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自己表現より楽しいことを探してみたら見つからなかった? 将棋の定跡と数学の解法を覚える愚かさ?

独創的かつ創造的な自己表現を日々楽しんでいる人々が、noteクリエイターの集団です。私も毎日のように自己表現を楽しんでいます。これは、noteで記事を書くこと以外でも同様のことです。

それで、試しに少しだけ考えてみました。何を考えたかと言いますと、自己表現より楽しいことは何だろうか?

なお、この場合の対象は、私たち人間の三大欲求を除いたものとなります。

今回は、人間の人生において、自己表現より楽しい物事について少しだけ考えてみました。


昨日の記事はこちらです。



三大欲求とは何か?

本題に入る前に、念のために確認をしておきます。

人間の三大欲求とは、「食べる、やる(笑)、寝る」の3点です。つまり、「食欲・性欲・睡眠欲」のことです。

これらは動物の欲求と同レベル・同次元なので、私は三大欲求を人間らしさの欲求として認めません。

また、これに関する異論反論を一切受け付けません(笑)。

マズローの6段階欲求とは?

私にとっての自己表現とは、マズローが言うところの5番目の自己実現欲求や6番目の自己超越欲求に近いのではないかと、今は考えています。

マズローの5段階欲求は、たぶんみなさん聞いたことがあると思うんですが。そのマズローが晩年に「5段階より先があったわ!」って気付いたっていうエピソードはご存知ですか? 実は6段階あったという話で、本当はマズローの6段階欲求なんです。生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求で5段階と言っていたんですけど、6段階目として自己超越欲求があったんですね。

マズローも晩年に気づいた6段階目の欲求
現代人の幸福を読み解く「1杯目のビール理論」


<参考>人間の7大欲求とは?

なお、人間の基本的欲求には、7番目に審美的欲求というものがあるそうです。ここではこれに関しては触れません。


私にとっての自己表現が自己実現欲求や自己超越欲求を満たしているならば

私は最高の幸福を掴んでいると言えるかもしれません。

さて、ここで改めて、この自己表現より楽しいものを探してみました。

やはり、ないのです。
いくら探してもありません。

人によっては、「幾らでもあるよ」という人もいるかもしれません。

しかし、私の活動における楽しいことすべてが、結局、自己表現の一言に帰結するのです。

私は毎日のように創造的かつ独創的な活動をしています。そして、それ以外の雑事は、私にとってはあまり楽しいことではないです。

例えば、毎日の食事ですが、この準備は私には楽しくないです。

人によっては、この食事を作ることは楽しいことかもしれません。しかし、今の私にはこれは雑用の一種です。調理をしたり買い物をしたり、あるいは外食に出かけたりしている時間は、私にはもったいないのです。

ですから、もし食事を作ることに創造性や独創性を発揮できるならば、それもまた私にとっての自己表現の一種になるはずです。

そう言えば、noteクリエイターの中には、自分で料理した食事メニューを写真で撮影して、記事投稿している人をたまに見かけます。その方にとっては、それらもまた自己表現の一種なのでしょう。だから、中長期的に、それらの写真アップができるのだと思います。私には絶対にできないことです(笑)。

自己実現欲求と自己超越欲求に関して

なお、自己実現と自己超越に関しては難しい話ですので、今回の記事では取り上げません。

ですが、私のとってのnoteにおける自己表現が、自己実現欲求や自己超越欲求に近いことであることは、何となくご理解いただけたのではないでしょうか。

幾分舌足らずのところもありますので、何か気が付いたことがあればあとで補足します。

将棋の定跡を覚えない理由

最近の私は時々将棋を指しています。<元アマ六段です。今でも1週間もあれば将棋三段ぐらいまではすぐに実力が戻ります。>

将棋は定跡を覚えるべきだという人がいます。しかし、先人の叡智が詰まっている定跡を覚えたところで、将棋は強くなりません。

また、所詮猿真似の将棋など指していても一向につまらないものです。アマチュア将棋ファンは、プロの何倍も将棋を楽しまなければ将棋を指す意味がないです。趣味ですから。

将棋の定跡は、戦法によっては、80手以上覚えなければならないものがあります。それらを無限に覚えることはナンセンスであり、馬鹿の骨頂です。

でも、定跡を理解することは、将棋上達において不可欠なものだとは思います。私の場合、定跡に関しては、理解することに重きを置いています。

昔、東大将棋部の特集があって、その中で学生たちが必死になって矢倉定跡を覚えているシーンが映像で流れて来ました。

正直なところ、東大出身者から天才的な偉業をなした人たちが輩出されて来なかった理由の一つは、まさにそういうところにあるのだと思います。

私は初手から一手一手自分の頭で考えます。そのため、弱い頃は序盤から将棋の形勢が悪くなることが多いです。しかし、それはある時期から少なくなります。将棋が強くなるということは、そういうことだと思います。

つまり、自分の頭で考えて最善手や次善手に近い指し手を自分の頭で生み出せることです。

私が将棋の定跡を覚えないことは、自分の頭で考えて自分で将棋を作(創)っていることになります。ということは、将棋でも創造性や独創性を楽しんでいることになるわけです。

私にとって将棋を指すことは、まさに自己表現と言えます。

数学の解法を覚えない理由

これもまた私の独創性や創造性ある自己表現と関係があるのですが、今日はもう時間がなくなってしまったので、省略します。

なお、大学受験における数学解法暗記を私はあまりお勧めしません。大学受験まで残り1年を切っていて追い込まれている人がやるべき学習方法かもしれません。

それよりも、緻密な論理性と必要十分条件を満たした解法の書き方を考慮した方が、短時間で数学上達を望めます。

ちなみに、私は駿台予備校の公開模試などで、偏差値110前後を年間を通して維持していました。つまり、浪人生よりも・・・。

念のため書いておきますが、私は秀才ではありません(笑)。私は地元のトップ校出身ではありますが、同級生で本当の秀才は一人しかいませんでした。彼は、真の化け物(秀才中の秀才の秀才)でした(笑笑笑)。

最後に 生きることは自己表現である

人間は他の動物とは異なる生き物です。

一番異なる点は、自己表現を楽しむかどうか、にあります。

私は、パンダ🐼や他の哺乳類の赤ちゃん動画が大好きですが、それらを数千回視聴して見ても、あの動物たちが自己表現を楽しんでいることは確認できませんでした(笑笑笑)。

ただし、イルカ🐬とカラス(烏)、ボノボなどの類人猿は本当に賢くて、もしかしたら自己表現を楽しんでいるかもしれません(笑笑笑)。

私は、人間だけが特別な存在だとは思っておりません。

<今日の日記>

今日の昼間の暑さは天気予報よりも酷かったです。そして、記事投稿直前の夕方6時になってもその暑さは続いており、まさに真夏です。

イラスト素材:イルカに乗ったパンダ

私はパンダ🐼も好きですが、イルカ🐬も好きです。

今日の記事はここまでです。
文字数は2,900字を超えました。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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