言葉や文章からはその人の過去と現在、未来がわかるから面白い 言語中毒の私について
私たち日本人は日々日本語を使い続けています。面白いことに、普段日常生活で何気なく使っている言葉やnoteクリエイターのように毎日書いている文章からは、その人の過去と現在がわかってしまいます。さらに、中にはその人の未来を暗示しているような言葉や文章に出会います。
今回は、「私の言語中毒」と「言葉や文章に敏感になると人生が楽しくなること」、そして「発信者の言葉や文章を噛み砕くと面白いことがわかるということ」などについて書きます。
なお、一日中汚い言葉を使用している人間に明るい未来はないと思われます。日本中の親御さんは、家庭教育の際に、お子様の汚い表現を矯正していくことが大切ではないでしょうか。もちろんそれは、親御さんご自身がまずはそのような表現をしていないことが大前提の話となります。
昨日の記事はこちらです。
言語中毒になっている私の話
私は言葉が非常に遅かったです。10歳未満や10代だけでなく、20代前半もそれほど話したり書いたりできたわけではないです。
ところが、大学生時代に大量に読書をしたり物事を深くいろいろと考えたりしたところ、20代後半ぐらいから徐々に表現力が高まって来ました。
そして、30歳で管理職になってから、会社での営業に一生懸命に取り組んだり手抜きせずに月毎の会報をしっかり書いていたりしていたところ、いつの間にか私の表現力が向上していました。
ちなみに、営業力も営業する側の表現力が極めて重要です。むやみに専門用語を使用せずに、わかりやすい言葉や文章で相手に伝える技術は、現場で試行錯誤しながら地道に鍛えることが大切です。
その後40代になってから、無料ブログに出会ってすでに2万回以上記事を書いているわけです。また、40代から英語英会話学習にも取り組んでいますので、私はまさに「言語中毒」と言えます(笑笑笑)。
私が日本語や英語と接している時間は、1日の大半です。おそらく10時間どころか12時間以上だと思います(笑)。つまり、睡眠時間の2倍以上ということになります。
言葉や文章に敏感になると人生が楽しくなる
私の場合、高校受験対策や大学受験対策で、難しい評論文の要約を行っていました。この学習効果は絶大で、私の学力を猛烈に引き上げたことは言うまでもありません。
学校の勉強が無駄で全く役に立たないという人がいますが、私は必ずしもそうとも言えないと思います。
少なくとも国語学習における読解力・要約力・語彙力・論理力・表現力の向上などは、私の人生においてプラスになっています。また、数学学習における緻密な思考力と論理力もまた、大人になってから非常に役立っています。
なお、ある有名人が引き算は全く役に立たないと言っていました。しかし、入試問題の計算において、掛け算と足し算をするところを割り算と引き算を使って計算を楽にできることがあります。これは数学がある程度得意だった人間にしかわからないことかもしれません。
ただし、日常生活で引き算を使うことは「多分」ないです。今少しだけ考えても引き算を使っている場面をすぐには思い付きません(笑)。じっくりと探せばあるのかもしれません。もしあとで思い付きましたら、再度記事でも取り上げます。
閑話休題、前述したような国語学習で様々な能力を身に付けますと、言葉や文章に敏感になってきます。
そして、その敏感さが、自分の人生を楽しくしてくれます。この楽しさは、日本人の一部にしかわかっていないと思います。
ちなみに、私の長文記事に付いて来れる人はすでに、言葉や文章に敏感な人かもしれません。また、言語中毒の入り口に立っている可能性もあります(笑)。
言葉や文章からはその人の過去と現在、未来がわかるから面白い
一個人の言葉や文章を複数読んでいますと、その人の過去と現在の生き方やそのレベルが如実にわかってきます。これは非常に興味深いことで、noteというプラットフォームの魅力の一つでしょう。
そして、それだけではありません。人によっては、その人の未来の到達点が見えてくるのです。
やはり、インプットとアウトプットを継続しながら、成長し続けている人たちが使う言葉とその文章は魅力的です。
