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話したいことがあるって話
22歳もあと4か月。4か月後には何となく迎えたくはなかった23歳を迎える。そんな私のこの5年間には贅沢にも好きな人が沢山登場してくれた。
(何度も言ってる気がするけど、好きな人はホントの意味での好きな人で、恋愛の意味での好きな人とは違う。)
何で自分は好きな人の前でこんなにも自分をさらけ出してしまうんだろうと、アメリカの田舎道を歩きながらふとそんなことを考えた。
話すことは好きだけど、なんでも話してしまうと「勿体ないな」とか「特別じゃなくなるな」なんて考えてしまった。
でも数歩進んで、すぐに答えが出て笑った。
話さない人生より、話したい人生だな
と。
一度目のアメリカ留学でできたルームメイトの家族と仲良くなった。数回家にもお邪魔して、長期休暇をその家で過ごしたことも。家族の中には白黒スタンダードプードル2匹と猫がいた。特にそのわんこ達とは相当仲が良くなった。そんなファミリーと一年以上ぶりに再会した時、黒い方のルビーが去年の夏に亡くなったことを知らされた。当たり前にまた会えると思っていた自分に、さらに悲しくなる。「もし出会うのが遅かったなら、思い出もなく悲しまずに済んだのかも」と頭をよぎったりもしたけれど、結局そんなものは本心ではなかった。ルビーに出会わない人生より、ルビーに出会う人生でよかった。そう思った。
少しそれに似た気持ちかもしれない。
前者を考える暇も必要もないくらい、後者だなぁ
と。
好きな人たちからの言葉、メッセージや電話はいつも、私のことを理解しすぎていて、怖いまである。
自分よりも自分を分かってくれてそうなみんなの心の豊かさにも驚くし、感謝してもしきれない。
同時に、おしゃべりな自分でよかったと思った。
なんでも声にする、文字に残す自分は一番好きになれるかもしれない。
おしゃべりな自分が話した何かを誰かがそっと覚えてて、そっと励ましてくれたり、
おしゃべりがゆえに知らないうちに私の、私だけの変なトリセツができていたり、
そのトリセツを意識せずとも自然に持ち出して、私らしさを思い出させてくれる。
どこかに残しておいた私の言葉に一番励まされるているのは、まぎれもない私で、
いつかの思い出したい感情と景色ばかりで、
そんな記憶に思いふけってまた口角を上げる自分が好きだ。
口角が上がりも下がりもしないことも、はたまた下がってしまうようなことも、それを思い出すことは必要なことのような気がする。いつでもね、私にね。
どんなことも、言葉にしてしまえば大丈夫、と思いました、最近。