うめすず

いらっしゃいませ。何気なくて何気ある毎日に題名をつけて、それっぽく文を書く22歳です。ふらっと立ち寄ったお店で試食だけして帰る。くらいで是非読んでみて下さい。自分のために書いています。

うめすず

いらっしゃいませ。何気なくて何気ある毎日に題名をつけて、それっぽく文を書く22歳です。ふらっと立ち寄ったお店で試食だけして帰る。くらいで是非読んでみて下さい。自分のために書いています。

マガジン

  • 「私のお気に入りな奴」ジャルジャル風

    その名の通りです。私が好きな文集めました。一応、好きな順ではあります。

最近の記事

頑張りたい日の朝にはケーキの端を

今は11月の2度目の月曜日の夜で、なかなか好きになれない夜のクラスを受けているところだ。(この文を書いてからもう次の月曜を迎えてしまった) 金曜日から今日までの4日間を通して、自分のことを少しだけ好きになれた気がした。理由は明確で、バラバラで、他人由来で、自分経由で、、、とりあえず、少しだけこんな自分を好きになれる。 4日間のエピソードに題名を付てけてみた。興味がなくても全て読んで欲しいけれど、面白そうと思ったモノだけでも是非に。 Have a good Friday

    • 結局自分と話してる

      楽しさに目を向けることはそんなに難しいことだったっけ。 数年前の日記を読み流しては、前の自分はもう少しだけ明るい明日を描いていたような気がしてならなかった。 「もう少しだけ」と言えるのは、日記の最後にがんばれとおやすみを書き続けるくらいの明るさが今よりあったからだ。 どんな憧れの存在もあまりできたことがなくて、代わりに過去の自分に憧れてたいなと思う。 そんな自分だけの世界で生きている私は相変わらずだと思いながら、冷たいお茶をしばく夜。 身体は冷えるばかりで、明日から

      • 嫌いな夜にみた夢でヒーローになる

        やっぱり好きになれない夜はたまに来る訳で、そういう日に見る夢でヒーローになったりすることもある。 なんでこうもハイスピードシーソーゲームをしてるんだ。ジブンひとりで。 ユラユラしている、ずっとユラユラ。 正直、「ユラユラ」なんて心地の良さそうな葉っぱの絵文字みたいなものではない。 昨日までの「普通」にお別れするのは結構あっさりで、急だったりする。 そしてまた、今日の「普通じゃない」自分も簡単にいなくなったりしている。 自分にも分からない感情を回収しようとするのがい

        • 日記のような手紙を。

          いつの日かの日記は一段一段と行を降りるごとに、まるでその人に向けた手紙のような恥ずかしさを増していた。 その人にそんな「日記のような手紙」を書きたいと思ったけれど、あまりにも恥ずかしすぎた。いつの日か訪れる「なんでも無い日」まで取っておこうと思った。 自分という人とそれ以外の私を取り巻く人、というのは必ずしも「同じようなふたり」でないといけないのか。最近、よくそんなことを考えていた。 私がよく言う「好きな人」たちには何となく、私と同じようなその人であって欲しいなんて、超

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        • 「私のお気に入りな奴」ジャルジャル風
          13本

        記事

          有線を流れる音符を辿る

          YouTubeで聴く音楽と携帯のサブスクリプションで聴く音楽の違いを定義できそうな気がした昼下がり。「昼下がり」という言葉は雨の後の曇りの午後にも使える言葉なのか。何となく、「昼下がり」は晴れていそうだ。そんなどうでもいい少しの疑問をここに残しながら、私なりの楽譜をここに読んでみたいと思えた。 最近はというと、「樂」という意味では音を楽しめていなかったのかもしれない。 アメリカに持ってきた自前のBluetoothイヤホンはすぐに体調を壊してしまい、うんともすんとも言わなく

          有線を流れる音符を辿る

          秋の音が下から聴こえてくる

          舌とは別のところで感じる旬が好きだ。 夏が終わるのを感じて秋の訪れを覚えるのは少し勿体ない気がした。 夏の終わりにも、夏との境い目にもわき目もふらず、秋に満たされて秋の訪れを感じたい。 そんな秋がきたなら、本望だ。 上から黄色や赤に色付く木々たちは、自らの色を自覚しているのだろうか。 あんなにも深く色付くことができるのに。 最後まで上に残って、先に落ちていった一枚一枚を下目に見ながら、あんなにも美しいのかと自覚して散って欲しい。 そんな一枚一枚でできた一面を、秋

          秋の音が下から聴こえてくる

          悲しさの和え物

          悲しさを愛で和えてみたりする。 愛にセットでついてくるのは「好き」とか「嫌い」とかそういう簡単に想像できるものじゃないと知ったのは、つい最近の話だった。 私にとっては、愛と悲しみが同じ袋に入れられることもあるのだと、気が付いた。 9月の残りを片手で数え始めて、3本目の指を折った朝。私にとって忘れられない思い出ができた。 いつか親友とノリでラーメン屋さんバイトに応募してしまった夜に誓って、朝の声は何よりも正直だと言える。 だから「朝って良いよね」 そう言いながら、い

          悲しさの和え物

          話したいことがあるって話

          22歳もあと4か月。4か月後には何となく迎えたくはなかった23歳を迎える。そんな私のこの5年間には贅沢にも好きな人が沢山登場してくれた。 (何度も言ってる気がするけど、好きな人はホントの意味での好きな人で、恋愛の意味での好きな人とは違う。) 何で自分は好きな人の前でこんなにも自分をさらけ出してしまうんだろうと、アメリカの田舎道を歩きながらふとそんなことを考えた。 話すことは好きだけど、なんでも話してしまうと「勿体ないな」とか「特別じゃなくなるな」なんて考えてしまった。