私も3年前の自分自身よりは多少成長していると嬉しいのですが、果たしてどうなんでしょうか。この辺りの自己評価は難しいです。
実は、私は自分の過去記事をほとんど読みません(笑)。正直なところ、私は過去の自分にあまり興味がありません。
未来の自分には大変興味がありますので、典型的な未来志向の人間なのだと思います。なおこの場合の「未来の自分」とは、「未来の自分の頭の中」ということです。
私の財産はすべて頭の中に詰まっています。それらがどの程度のレベルまで、上達・成長・発展・進化したかどうかに興味があるのです。
余談ですが、財産をお金や不動産、株式、金などでしか考えられない人は、可哀想な人です。世の中には知的財産というものがあるのです。おそらくそのような拝金主義者は、そこまでの思考力がないのだと思います。でも、世界で一番大切なものは、子どもや孫などの子孫でしょう。
最後に 言葉の力を高めよう
「言葉の力」の類義語を調べたところ、グーグルAIは以下のような言葉を出してきました。
コミュニケーション能力、語彙力、文章力、文章能力、文筆力、文才。
私は、「言葉の力」を高めると、表現力も高まって人生にプラスになると断言できます。
なぜなら、表現力が高まるということは、自己表現力が高まり言いたいことを主張できるようになるからです。そして、それはまた、思考力の向上をも意味します。
ですから、私は、この世に生が宿ったら、胎教の時点からそのお子さんにしっかりと言葉掛けを行うべきだと考えています。
ちなみに、お母さんのお腹の中の赤ちゃんは、6か月目ぐらいに耳ができるそうです。その頃からしっかりと赤ちゃんに話しかけますと、2歳の頃にはとてもおしゃべりな幼児になっているかもしれません。また、それが望ましいと思います。
私はまだ数十年生きられますので、これらかも言葉の力を高め続けます。そして、その言葉の力で自分の人生における幸福感を今以上に高めます。
そしてまた、今現在幸福な私には「精神的な余裕」があります。その余裕で多くの人々の力になれるような記事を書き続けます。
<余談>私にはほとんど文才がないと思う
昨夜10時過ぎに、ねこやま&ねこまわし様から、上のようなコメントをいただきました。ありがとうございます。
その中に「上達の探求さまにはとうてい文才と知識は及びませんが」という記述がありました。
しかし、私には文才はほとんどないと思われます。世の中の文才と呼ばれる人たちの能力を100としますと、今の私にはおそらく20どころか5もないはずです。
大切なことは、才能よりも書き続けることだと思います。試行錯誤を続けながら書き続けることによって、多少読まれる記事にはなるはずです。
文章力を高めたければ、専門家による添削がベストかもしれません。私はそこまでするつもりは毛頭ございませんので、今のままで自力成長を目指します。
なお、知識に関しては、今の日本人の中では上位1%、もしかすると上位0.1%ぐらいはあるかもしれません。ただし、それらの知識は相当偏っている可能性もあります(笑)。
<今日の3行日記>読み聞かせを嫌がる子どもたち
両親は私が幼児の頃に読み聞かせを試みたらしいのですが、当時の私は読み聞かせに全く興味を示さなかったようです。人それぞれ成長過程は異なりますので無理強いはよくありません。就学前に絵本やひらがなだけの本などに関心を示さないとすれば、その子には別の才能が隠れているのかもしれません。
イラスト素材:パンダ11 読み聞かせをする親子パンダ
下のパンダイラストを見ていてある場面を思い出しました。それは、父親の膝の上で本を読んでもらっていた弟や妹のことです。当時の私はなにをしていたのでしょうか(笑笑笑)。
大学生まではほとんど本を読まなかった私ですが、今では私の方が弟や妹よりも遥かに表現力が高いはずです。世の中の多くのことはタイミングが大切なのでしょう。あとは圧倒的な量です。量をこなしませんと、人はあるレベルにまでには絶対に達しません。
今日の記事はここまでです。
約3,400文字となりました。
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