人には誰でも才能がある 自分には何もないなんて言わないで!!! <追記あり> 疾風ザブングル 乾いた大地
昨日「自分の可能性を気付かせてくれたnoteに感謝したい note株式会社に大きなスキ(💛)をあげたい」という記事を投稿しました。そうしたところ、コメントで「(私は)天才ではないし頭が良くなる兆候もありません」というものをいただきました。
今日は、才能と天才について少しだけ考えてみました。
昨日の記事はこちらです。
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才能とは何か?
長年打ち込んできたもの
人には何かしら長年続けてきたものというものがあります。その長年とは最低5年以上でしょう。その続けてきた物事にこそ、才能の欠片が眠っています。
人が無意識で続けられることは凄いことなのですが、本人はそのことに気が付いていないことが多いようです。
例えば、「私は郵便配達を40年続けていました」という人がいたら、noteの記事でそれらの仕事の中で起きた体験を書けばいいのです。私のフォロワーさんの中にそのような人がいたかどうかは不明ですが、noteクリエイターが500万人もいればその中には数名ぐらいいたかもしれません。
なお、この際40年という数字はどうでも良くて、10年でも5年でも3年でもいいわけです。その期間の中で起きた自分ならではの体験を書けば、そそれがその人独自の記事になる可能性があります。そして、何度も書いている内に、自分の才能が開花することもあるわけです。
他の人にとって難儀なことが簡単にできてしまうこと
私の場合、長時間の車の運転が苦手です。なぜなら、運転は非常に疲れるからです。私は起きているだけで五感から大量の情報が入って来るので、運転のような神経を使うことはエネルギーを大量に消費します。
余談ですが、私が前職をやめた理由の一つが、その長時間の車の運転です。転勤が決まったのですが、転勤すると1日の運転時間が往復で30分から2時間に伸びるのです。私は運転している時間を有効に使える自信がなかったので、それも退職の原因になりました。
しかし、車の運転が大好きで1日2時間の運転ぐらい難なくこなす人もいるはずです。そういう人はそれもまた才能なのです。ということは、車の運転を仕事を生かしたりnoteの記事のネタにしたりすることができるということです。
千3つぐらいの気持ちで気軽に挑戦できること
人は数十年生きていますと、挑戦してきたことがたくさんあります。その数は普通の人であれば3桁以上になるはずです。
その挑戦してきたことの中に才能のヒントが隠れている場合が多いです。なぜなら、挑戦してきたということは、そのことに何かしらの興味や関心があったからです。
才能は興味や関心を持った対象の中にしか存在しません。
<追記>
興味や関心を持ったら試しに少しだけ挑戦することをお勧めします。それが思ったより楽にできてしまったら、そこに思わぬ才能が隠れているかもしれません。
私の例を挙げますと、例えば、このnoteです。今の私は数千字の記事投稿が楽にできてしまいます。これは、子どもの頃や青年時代には考えられなかったことです。なぜなら、元々文章を書くことが苦手だったからです。しかし、30代になってから会社でいろいろなことを書くようになりました。その後、40代になってからブログで記事を書き始め、50代でnoteで毎日投稿を続けていましたら、いつの間にか短時間で長い文章を書けるようになりました。もちろん、この文章には下書きはありません。構成もありません。すべて思い付きで書いているのです。
私はこれもまた才能の一部ではないかと考えています。
<追記ここまで>
大好きな物事
上記以外に才能は大好きな物事に関係がある場合が多いです。大好きなことは頻繁に取り組みますから、自然と能力が開花しやすいものです。
天才とは何か?
天才の定義については過去に何度も書いてきました。私が考える天才の定義は、その独創性や独自性です。そして、他人とは異なる視点や切り口です。それらによって、10を学べば300を生み出すことも可能です。大天才と呼ばれる人は、3の学びで1,000を生み出すこともできるようです。
ちなみに、秀才とは猿真似が上手い人です。100を学べば100を再現できる人を言います。学校秀才はどこにでもいますが、彼ら彼女らは教科書や授業で学んだことは短時間で正確に覚え、テストで再現できます。
以上のことから、秀才が天才を嫉妬することは頻繁に起きます。会社に天才がいても実力を発揮できなかったり給料が安かったりする理由は、まさに秀才の嫉妬が原因です。
<補足>
得てして天才の直感は極めて優れています。
才能を天才に結び付けるには?
