善行を積めば幸福と成功は勝手に近づいて来るよね? 今の自分にやれることをやればいいよね?
世の中には悪行で幸福と成功を手に入れようとする輩もいますが、仮に結果を出せても多くの場合それらは仮初(かりそめ)のものとなります。
私ならば善行を積んでそれらを手に入れることを考えます。
なお、この世はそう単純にはできていません。実は、善行と悪行の中間には無数のものが存在します。それらは灰色で悪行に近いかもしれません。そして、資本主義にはそのような面がたくさんあり、汚い稼ぎ方をしている人々も大勢いるということです。その点に関しては、読者の皆さんが私生活や社会生活において気が付いていただきたい課題です。
善行とは何か?
善行と書いて「ぜんこう」と読みます。辞書的な意味は、「よい行ない。道徳にかなった行ない。善良な行状」で、「ぜんぎょう」とも読むようです。
ですが、ここで私なりの善行の定義を書いておきます。
私にとっての善行とは以下の通りです。
善行とは、どこかの誰かを幸せにする言動のことです。
例えば、とてもきれいな道路を通ったとします。そこを歩いている私たちは清々しい気持ちで通れます。そして、何となく爽快感と幸福感を味わえます。
その道路を掃除した人が誰なのかはわかりません。近隣住宅の方々かもしれません。あるいは、生徒たちが学校のボランティアで学校周辺を清掃したのかもしれません。いずれにせよ、私たちが住む地域における一般道路の掃除や清掃は、善行です。
あるいは、noteの中で悩んでいる人がいたとします。その時に記事のコメント欄でアドバイスをしたならば、ぞれは善行になります。もちろん、その助言自体がどれほど相手の役に立っているかどうかはわかりません。しかし、善意による行動ですからやはり善行と言えます。
日本中や世界中の人が善行をしたらどうなるか?
その時はもちろん、素晴らしい世の中になるでしょう。おそらく争いや戦いのない平和な世界になり、私利私欲のための生きる人々も大幅に減るはずです。
そして、幸福を引き寄せたり自分の進む道で成功したりする地球人が増えるのではないでしょうか。
そんな時代がすぐに訪れることはないでしょう。
私の予想では3,000年から1万年、あるいはその10倍以上かかるような気がします(笑)。しかし、だからと言って絶望的になる必要は全くなく、長期的な視野に立ってそのような世界を目指すべきです。
私たちの立派なご先祖様たちは、難しい問題を解き難関を乗り越え理想を実現してきました。私たちもまた、子孫のために素晴らしい地球と思想を残すことが大人の使命でしょう。
私の若い頃は、他人から善行をされることは少なかったです(笑)。だからこそ、大人になってからは他人に対して小さな善行をしたくなりました。
今の私にできる善行は限られています。そして、noteを通して今の私にできる善行は、どこかの誰かに少しだけ役に立てる記事やできる限り前向きな記事を書き続けることだと、今は考えています。
今はそれでいいと思います。今はね(笑)。
<今日の3行日記>
最近スーパーに商品がないです。卵は10個入りパックを週に1、2回しか販売していませんし、この1週間は豆腐を全く見かけませんでした。こういう時代を予想はしていたのですが、その私の予想よりも10年以上早いことが起きて驚愕しています(恐)。
「善行 フリー素材」で検索しましたら、下の画像が出てきました。
どちらも素敵な画像ですね。また、一日一善も素晴らしい四字熟語です。
今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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