嫌いな夜にみた夢でヒーローになる
やっぱり好きになれない夜はたまに来る訳で、そういう日に見る夢でヒーローになったりすることもある。
なんでこうもハイスピードシーソーゲームをしてるんだ。ジブンひとりで。
ユラユラしている、ずっとユラユラ。
正直、「ユラユラ」なんて心地の良さそうな葉っぱの絵文字みたいなものではない。
昨日までの「普通」にお別れするのは結構あっさりで、急だったりする。
そしてまた、今日の「普通じゃない」自分も簡単にいなくなったりしている。
自分にも分からない感情を回収しようとするのがいけないかもしれないと思い始めた時にはもう時すでに遅く、嫌いな夜が完成している。
そんな夜にヒーローになれるなら、まぁ、自分の人生もバランスが取れているのかもしれない。どうも、嫌いな夜にみる夢で何かに追われて大汗をかくほどのアンバランスな人生ではないらしい。
取扱説明書は一応取っておくタイプだけど、二度とは開かないタイプだ。
私の取扱説明書はもはや「新しいページを追加する」タイプの「ドキュメントを共有する」タイプの説明書なのかもしれない。
どれもこれもが私に当てはまる時も、どれもこれもが私に当てはまらない時もある。昨日までその方法でどうにかできてたことも、今日の自分にはどうにもこうにもならないことがある。そんな時に、「新しいページを追加する」必要がある。
私が誰かにジブンを話すことで共有された取扱説明書は、たまに誰かによって開かれて、その誰かが私を元に戻すための六角ねじみたいな存在になってくれる。
自分で分かった気になっては、また大きなため息をつく。
誰かに支えられては、自分の不甲斐なさに目がいく。
まぁ、そんなユラユラぐらぐらなところも含めて全部ジブンらしければいっか、とそう思える自分は一生変わらなくて好きになれるかもしれない。
だから、嫌いな夜にみた夢でヒーローになるみたいに、そういうバランスのとり方で冬くらいは乗り越えられたらな、と。