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漫画みたいな毎日。「お正月とお節と初夢のはなし。」

一年はあっという間に巡っていくのだと歳を追うごとに感じている。

ありがたいことに、一日一日、子どもたちは自分でしっかり根を張り、その幹も枝葉も自由に伸ばしているように感じられる。

去年のクリスマスは子どもたちが自分でできることを自分で考え、動く様子を間近で感じ、とても充実した感覚となった。豊かな時間とはこういうことなのだろう・・・2023年、一番の贈り物を受け取った気がした。子どもたちが次々に胃腸炎に罹ったことは除いて・・・。


もう新年も6日だが、お節のはなし。

大量に仕込んだお節もやっと終盤。
一体どれだけ仕込んの?という話なのだけれど、我が家のお節は大量だ。

しかし、流石に子どもたちもお節に飽きて来たようで、今日はお節アレンジの夕飯にした。

お煮しめをカレーうどんに。お煮しめの具材を麺と馴染むように、小さく切る。出汁の味もしっかりしていて、満足。たたきごぼうに、自家製豆乳マヨネーズを和えて味変。お節アレンジは思いのほか面白いものかもしれない。

我が家のお節作りは、12月の20日頃から始まる。

黒豆やきんとんなど、冷凍できるものから少しづつ作ってストックしていく。

「お節とは買うもの」と思って育った私は、夫と知り合い、結婚してから、お節を少しづつ作るようになった。夫は市販のお節など食べたことがない人だった。だからといって、「作って欲しい」とか「何で作らないの」と言われたことはない。でも、夫が話してくれる「美味しそうなお節の話」は食いしん坊な私の心をくすぐる。

始めは紅白なますと黒豆だけ、次の年は田作りも作ろう・・・そんな風にして、一品一品、品数を増やしてきた。今の我が家のお節の品数は、17~18品目となっている。

子どもたちが産まれて、思うように台所仕事が出来ず、お節作りがしんどいと思うこともあった。子どもたちの授乳の合間、昼寝をしている時間、夫が子どもたちと遊んでいる時間、その隙間をやりくりしてお節を作った。毎年毎年、「今年は無事にお節を作れるだろうか?」と頭を過る。乳児である子どもたちや自分が体調を崩したら、アウトだ。

大晦日までの動きを自分で把握し、夫と共有する為に、お節作りの段取り表も作った。品目それぞれに何が必要か。いつ、どこで、何を買うか。何日から何を作り始めれば、慌てずに新年を迎えられるのか。

こういうことを考えるのが好きだ。段取り通りに行かなくても、そこはリカバリーすればいいし、次の年にまた変えればいい。お節の内容も、段取りも、〈こうでなければならない〉というものではなくて、あくまでも〈目安〉。思っていたのとは違うことが起きるのは、我が家では日常茶飯事なので、段取り通りに行くとは思っていないのも大きいのかもしれない。


子どもたちとの生活を優先しつつのお節作りは〈楽勝!〉とはいかない。それでもお節作りを止めなかったのは、何故なのだろうと自分でも不思議に思う。

最初は、お節のレシピ本を見ながら、私だけで作っていたお節。
子どもたちが大きくなるにつれて、一緒に金柑の種を取り、ごまめの苦味の元となる内臓を取り除き、雑煮用の野菜の型抜きをするようになった。去年は長男が煮しめの野菜の飾り切りや面取りをやってみたいといって、手伝ってくれるようになった。今年は二男が飾り切りを。末娘は型抜きを。

私が台所に立っていると、「何か手伝うことは?」「何かできることあるかな?」と夫と子どもたちが代わる代わるやってきて声を掛けてくれる。
実際にその時にやることが無いこともある。〈声を掛け、気に掛けてくれる〉それだけでも、年末の台所仕事への気持ちが軽くなるものなのだ。

お節も年々、変化している。レシピ通りの物は少なく、甘みの種類も量も我が家の好みに変えている。全体的には品目が増えているが、品目が減ることもある。「お肉はもっと少なくても良いんじゃない?」「あれはなくてもいいかも」とお節料理が日常のおかずになって、お節に組み込まれなくなったものもある。日常のおかずになると、〈特別感がない〉とのこと。なるほどね、と思う。

お正月には市販のお節料理が大半を占める家庭で、私は長年を過ごして来た。結婚するまでそれが続いていた。

〈お節とは、どれも味が濃くて、美味しくないもの。〉

そのように思っていた私の100倍返しが、毎年のお節作りなのかもしれない。

「お節は美味しい」「お節っていいよね」「いくらでも食べられちゃう」

家族のその言葉が、私がお節作りを止めない理由なのだろう。

家族で美味しいものが食べたい。
安心する親しんだ家庭の味で、新しい年を迎えたい。


昨年末のクリスマス料理も、お節作りも、子どもたちが自分で動いてくれることが多く、「大変じゃないわけではないけど、思っていたより、スムーズで負担感がすくなかったなぁ。気が付いたら、全部支度が終わってた感じがする。」というのが私の感想だ。

