見出し画像

たとえ苦い別れを体験しても、人生は愛おしい 僧侶が読み解く「ロボット・ドリームズ」

「仏教と関わりがある映画」や「深読みすれば仏教的な動画」などを〝仏教シネマ〟と称して取り上げていくコラムです。気軽にお読みください。

第105回「ロボット・ドリームズ」

パブロ・ベルヘル監督
2023年スペイン・フランス合作

  素朴な絵柄のアニメーション映画です。私が観たのは平日昼間の映画館でしたが、入場客の多くが中高年齢者。物語が終盤に近づくにつれ、そこかしこから鼻水をすする音が聞こえます。私もその主の一人。もちろん年配者だけではなく、どの年代の胸にも響くはず。

  1985年のニューヨークでドッグは一人暮らし。孤独を逃れるために購入したのは人型ロボット。ドッグとロボットは楽しい幸福な日々を過ごします。しかし夏の終りに海水浴で訪れた砂浜で、ロボットは故障して動けなくなります。まもなくビーチは翌シーズンまで閉鎖。ドッグは柵に阻まれて、横たわったまま放置されたロボットを助け出すことができません。離れ離れになった両者はお互いを思う夢を見ながら、ビーチの再開を待つのでしたが……。

  この作品にはセリフが一切ありません。登場する誰もの性別も年齢も不明。そのため、主人公のドッグとロボットの関係も、どのようにでも解釈できます。恋人、友人、飼い主とペット、もしくは掛け替えのない何かと何か。両者が出会い、日々を重ね、感情や経験を育てて、やがて別れを迎えることも。思い通りにならないことの連続だけど、振り返ってみれば、そのひとつひとつに光がある。ひとつひとつの集積で「今」がある。だとすれば「今」って、苦くはあっても愛おしい。

  親鸞聖人は「本願力にあいぬれば 空しく過ぐる人ぞなき」とご和讃にお示しです。「本願力にあう」とは、「私の解釈に拘泥することなく、いのちの今を虚心に受け止める」ことと私はいただいています。その世界観を映像化したなら、それは「ロボット・ドリームズ」に近くなるような気がします。
 
松本智量(まつもと ちりょう)
1960年、東京生まれ。龍谷大学文学部卒業。浄土真宗本願寺派延立寺住職、本願寺派布教使。自死・自殺に向き合う僧侶の会事務局長。認定NPO法人アーユス仏教国際協力ネットワーク理事長。

※本記事は『築地本願寺新報』掲載の記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。


この記事が参加している募集