世にも不思議な「震える石」が安置されたお寺【第22回】勧山信樂院眞樂寺(神奈川県小田原市)
ご旧跡紹介
寺伝などによると、親鸞聖人は1228(安貞2)年、北条泰時に請われて相模国で一切経校合(※)に立ち会ったと伝えられ、その際に相模国を教化するため国府津の眞樂寺に逗留した。国府津では、聖徳太子が創建したとされる天台宗の寺の住持であった性順が、聖人のみ教えを蒙り、お弟子となって、寺に眞樂寺の寺号を賜った。
性順は聖人に寺を譲り、真宗寺院として聖人を眞樂寺初代と仰ぎ、高田の顕智を二世、平大納言時忠の息男・是証坊を三世として法義を相続した。また、港町であった国府津で、親鸞聖人は当時救われがたいとされていた漁師たちにも念仏のみ教えをひろめた。眞樂寺近くには漁師たちの願いにより御勧堂という堂宇が構えられた。
1232(貞永元)年、親鸞聖人は60歳で常陸国を発ち、京へ上られる。途中、国府津を過ぎ、御勧堂に入った折、それまでご化導を賜った人々が聖人を引き留め、62歳の8月まで教化の拠点にしたとされる。
後年、眞樂寺には聖人を偲んで、覚如上人や蓮如上人も巡拝した。蓮如上人からの手紙(御文章)『国府津(江津)』は江戸期に節がつけられ、江戸時代から昭和初期にかけて小田原三大謡曲のひとつとして歌い継がれていた。
※一切経校合……伝わっているすべての経典を書写し、間違いがないか確認する作業
現地ルポ
真宗大谷派・眞樂寺本堂には聖人ご自作の御真影(聖人像)があり、江戸期までは御影堂と阿弥陀堂の両堂を持つ広大な境内があったといいます。
蓮如上人の孫・顕誓が著した真宗最古の歴史書といわれる『反古裏書』によると、親鸞聖人が国府津に滞在していた折、海岸に怪しい石が落ちており、夜になると不思議な音が聞こえたり、震えたりしていたといいます。
聖人はお同行の漁師から、あの石はなんでしょうかと聞かれた際、天竺国から一切経とともに運ばれてきた石であろうと言い、「帰命尽十方無碍光如来」「南無不可思議光佛」と指で書くと、石の震えが止まったと伝えられます。その石は現在、眞樂寺の法宝物を所蔵する帰命堂の下に埋められており、帰命堂にはその複製や拓本、親鸞聖人のご遺骨などが収められています。
旅ある記
藤 やってきました。相模湾
星 国府津は相模国の国府の港。一切経校合が行われた鎌倉にも海路で近く、親鸞聖人が水路で移動された可能性を平成人住職も示唆していましたね
藤 北関東のお寺でも、親鸞聖人が水路を使われたという説は見られました星 あと謡曲「国府津」のお話も興味深かったですね
藤 平住職のひいおばあさままでは歌い継がれてきたんだとかで。聞いてみたかったところですね。でも昨年春に観世流の師範の方が訪ねてこられて、親鸞聖人御誕生850年の記念の年の報恩講で謡曲が再現されたというお話は後世にまた伝説になるかも知れませんね
星 前前前坊守さままで歌い継がれていたよ♪
藤 映画『君の名は』の歌ですね。そうじゃなくて謡曲だから
(藤本真教・星顕雄)