          話したいことがあるって話

          ぁ。 最近はというと、頭から溢れそうな色んな感情に気づきつつも、回収できないままやることだらけの日々を過ごしている。 やることだらけというのは別に、しなきゃいけないことばかりやっていて忙しい訳ではなく、自分のためにしたいことも含むので、これまた大変ではある。何しろ、優先順位はいつも間違えてばかりなので。 とりあえず、まぁるい付箋紙に書かれた謎のメモや、頭で繰り返した忘れたくない気持ち、慌ててチェックリストにメモしたあの気持ち、毎日の日記に書いて自覚した気持ち、、、をごち

          はいはい、私。

          人生で二度も留学を経験するとは思わなかった。だけど、現に今アメリカにいる訳だから、現実はそうみたいだ。 大学に着いて一日目の夜に金縛りにあったのはいつまでも忘れない。詳しく覚えてないけど、とりあえずアメリカっぽい金縛りだったイメージ。 そう、3日前にバタバタとMove in dayと言われるお引越しの日を終えたばかり。今はまだクラスも始まっておらず、suite mateと呼ばれるルームメイトたちもまだ到着していない。なので、一人の時間を満喫している。(あ、書いてる途中で一

          はいはい、私。

          ハート型のアザ

          傷ついたのに残ったアザはハート型で、あぁ自分も捨てたもんじゃないなと思えた。 味わいたくはなかった苦みを経験して、やっぱり嫌な苦さだったなぁと渋の付いたカップを洗いながら振り返る。それからの人生のテーマを優しさにしてみた。こんな苦みを味わったり、こんな「苦み」の入ったカップをのぞき込んで不安になっている人がいるのなら、誰にでも優しくしたくなった。 そんなことをしていると、自らの傷の後に残るアザもハート型だったりするので、傷つくことがイヤになることもあまりなくなった。 コ

          ハート型のアザ

          夏を迎えにいけていない

          夏が来たのに、夏を迎えに行けていない気がしてならない。 7月はいつもに増して、考えたいことがあった。何かを感じることが多かったからだ。 満月から落ちた強い光はなんだって照らしてくれそうだった。もはやそこに夜っぽさはなかった。そんなスイッチを押さない光を浴びながら、友とコーヒー片手に語らいあう日を夢見た。森の中、木の家、ベランダ、心地良い汗と風、夏の音。似たような日を、私たちは知っている。ふと、思った。私たちは「頑張っている」。だからこんなにも月の下で会話をしたいと思えるん

          夏を迎えにいけていない

          やまない雨はないだとか

          明けない夜はないとか、やまない雨はないとか。そんなこと知ってる。でも、明けない夜に朝を探して、やまない雨に青空を探す私に、そんな言葉は届かなかったりする。 愛読者の友はこの文を引用していた。特に後半部分は私の目標というか、モットーというか、忘れたくない気持ちというか、何だろう。最近の私が大事にしていたことだったので、あまりにも簡単にこの文の深い意味までも理解できた気になった。 悩みは測れないし、比べられない。他人にも自分にも測れないし。他人の悩みと自分の悩みを比べることも

          やまない雨はないだとか

          幸せ。探さなくても、ふと。

          繋いだ電話から聞こえる友の声と5月24日の夕陽の幸せセット。 3月頃から探していた幸せは、 探さずとも、ふとあるものだと散歩しながら気がついた。 沈んでいく夕陽に後押しされて帰路に就く。 「(はぁ~)」 「(ずっと喋っていたいな、おうちに帰りたくないな)」 でも、その「帰りたくない」は別に寂しいもんじゃない。 そんな心地の良い存在がいることは、寧ろ幸せだなと思えた。 人の分岐点にはよく立ち会っている気がする。 なんて自分のことを誰かの重要人物かのように言ってしまっ

          幸せ。探さなくても、ふと。

          38歳 バタコさん

          バタコさん(仮名)は泣いていた。 バタコさんは5月に来たでっかい波に打ちのめされながら、過去のトラウマを真後ろに引きずりながら、ついでに人と人の飛び火のようなものを全部受けながら5月を生きてた。 バタコさんからどんどん出てくる話は、同じ人間が1ヶ月の間に乗り越えれる壁の厚さと高さをゆうに超えていた。 話を終えた後に泣いていたのは私の方だった。 怒りと悲しさを右と左に同じくらい含んだ瞳で、当事者である自分と向き合うような口調で話した後、自分を落ち着かせるために水を注い

          38歳 バタコさん

          夢と現実の間で棒立ち

          とだけメモを残して、また眠りについた。 何を言いたかったのだろう、あの時の自分。きっと何かを言いたかったんだろう。それだけは分かる。 なにもnoteに残さなくたっていいじゃないか。せめてメモだろう。 朝起きて1人で準備するあの時間が好きだ。 夢で見た世界に近づいていくような感覚を繰り返す。 私は夢を覚えすぎている。 私は夢で見た景色を迎えに行きすぎている。 朝、一度目を覚ます。そこで体を起こすことができたなら、朝には強いの部類だが、そこから二度寝をし始めるので朝

          夢と現実の間で棒立ち