調子に乗って、今年の年末は、お節の新しい品目にチャレンジしてみようかな、と心の中で思っている。そして、お節に飽きた場合のアレンジも楽しんでみようか。


お正月の風景と過ごし方のはなし。

今は、元日から近所のショッピングセンターも、スーパーも、コンビニも、休むこと無く営業している。買い物に困らないことはありがたいことなのだろうけれど、そこに働く人、荷物を運搬する人、工場の人、たくさんの人々がいて、年末年始関係なく働いて、世の中を動かしているのだなぁと思う。

私が子どもの頃、昭和の時代。松の内の間、長いと1月7日くらいまで商店街はお休みで、シーンと静まり返っていた。

私はシャッターの閉まった静かな商店街を散歩するのが好きだった。

いつも開いているパン屋さんもお肉屋さんも、八百屋さんもみんなお休み。
威勢の良い店員さんの掛け声も、お客さんの気配もまったく感じられることはない。空気も心なしか冷たい気がする。商店街は、こんなにも風が抜ける場所だっただろうか。見慣れた場所であるはずなのに、まったく違う所に来てしまったような不思議な感覚になる。今で言えば、異世界に入ってしまったような、そんな気分だったのだろう。

大人になった今、例年であれば、正月三ヶ日は何処に行っても人で溢れていることが予想されるので、基本的に遠出をしない。

家でお節料理を食べたり、近所の神社に初詣に行ったり、年賀状の返信を書いたりする。家族でボードゲームやトランプに興じることもある。

今年は夫が、録り溜めた映画を皆で観ようとリストアップしたり、クリスマスやお正月に皆で楽めるようにと、ゲームのソフトを新しくプレゼントしてくれた。〈世界のアソビ大全51〉というソフトで、ルールは簡単で、懐かしいゲームが沢山入っている。

オセロ(これは商標名なので、リバーシ、というらしい)や、カーレース、
エアホッケーにぷよぷよのようなもの、野球盤にボウリング、懐かしいゲームが揃っている。

私は普段ゲームをやらない。
ゲームが嫌いなわけではないが、今は、ゲームに時間を費やすことが難しい。子どもの頃は、ゲームセンターで遊んだこともあるし、友達の家でゲームをやらせてもらったこともある。

今、私がゲームを控えめにしたいと思うのは、子どもたちとゲームに費やす時間を巡る攻防が好きではないのもある。

できることなら、自分で制御できる年齢になってゲームを楽しみ、自分で調整してくれたらいいなと思う。

しかし末娘など、年齢の低い子どもたちには自己調整が難しいこともある。

その場合にはやはり時間で区切ったり、違う楽しいことをして一緒に遊ぶ時間を過ごす。ゲームは楽しい、だからこそ、止めるのは難しい。その匙加減は経験していくしかない部分もあるだろうし、時には、大人が介入する必要があることもある。

幸い、ゲームにあまり興味のない長男が、「そろそろ目を休めたら?」「もう〇〇分やってるんじゃない?」と私よりも、電子機器や電磁波云々には口うるさい(失礼)ので、それはそれで助かっている。親が言うよりも、兄の言う事を素直に聴く弟妹である。

「お母さんもゲームやろうかな?やってもいい?」

「え?!一緒にやってくれるの?!」

子どもたちは飲み込みが早く、まったく敵わない。カーレースも、ぷよぷよみたいな落ちゲーも、戦車で打ち合いをするゲームも、負けっぱなし。

でも、楽しい。

子どもたちが、〈お母さんと一緒にゲームができる〉と言って、嬉しそうにしてくれる。

「お母さんがゲームやってるの初めて見た!レアだね!」

レアキャラ母の出現である。

「そういうのもいいなと思ったから買ったんだよ。」と夫はややドヤ顔だった気がするが、まぁ、そうだね、そうだね、そういうのもいいねということにしておこう。

夫は、ゲームソフトだけでなく、カードゲームも用意していた。ゲームは遊べる人数が限られるので、皆で遊べるゲームもあったほうがいいよね、と。

そのカードゲームは「人狼」だったのだが、なかなか難しい。何故なら、末娘は嘘をつけない。ついホントのことを言ってしまう。

「人狼」ゲームとは 「人狼」ゲームは、味方になりすましたウソつきを会話で見つけ出す10名前後から楽しめるパーティーゲームです。 プレイヤーは、全員とある村の住人として振る舞いますが、その中の何名かは人狼役で、村人に化けて村を滅ぼそうとしています。

人狼ゲームとは?

