漫画みたいな毎日。「私の母の日。」
世の中での、母の日が終わった。
「お母さん、ありがとう。」
スーパーでも、ネットを開いても、この時期が近づくと目にする広告。
そして、ちょっと不思議な気持ちになり考える。
「お母さん、ありがとう。」と言わなくてはならない気持ちになる日、になっていないだろうか?
みんながそうするから、しなくてはならないと思っていないだろうか?
心から、感謝する、って難しいことだよなぁ・・・と。
そんな風に考えてしまう私にとって、「母の日」は、あまり心躍らない日なのである。
母の日の由来を改めて調べてみた。
なるほど、「すべての生けるものへの感謝の日」というのも素敵だ。
私は、毎年、母の日になると、「私は、心から母に感謝したことがあるだろうか?」「母とはなんぞや。」ということを考えてしまう。
自分の母親に対して、私をこの世に送り出し、社会に出る様になるまで育ててもらったという事実に関しては、あたりまえではないし、感謝している。それは、大変なことだったはずだ。
しかし、自分の中で、優しい心持ちで「お母さん、ありがとう。」と言うには、あまりにも色々な出来事や、想いが交錯してしまう。
私は、母に対して、「決して、わかり合うことはない。」とかなり早い段階で諦めてきた。
そして、今も、そのことは残念ながら変わっていない。
年をとった母を今更、責めるつもりもなく、責めたところで、何も変わらないと思っている。母にしてみれば、必死に生活し、子育てをしてきただけなのだろうと思うからだ。
ただ、需要と供給のバランスが、あまりにも合っていなかったという事実があるだけなのだ。
だから、「お母さん、ありがとう!」と手放しで感謝できる母子関係を見たり聞いたりすると、とても羨ましく感じる。
そんなことで、母の日は、ややナーバスな心持ちになる。
自分のそのような育ちを思い出すからだろう。そして、子どもたちに「感謝」を強要する日にならないように、と自分の中で細心の注意を払うからだろう。
私にとって、〈母の日〉と〈子どもたちの誕生日〉は、「自分を母にしてくれた子どもたちに感謝する日」だ。
その方がしっくりくる。
感謝とは、「そう感じ、伝えたい。」と思ったら伝えればいいし、伝えなくても、ふと見え隠れする子どもたちの言動から感じることもたくさんある。
余談であるが、夫が母の日に、妻である私に、花をプレゼントするなどと考えないように、昔から釘を刺してある。「私は、あなたのお母さんではありません。」と。だから、夫から何かを贈られることもない。
昨日は、夕飯に、子どもたちが喜びそうなもの、ちょっとだけ特別感のある盛り付けにでもしようと思い、サーモンのムニエル、マッシュポテト、人参とナッツのサラダをワンプレートにした。
食卓を見た長男が、「わ!美味しそう!あぁ、母の日だからか!」と声を上げた。
・・・何だか、違う気もしたが、笑ってしまった。
でも、それくらいの方がいいね。
皆で食卓につくと、二男が「あ!ちょっと待ってて!」と、自分の机スペースに消え、なにやらガサゴソしている。
「お待たせ〜!お母さん、母の日、おめでとう!」
二男は、折り紙で作った花束を抱えていた。
あなたって、そういう人だよね。
いつも、さり気なく誰かを喜ばせる人。
末娘が、それを見て「何にもプレゼント用意してなかった〜」と残念がるのが、また面白い。末娘は、プレゼントするのが好きなのだ。それも、誰かを喜ばせたいという気持ちからなのだろうと思う。
「あなたが、毎日元気で楽しくしているのが、一番のプレゼントだから、いいんだよ。」と末娘に伝えると、「あ!そうか!そうか!」と、あっさり納得する。面白いなぁ。
家族で食卓を囲み「母の日おめでとう!」と乾杯した。
長男が「今日が母の日って、知ってはいた。」と言う。いつから?と尋ねると、「3日くらい前から。カレンダーに書いてあるから。」
あぁ、カレンダーに印刷されてるのを見たのか。
母の日が「お母さん、ありがとう」と伝えるらしい日、と知っていても、その流れに乗ることなく、乗せられることなく、自分の気持ちに誠実に、日々を過ごせる長男をいいな、と思っている。
自分が、伝えたい、そう思うときに、動けば、伝えれば、いいのだから。
それが、母の日や、特別な記念日である必要はないと思う。
「これまで元気に育ってくれて、私を母にしてくれて、ありがとう。」
子どもたちに感謝する日。
一緒に子どもたちの育ちに寄り添ってくれる夫に感謝する日。
みんなが、母であることを「おめでとう」と祝ってくれる日。
それが、私にとっての「母の日」だ。
私は、家族から日々、たくさんの「ありがとう」を受け取っている。
母の日の翌日である今日。
「一日遅れたけど・・・・」と、長男が、素敵な手作りカードをプレゼントしてくれた。
「思ったより時間がかかって、昨日に間に合わなかった。」
そんな素振りをまったく見せなかった、ツンデレの長男の贈り物。
「Congratulations」の綴りが間違っていたが、それも、また可愛くて、
そのままにしてしまった。
仕事から帰宅した、その間違いを夫が指摘した為、「なんで教えてくれなかったの?!」と言われたが、そんな間違いも、今だけだから。
母の日のルーツについて子どもたちに話をした。
すると、長男が、「宗教云々じゃなくて、ただ、お母さん、ありがとう、って言う日っていうのが、いいと思う。」と。
私にとっては、毎日が、「母の日」だ。
毎日が、子どもたちに感謝する日だ。
あなた達のお母さんにしてくれて、ありがとう。