1.一人の時間を大切にすること
自分の才能を開花させるためには多くの時間が必要になります。子どもの頃から一人の時間を大切にしていませんと、10代や20代で結果を出すことは難しいと思います。
70代や80代になってから自分の才能に気が付く人もいますから、読者が今現在何歳であろうとも関係ないです。
若い頃に自分の時間がなかった人は今から一人の時間を大切にすればいいのです。また、介護などで自分の時間がない人は、自分の時間を作る工夫をしましょう。人は頭を使えばいくらでも創意工夫ができるものです。チンパンジーやカラスでも頭を使って工夫することが知られています。高等動物の人間である私たちにそれができないわけがないのです。
2.常に情熱的に取り組み研究熱心であること
天才の物事への情熱は常軌を逸しています。私たちにそこまでの情熱が必要かどうかはわかりませんが、情熱がある人ほど結果を出していることは間違いないです。
独自の視点と切り口で情熱的に対象に取り組めば、才能を天才レベルまで高めることは意外と簡単かもしれません。
なお、私は1億人の人間がいれば、1億種類の天才が生まれても不思議ではないと思っています。「僕のヒーローアカデミア」という漫画・アニメがあるのですが、あの作中に出てくる「個性」はすべてその人の才能です。あれと似たようなことが人間にもあるはずです。ですが、ほとんどの人は自分の才能を開花させることにあまり興味がないのかもしれません。
3.周りの評価を一切気にしないこと
自分の周りには凡人と秀才しかいないことを認識しましょう。彼ら彼女らはあなたの才能を開花させるために邪魔な存在になりがちです。
また、そのような人たちの評価はほぼ100%間違っています。
自分の才能を信じて我が道を進み続けましょう。
最後に 才能は誰にでもある
全くの個人的な意見ですが、才能は誰にでもあると私は考えています。しかし、上でも書いたように、ほとんどの人はその自分の才能と向き合おうとしていないように思われます。
自分自身を高めたり自分を磨いたりしている人は、そのことに夢中で自分の時間を非常に大切にします。
しかし、ネットで誹謗中傷を繰り返すような人たちは、他人を蹴落とすことで自分を高めようとします。要するに、嫌いな対象が落ちれば、必然的に自分が高いところに行けるわけです。
人として間違っていますよね、このやり方は。
やはり、自助努力で自分自身を高めることが正しいやり方だと思います。
なお、私は今までに自分が努力した人生を送ってきたとは微塵も思っていません。不思議なのですが、努力していない人に限って、自分は努力してきたと言います。
人が一生懸命生きることは普通のことです。それをすぐに努力にすり替える人は一生何もできないと思います。結果を出そうと思えば、努力など自然と出きてしまうものです。
<今日の3行日記>
昨日は午後6時を過ぎても30℃以上ありました。さすがに私も暑さで疲れてしまいました。今朝は寝汗が多くてびっくりしました。
イラスト素材:あいらぶパンダ
何歳になっても愛し合っている夫婦って素敵ですよね?
疾風ザブングル
昨夜不思議なことが起きたので、そのことを簡単に書いておきます。
疾風ザブングル
昨夜たまたま下の動画を発見しました。これは「疾風ザブングル」というアニメの主題歌です。このアニメは全く知りません。ところが、この曲をすべて知っていました。最初から最後まで。さすがに歌詞は知りませんでしたが。
それで過去の記憶を遡っていろいろと調べたのですが、全くわからないのです。この曲をどこで知ったかを。
疾風ザブングル Live Version (高画質)
こちらが主題歌を歌っている歌手の方ですが、私はこの方を知りませんでした。ちなみに、動画ではいい年をしたおっちゃんやおばちゃんたちが大勢でてきますが、まるで子供のようにはしゃいでいます。でも、素敵ですよね。童心に帰ることは。
【第1話】戦闘メカ ザブングル〔サンチャン〕
こちらがそのアニメの第1話です。主人公ですら知りません。念のため放送局と放送日を調べましたら、私が住む地域では確実に放送されていたようです。ということは、私の弟や妹が視聴していたのかもしれません。そして、この曲だけ覚えていた可能性があります。ちなみに、この主題歌は私のお気に入りになりました(笑)。
上の動画を見たところさらに驚きました。ブルメ役の声優があの古川登志夫さんでした。ドラゴンボールでピッコロを演じていました。そして、さらに驚愕の事実です。このアニメのエンディング曲の「乾いた大地」も知っていました。当時から好きだったことを今でも覚えています。しかし、このアニメを視聴した記憶は全くないです。
乾いた大地
今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。