長男は、友達と人狼ゲームをやったことがあるので、ゲームマスターとして、ゲームの進行をかって出てくれた。
「そういえば、この前、図書館で借りた本の著者で元警察官の人も、自分の講座で人狼やったりして、嘘を見抜く訓練とかするんだって!」
そんなことろにも人狼が!

長男が借りて読んでいた本。ウソと心理を見抜ける人になりたいんだとか。
野生の牡鹿には必要ない気もするけれど、自然界だけでなく、これからも人間の森で生きて行かねばならないので、少なからず役に立つのかもしれない。

二男も夫も、私を人狼だと疑うこと2回。いずれも私は善良な村人であった。妻を疑うなんて悪い夫と息子である。

今夜は、トランプとUNOをやろう。


初夢のはなし。

一富士二鷹三茄子。

縁起が良いと言われるそれらの夢を見たことは一度もない。残念ながら。

私は、疲れると肝臓が痛む。お酒は殆ど飲まないのだが、恐らく、長年の思考パターンと感情のパターンが〈怒り〉を司る臓器である肝臓を酷使してきたのだろう。肝臓に申し訳ない。解毒、解毒の日々の中、私を支えてきてくれたのが私の肝臓なのだろう。

肝臓は五行でも、感情をコントロールする役割をしてくれているという。

今では、食べ過ぎても、苛々しても肝臓が疼く。背中の肝臓の部分が痛いと感じる。その度に、何かしら過剰だったり、酷使しているのだろうと反省する。

今年の初夢はとてもリアルだった。

私は、おもむろに、自分の身体から肝臓を取り出している。痛みなどは感じることはない。肝臓をじっくりと観察した私は、

「ここ、悪くなってるから、切り取ろう。あとは戻しておけば、ちゃんと再生するからいいね。」

そう言って、肝臓の一部を切り取った後、自分の身体に肝臓を戻した。肝臓は大きくて、赤くて、立派だった。

そこで目が覚めた。

私の初夢は、肝臓か。どういう意味だろうかとぼんやり考え、寝室からリビングに下りていく。先に目覚めていた夫に初夢の話をする。

「肝臓の再生能力は確かに高いらしいけど、面白い初夢だね。まさに、今年のけいちゃんのテーマ、浄化と再生、なんじゃない。」

肝臓はとても再生能力が旺盛な臓器で、正常な肝臓の約70%を切除しても人は死ぬことなく、体内でその空いた空間を埋めるように残った肝臓が増殖して、元のサイズに復活します。 劇症肝炎でない限り、肝臓細胞は1回ダメージを受けたからといってすぐに機能不全には陥らず、何度でも再生を繰り返して生命の恒常性を保とうとします。

人体の不思議・・・。

だからといって、酷使するのは望ましくないので、平穏に暮らしたいと思っている。

私としては、今年は自分の身体にスポットを当てて、浄化というか、デトックスをしていこうと思っている。半世紀生きてきて、やはり50代、もっと自分のケアをしてった方がいいなぁと思っている。これから歳を重ねることはあっても、若返ることはない。(年齢という意味で。)だからこそ、精神の器である、身体を保てるようにしていきたいと思っている。

そして、3日の朝に見た夢もなんだか面白かった。

何か大人の習い事をする場に居合わせており、見知らぬ子どもたちがスタジオの外に出ていた。そこに、教室の先生がやってきて、子どもたちを叱りつける。

「あなた達は、そんなことだから、いつまでたっても10点とか20点しかとれないのよ!そして10点、20点の人として評価され続けるんだからね!!!!」

何を言っているんだろう?この人は?と思った私は、見ず知らずの先生に、

「そうやって子どもたちを点数で現したり、評価するアナタが10点の人間なんじゃないですかね。」と言い放ったところで目が覚めた。

なんなんだこの夢は。

現実にこのような場に居合わせたら、言ってしまうかもしれないリアルさを感じた。いや、そんなことが現実となりませんように。

そんな初夢で迎えた2024年。
脳内ヤンキーが暴れないように、穏やかな日々を紡ぎたい。


お届け用お節。
毎年、友人とのお節交換。
大晦日に交換するのがとても楽しみ。


元旦の食卓。
お節の詰め方は毎年迷う。
なかなか綺麗に詰めることができない。
汁気の多いものをどう詰めるかが毎年の課題。


山の上からの初日の出。
お天気があまり良くなくて、うっすらの日の出。
チーム男子撮影。
チーム女子はぬくぬくお布団の中でした。


2024年が、皆様に穏やかな日々となりますように。
今年も気長にお付き合いただければ幸いです。

ヘッダーはみんなのフォトギャラリー・花咲猫(Hanasakuneko)さんの絵をお借りしました♪ありがとうございます♪





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