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100%自分のために記事を書いても良いのだが、コメント欄でそれは悪い⚓ 食は人の天なり(徒然草・吉田兼好) 菜根譚(さいこんたん)

私たちnoteクリエイターは多くの場合自分のために記事を書いています。私の場合は、それが「間接的にどこかの誰かのためになっていれば本望である」、という軽い動機で毎日記事を書いています。

しかし、他人のコメント欄で好き勝手に書くことは問題ありです。

今回は、「自分のために記事を書こう。それが少しでも誰かの役に立っていたら嬉しいよね?でも、コメント欄における自己中心的な書き込みは問題だよ」という内容で記事を書きます。

なお、<今日の日記>のところで、「食は人の天なり(徒然草・吉田兼好)」についても取り上げました。初耳の方は是非ご覧になって下さい。

昨日の記事はこちらです。




記事を書く目的は人それぞれである。しかし、・・・。

私たちが記事を書く目的は人それぞれです。しかし、この目的にはある共通点があって、それは自分のために記事を書くということです。

中には商売の一環で記事を書いている人たちもいることでしょう。しかしそれとて、結局は回り回って自分のためになります。

親兄弟姉妹、あるいはその身内のためという人たちもいるかもしれませんが、それもまた自分のために記事を書いていることになります。

これに関しては反論の余地がないかもしれません。

私が記事を書く目的とは?

私の一番の目的は、自分自身の成長と幸福のためです。私は中高年ですが、まだあと数十年は生きる予定です。祖母が現在102歳ですから、私もあと50年は生きられるかもしれません。

私はまだまだ知的成長を遂げられると確信しています。そして、この知的成長が私の幸福に直結しています。

これが私が記事を書き続ける一番の目的であり、理由です。

間接的によそ様や社会に還元できればいい?

インターネット社会では、出会った人たちと直接お会いすることは極めてsくないです。ですから、直接的に誰かのお役に立つことは難しいです。

でも、間接的にならばそれほど難しいことではないです。

それは、私の記事を読んだ皆さんがそれらを参考にするだけですから、私の記事を最初から最後まで読むような皆さんに対しては、何かしらのお役になっているはずです。

私にとっての社会還元の一つとは、まさにこれのことです。

なお、ネット上における相談なども間接的なものに含みました。

コメント欄の書き方を間違ている人が多い

自分の記事は自分のために自由に書いてもそれ程問題にはなりません。もちろん、公序良俗に反したり他人を誹謗中傷したり、あるいはその他法律に反するような記事を書くことはできません。

問題は、コメント欄の書き方とその内容です。

コメント欄はあくまでも読ませていただいた記事を中心に書かなければなりません。これはルールではなく、常識です。

相手の記事に対してコメントを書いているので、記事中心のコメントでなければ失礼に当たるのです。

この社会的常識や社会通念がわからない人が、noteクリエイターの中にもいます。私の実感ではコメントを書く人全体の少なくとも2割はいるかもしれません。

次から悪いコメント例について取り上げます。

営業コメントを書いて来る人

半年に1、2回は必ずあるのですが、それは自分の有料記事を売り込むために自分が書いた記事タイトルとそのリンク先を私のコメント欄に貼り付けて来る人がいます。

このような時は、大抵の場合無視をして相手をブロックします。

私はこのやり方を間違っていると思います。次回からは通報することにします(笑)。

記事の内容を誹謗中傷して来る人

私たちnoteクリエイターは誰かを傷つけることを目的で記事をかいてるわけではありません。

これはコメント欄でも同様です。

ヤフー記事は会社や組織、あるいは認知度の高い著者によって記事が書かれています。そして、コメント欄は公共の場と言えます。それに対してnoteは、主に個人により利用されています。

ヤフー記事の感覚でnoteでコメントを書きますと、それは内容によっては誹謗中傷になります。そのため、最悪の場合、警察に通報されることもあるようです。かつての私のnote仲間が警察に通報して問題を解決してもらったことがあるそうです。

