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悲しさの和え物

悲しさを愛で和えてみたりする。

愛にセットでついてくるのは「好き」とか「嫌い」とかそういう簡単に想像できるものじゃないと知ったのは、つい最近の話だった。

私にとっては、愛と悲しみが同じ袋に入れられることもあるのだと、気が付いた。


9月の残りを片手で数え始めて、3本目の指を折った朝。私にとって忘れられない思い出ができた。

いつか親友とノリでラーメン屋さんバイトに応募してしまった夜に誓って、朝の声は何よりも正直だと言える。

だから「朝って良いよね」

そう言いながら、いつもの朝にいつもの雰囲気でいつもの二人でいた。

そんないつものメンバーを揃えながら、変わったようで変わらない距離感にやっぱり気づきもせずに勉強に向かう二人だった。


たまに、夜が嫌い。

あいみょんの新しいアルバム曲「朝が嫌い」は、朝だけじゃなく、「夜になったら明日が怖い」のでどうも夜も嫌っているっぽい。

深まれば深まるほど悲しい秋みたく、愛は切ない。
知れば知るほど肥える知識みたく、愛は複雑。

そんなことを考えてしまうような、真っ暗で静かな夜が嫌い。

知らない世界で知らない形の愛を知った今、愛に付いてくる悲しさの存在を正面から受け止めた。

受け止められなくて、悲しいだけだった。

ハッピーセットに付いてくるおもちゃみたいなハッピー加減で付いてくればいいのに。

愛に付いてくる悲しさはそれとはまったく別だった。

もはやアンハッピーセット。

でも、いつかの朝に気が付いた。

悲しさまで付いてくるほどのそれは、こんな私にとっては一番良いのかもしれない。

好きとか嫌いとか、そういう類の「愛」を通り越して、愛の横に悲しさを置くのはなんかいい。

ふと、その愛も悲しみもくれる存在の幸せを願い過ぎていた。

そんなことに気が付いた朝だったので、やっぱり「朝は良いよね」と一人頭の中で復唱した。

悲しさと愛をそれぞれの形が変わるまでに混ぜこぜにする必要は無いと思った。

悲しさを自覚して、愛を感じれば、ね。

「悲しさはそのままで、愛と和えて」

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