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小説・シナリオ集

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脚本家・作家矢野堅太郎(凄乃剣太郎)の小説・脚本を掲載する。連載小説や連続ドラマのシナリオを隔週を予定して発表、購読していただければ。
他の小説やシナリオには見られない作品を購読することが出来る。
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#有料記事書いてみた

偉大な才能を目にしたときの対処法

偉大な才能を目にしたときの対処法

◯才能に圧倒される瞬間

人生で一度くらい、「これ、私には一生無理だな」って感じるような才能に出会ったことがあるはずだ。それは映画のスクリーン越しだったり、コンサート会場の席からだったり、意外と身近な職場や学校の友人だったりする。

才能を目の当たりにすると、感動と羨望、そしてちょっとした劣等感が混ざったような気持ちになる。「なんでこんなにすごいんだろう」と同時に、「自分には何があるんだろう」とつ

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人生はマルチジョイ?

人生はマルチジョイ?

〇マルチジョイ時代の疲れ

現代は「マルチジョイ」の時代だ。スマートフォンの画面をスクロールすれば、無限に広がる娯楽の世界。SNSで誰かが投稿した絶景写真や流行りのダンス動画、最新の配信ドラマや映画。音楽ストリーミングサービスでは「次に聴くべきプレイリスト」が常に提案され、気づけば複数の娯楽が同時進行で押し寄せてくる。

このように、私たちは日々マルチタスクで「楽しむ」ことを求められている。映画を

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高等遊民のための映画鑑賞法

高等遊民のための映画鑑賞法

映画は誰のためのものか

映画とは何だったのか。かつてそれは大衆のための娯楽であり、芸術であり、社会を映す鏡だった。誰もが映画館に集い、笑い、泣き、怒り、感動を共有することができた。それは特別な体験であり、生活の中の大切な一部でもあった。

しかし、現代の映画を見渡すと、その役割が大きく変質しているように感じる。NetflixやAmazon Prime Videoなどの配信サービスが映画館の代替と

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情報に呑まれる 流行には最後尾で追い付け!

情報に呑まれる 流行には最後尾で追い付け!

情報が溢れる時代に生きる私たち

私たちは情報の洪水の中で生きている。朝起きた瞬間からスマートフォンを手にし、SNSをスクロールしてニュースや友人の投稿を眺める。仕事や通勤の合間にはイヤホンを耳に入れ、音楽やポッドキャストを聞く。帰宅してからも、テレビや動画配信サービスで映像を楽しむ。これらすべてが、意識的であれ無意識的であれ、私たちの脳に膨大な情報を注ぎ込んでいる。

しかし、この情報量はもはや

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創作と肉体労働 書く時間がない!

創作と肉体労働 書く時間がない!

創作と肉体労働の現実「書く時間がない!」と叫びたくなる日々がある。朝から晩まで肉体労働に追われ、帰宅する頃には疲労困憊。頭の中では次々と物語のアイデアが浮かぶのに、それを形にする時間も体力も残っていない。そんな状況を経験したことがある人も多いのではないだろうか。

肉体労働は特に、創作に向き合う時間を奪う。長時間の労働で体力が削られるだけでなく、単調な作業の繰り返しによって、想像力や創作意欲も失わ

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創作と商売の食い合わせの悪さとそれでも生きていく方法

創作と商売の食い合わせの悪さとそれでも生きていく方法

創作と商売の矛盾

創作と商売。この2つはしばしば「水と油」のように例えられる。それもそのはず、創作は個人の感情や想像力から生まれる自由な行為であり、商売は顧客ニーズに応えることで成立する現実的な活動だからだ。この対立構造の中で、創作者は自分の作品を「売るための商品」に変えることを求められる。そこには喜びもあるが、しばしば葛藤や苦しみも伴う。

たとえば、小説家は自分が書きたいテーマだけでは食べて

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創作の敷居を下げよう

創作の敷居を下げよう

「創作は特別な才能を持つ人のものだ」という神話が、長い間、私たちの創作観を支配してきた。しかし、その「特別な才能」とは本当に何なのだろうか?それは生まれつきの能力だろうか、それとも特定の環境で育まれたものだろうか。

現実を見れば、創作の世界には明確な偏りが存在している。実家が裕福だったり、有名人の二世だったりする人々が、クリエイターとして台頭しやすい傾向がある。これは、創作に必要な資金や時間、環

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 脳の使い道 最近自分で文章考えてる?

脳の使い道 最近自分で文章考えてる?

最近、自分で文章を書いているだろうか?日記でも、メールでも、何かしらの形で自分の言葉を紡いでいるだろうか?スマートフォン一つで情報が手に入り、AIが文章を作る時代に、私たちは「自分で考える」という行為を忘れかけているのではないだろうか。

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継続は力なりとはいうけれど

「継続は力なり」。この言葉を初めて聞いたのは、いつだったのだろう。子どもの頃、学校の先生が何かを諭すように言ったのかもしれないし、家族が日常の中で口にしたのかもしれない。身近な言葉ではあるものの、実際に何かを続ける中で、この言葉の意味を深く理解することは案外難しい。

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寿命と天命といのちの線引き

「寿命」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。それは、一つのいのちが自然に終わるまでの時間であり、「人間がコントロールできないもの」の象徴と考えられることも多い。一方で、「天命」という言葉は、いのちの長さではなく、その質や目的、役割に焦点を当てて語られる。これらに加えて、「いのちの線引き」という問いが生じるのは、生と死、価値と無価値の境界をどう決めるのかという難しいテーマがあるからだ。

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シングルタスクの禍福

シングルタスクの禍福

「一度にいろんなことをやれるようになりたい」――その思いを抱いたことは何度もある。周囲を見渡せば、同時に複数のことを器用にこなしていく人がいる中で、自分はどうしても「一つずつ」しか進められない。それが私自身の特徴なのだと気づいたのは、比較的最近のことだ。

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