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秋の音が下から聴こえてくる

舌とは別のところで感じる旬が好きだ。

夏が終わるのを感じて秋の訪れを覚えるのは少し勿体ない気がした。

夏の終わりにも、夏との境い目にもわき目もふらず、秋に満たされて秋の訪れを感じたい。

そんな秋がきたなら、本望だ。

上から黄色や赤に色付く木々たちは、自らの色を自覚しているのだろうか。

あんなにも深く色付くことができるのに。

最後まで上に残って、先に落ちていった一枚一枚を下目に見ながら、あんなにも美しいのかと自覚して散って欲しい。

そんな一枚一枚でできた一面を、秋の音を無駄にならして歩いてみた。

秋はまだ上にもいるというのに、秋の音が下から聴こえてくる。

秋は一番好きだ。

冬に生まれた私だけれど、秋との相性はきっといい。

秋の色が好き。

どうやっても寂しさを含んでしまうような深みと、その後に待つ寂しいカラバリの冬を目前に本気を出しているような色たちが好きだ。重ねられ始める服たちもきっと嬉しがっているはずだ。肌色が隠れ始めるこの季節に、人肌が恋しいなんて表現は、言ってしまえば当り前のようにも思える。

秋の音も好き。

歩く度、パリパリに乾いた葉たちによる秋の音を聴く。ただの散歩道はもうイヤホンをしてしまうのが勿体ないくらい贅沢な音をBGMにしていた。一人で歩いて静かに味わい、二人で歩いて丁寧に重なり、向こうから近づいてくる誰かの足音にスピーカーの丸いつまみを+にゆっくりひねっていくような、そしてゆっくりとまた-にひねるような移り変わりを感じた。

そんな全身で感じる秋が好き。

欲を言えば、芋と秋刀魚と筍と、、、最強の字面を食卓に並べて一番の旬を舌と鼻で同時に感じたい。この国にいるうちは無理そうなので、次の秋にはパンプキンスパイスラテの虜にでもなりたい。なろうかな。

、、、

というかね、秋は五感が優れる季節。

春にも夏にも冬にも感じない何かを必要以上に感じてしまう。

だから私は今年も、

『秋に入り浸る。研ぎ澄まされた第六感に秋を覚えさせる。
秋の風はこうで、秋の匂いはああで、秋の音楽はこれで、秋の色はそれ。
今年の秋は私を覚えていてくれるだろうか。』

秋に恋ふらく/うめすず



わたしの秋3つほど集めました


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