なお、最近のヤフーはルールが厳しくなって、コメントの質が以前よりずっと高くなりました。

余談ですが、アマゾンの英語関連図書で誹謗中傷に近いレビューを書く人がいました。私には非常に不愉快な存在でしたのでその人を3回通報したところ、2週間後にはその人の過去数十回のレビューがすべて消えていました(笑笑笑)。約3年間に渡って毎月2回以上誹謗中傷レビューを書くなんて、相当暇な人だと思います。

自分の言いたいことを書いて記事の内容には全く触れない人

私のコメント欄で自分の感想を言いたい放題書いて行って、私の記事に全く触れない人がいます。

こういう時のこちらの対応も困ります。

そのような時は、ほとんど相手をしないようにしています。

最後に 最近はコメントが少なくて助かっている?

note開始当初の私はコメントがほしかったものです。ですが、今はむしろコメントは少ない方がいいです。

もしコメントがあるならば、質の高いコメントが毎回1~3個でいいぐらいです(笑笑笑)。

私は毎回コメント返信にも時間をかけ丁寧に対応していたのですが、最近は何だか億劫になってきました。

これは良くない傾向ですが、この時期はゆっくり休んだり寝たりしたいものです。

なお、以前の記事では、7月20日まではコメント返信をしないと書いてしまいました。7月21日以降はどうしましょうか(笑笑笑)。


<今日の日記>食は人の天なり(徒然草)と菜根譚

最近の私は体調が絶好調で、もうすぐこの期間が3週間になります。これぐらい体調が良いと、人生が非常に楽しくなるものです。30年間以上体調不良で苦しんだ私にとっての今の健康状態は、頑張って生きて来た私に対する神様?や創造主?からの最高最良の贈り物やご褒美に思えます(笑笑笑)。

ところで先ほど、グーグルで「食は」と打ち込んだところ、上から6番目ぐらいに「食は人の天なり」という言葉が出て来ました。

お恥ずかしい限りですが、私もこの言葉をすっかり失念していました。念のためソースを調べたところ、ナントナントナント、私の大好きな徒然草(吉田兼好著)でした(笑)。

若い頃の私は古文が苦手でした。でも、中学生と高校生で学習した「徒然草」は面白くて、後の人生で大いに役立ちました。ちなみに、「伊勢物語」や大学生時代に出会った「菜根譚」も好きでした。「菜根譚」は処世訓の最高傑作の一つだと思います。私もこの良書には随分助られていて、今の私の礎(いしずえ)となっています。

おそらく中規模以上の図書館ならば、数種類の「菜根譚」関連の図書があるはずです。ご興味ご関心のある方は是非ご覧になって下さい。下の3番目に守屋洋さんの「[決定版]菜根譚」を載せました。「Kindle Unlimited」ならば無料で読めるようです。

なお、「菜根譚」は、今の政治家にこそ読んでもらいたい名著です。


内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)に生まれた「菜根譚(さいこんたん)」。処世訓の最高傑作のひとつに数えられ、田中角栄、吉川英治、川上哲治ら各界のリーダーたちから座右の書として愛されてきました。
「菜根譚」が書かれた時代は、儒教道徳が形骸化し、国の道筋を示すべき政治家や官僚たちが腐敗。誰もが派閥争いにあけくれ、優れた人材が追い落とされ、ずるがしこい人物だけがとりたてられていました。「菜根譚」は、そんな生きづらい世相の中、何をよすがに生きていいかわからない人に向けて書かれました。それは既存の価値観がゆらぐ中で、とまどいながら生きている現代の日本人にも通じます。そこで11月の「100分 de 名著」では、混迷する時代の生きる指針の書ともいうべき「菜根譚」を取り上げたいと思います。
<<<後略>>>

名著38 「菜根譚」

イラスト素材:パンダシリーズ 乗ってけサーフィン2

「パンダ 元気」の検索結果が今日のイラストです。

今の私をイラストで表現しますとこんな感じになります。なぜなら、やっと本来の進むべき道に戻って、その道を進み始めた感じがするからです。今の私の人生は、まるでサーフィンで大波に乗れたような気分です。それぐらい気分がいいです。

今日の記事はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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