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喋脳。


よく晴れた朝、日曜日なのに早起きをしたのは次女の部活のためだけれど、送り出した後の二度寝の誘惑に打ち勝った私は、今日は勝ちなのだ。

読みたい本があった。
早々と一杯目の洗濯を干し、ネギとキャベツと油揚げのお味噌汁と白いごはんと、ちょっといい鮭フレークで朝ごはんを摂る。
夫は、この鮭フレークを冷蔵庫に見つけたとき、「おっ!」と言って、嬉しそうにそれで朝ごはんを食べていたのだけれど、仮にそこで私が、
「鮭フレーク、好きなの?」
と聞いたところで、
「そうでもない。」
というだろう。私から見るに、鮭フレークの瓶を見つけた彼は嬉しそうに見えたし、昆布の佃煮や千切りたくあんや納豆も卵もスタンバっている冷蔵庫から目ざとくそれを発見した嗅覚は、好きでこそ、と思うのだ。ほぼ確信に満ちて問うたところで、彼曰く、「好きではない」らしい。

この手の問いは、私は彼と結婚する以前から、軽く問うてみているのだけれど、彼の答えはとうてい解せないものであることが多い。
先日も、娘たちの食べているチーズケーキを、
「一口ちょうだい」と言うから、娘たちは夫の分をお皿に少しずつわけてあげていて、嬉しそうに食べはじめたから
「甘いもの、好きなの?」と問うと、
「そうでもない。」と答えながら食べていた。

鮭フレークもチーズケーキも、「好きではない」けれど、嬉しそうに食べる夫。どういうことなんだろう…と、何心理?と時々考える。


普段から「好き」と思っていなければ「好きではない」ということになる人、なのだろうか。
たとえば、その存在は普段は頭にはないけれど、食べている人を見たり、冷蔵庫に見つけたりしたから、たまたま「ちょっと食べてみよ」くらいの軽い気持ちだったから、これを「好き」と言うには気がひける、くらい真面目なタイプなんだろうか。

私の脳みそ

あるいは、私に「好きバレ」するのが、弱味を見せるみたいで照れ臭いのだろうか。夫は私よりも十も年上で、育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めないのだけれど、自分の好きなものを、「それ好きなんでしょ」と言われることに、一瞬謎の小さなしょうもない嘘をついてしまう小学生みたいな部分をいまだ持っているのだろうか。
「うれしくねぇぞ♡バカヤロゥ♡」というチョッパーと同じ心理なのだろうか。

私の脳みそ

「明らかに好きっぽいのに、聞くと『そうでもない』みたいに言うの、なんで?」

と、何度か問うてみたこともあるのだけれど(そうです、私って結構面倒くさい人なんです)、その答えだってとうてい解せないものだ。

「そうか??」

何に対しての「そうか?」かもうわからない。質問に質問で返すやり方で、私は、たちまち煙に巻かれたようになってしまう。

明らかに好きっぽいのに←そうか?
なのか、あるいは
そうでもないと答える←そうか?
なのか、はたまた
質問の意味がよくわからないからとりあえず→そうか?
なのか…。

問いに問いで返され、永遠に答えのでないループに誘い込まれるほど怖いものはない。なぜなら私の脳みそは、気になり出したらどんどん勝手に考えていってしまう無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている、やたらと勇敢な脳みそなのだ。若い頃は質問責めにして半ば喧嘩のようになりながら、納得のいく「答え」をフガフガしながら出していた、相当に面倒くさいタイプの人間だったのだけれど、今はそんなことはしない。ただ、口には出さず、脳みそだけをグルグルと巡らしている。

そう、今も。
東海地区限定のオリジナルブレンドコーヒーを、ドリッパーでトポトポとおとしながら、夫の「好き」について考えていて、ここまできたのだ。

いや、そんなことよりも、
私は、読みたい本があった。

『月と散文』又吉直樹著。昨日、読みはじめたら面白くて、明日は早起きしてコーヒーでも飲みながら、ゆっくり読みたいと思ったのだ。

香ばしいいい香りとともに、頁をめくる。

「無口で喋脳」な又吉さんの、留まることのない思考が心地よい。卑屈で毒もありながら、軸のある独特の視点が面白い。縦横無尽に脳みそを歩かせる又吉さんに、私ももっと脳みそを自由にさせてあげようと、勇気さえもらえる。

と、
そういえば先週、母とこんな場面があった。

いつものように二人で黙々と手を動かしながら仕事をしていると、ラジオから「恐竜は全長4mほどあったものも…」と聴こえてきた。
へぇーえ、と思いながら仕事をする。

へぇーえ。全長4mってどのくらいだ?キリンは?キリンはせいぜい2mくらいか、ゾウも…。もうそんな大きないきものは現代にはいないのかな。あ、大型ダンプカーくらいか。いきものじゃないけど。ダンプカーばかりのミーティングみたいなことか。高さはもっとデカいのか。ダンプカーの荷台をガガーッと上げた状態でいるみたいなことか。デカいな。ガタイのいい兄ちゃんが筋肉隆々で運転するくらいの馬力だしな。あんなものがいきものとしていたなんてねぇ…。

私の脳みそ


「ダンプカーくらいデカいってことだもんね。」

と母に言うと、キョトンとしている。
母にしてみれば、黙って手を動かして仕事していただけなのだから、そもそもラジオの恐竜の件も聴いていたかどうかもわからず、ふと沈黙を破った私からの一発目がこれなのだから、仕方ない。

けれども母も慣れっこなのだ。なにせ私の母を44年もしている。また柊ちゃん変なこと言い出したわ…、くらいにしか思っておらず、二の句を待つのみである。

「いや、恐竜がさ4mとかあるって言うから。」
「あぁ。そうねぇ。」

わかったかわからないかわからない返答で、二人は仕事を続けていて、私はまたラジオから聴こえた「鳥は恐竜の仲間で…」について、グルグルと思考を巡らしてしまっていた。


あぁ、もぉ。

本を読むんだったのに。

落としたコーヒーを飲み干して、私はこれを書き上げてしまっていた。






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