけで眩しく見えることが、今となってはよくわかります。
考えてみると、「若い」とか「若さ」という言葉には、反対語が存在しないのでした。若者に対しては、
「若いねー」
と言うけれど、高齢者の高齢ぶりを指摘して寿ごうにも、該当する言葉が存在しない。また若者は、
「若さで頑張ります!」
と言うけれど、高齢者がその高齢ぶりを生かして頑張ろうにも、やはりその時に使用する言葉が存在しません。
この事実は、やはり「若い方がよい」という感覚がずっと存在していることを意味するのでしょう。高齢になることは喜ぶべきことではないから、「若いねー」と同じ感覚で高齢ぶりを指摘しない方がいい。……という頭が我々にあるので、「若い」の反対語は存在しないのではないか。
しかしこれからは、人生が百年続く人も珍しくないという時代。若者時代を引き延ばすことができるわけでもないので、高齢時代が長く続くことになります。
となると高齢者は、その高齢であることによって得た熟練ぶりや包容力、渋みなどを生かして長い人生を渡っていくことになりましょう。その時に、「若い」の反対語や「若さ」の反対語として、「素敵に年をとっている」という意味を表す言葉があってもいいのではないか。
その言葉を仮に「熟(じゅく)い」「熟(じゅく)さ」とするならば、自分が高齢になる頃には、
「あのおばあさん、熟いよね」
と若者に言われてみたい。「若い」と言われて喜ぶおばあさんにはなりたくない私としては、年をとったこと自体を賞賛する形容詞の登場を、願ってやみません。
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト。1966年東京生まれ。大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』がべストセラーとなり、講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。近著に『消費される階級』(集英社ノンフィクション)