学校に行かないという選択。「学校に行ってみようかな。」
昨日は月に一度の二男の小学校の面談日だった。
担任の先生は、「クラスにバスケット好きな子もたくさんいるから気が合うと思うんだけどなぁ!」「学校くるのどうですかね?」と今回も帰り際に言っていた。二男は聞いてないふりをしてさっさと玄関を出る。
雪解けが進む道を二男と歩いて帰りながら色々な話をする。20分くらいのこの時間は文字通り〈二人きり〉で、二男の様々な気持ちを聴ける貴重な時間。
「先生はさ、自分が単純だから、自分(二男)のことも同じ様に単純だと思ってるんだよね。だから、学校どうかなとか、バスケ好きな子がいるから気が合うと思うとか、簡単に言うんだと思う。」
先生~!単純って言われてますよ~!と心の中で苦笑いする。
「人って多くの場合は、自分を基準にして物事を考えたり、判断してしまうからね、お母さんだってそういうところたくさんあるしさ。だから、いろいろ想像しなくちゃならないんだろうけどねぇ。」
そんな会話をしていたので、この様子では、来年度も彼は学校には行かないのだろうなと勝手に思っていたのだが・・・。
その日、夕飯の片付けをしていると、二男が、そっと傍に来て「キリが良いから5年生から学校に行ってみようかな。学校をよく知らないから、どんな感じかなぁって。でも、勉強する所だから、4年生までの勉強を終わらせておかないと、行ってもわからなかったら面白くないかもしれないから、手伝って欲しい。4月まであんまり時間がないけど。」と伝えてきた。
「あ、そうなの、わかったよ。」
努めて冷静に答えたが、『ええええぇ!マジですか?!』と心の中では叫んでいた。ヘッダーの画像を〈ムンクの叫び〉にしようかと思ったくらいだ。驚いた。
でも、随分いきなりだなぁ~と思うのは私の勝手で、彼の中では、突然でもなんでもなく、満を持してという感じなのだろう。二男の中で、少しづつ興味が広がって、その段階としての学校なのだろう。自分の中で時が満ちて、知らない世界に足を踏み入れようというタイミングがやって来たのだろう。
夫にそのことを伝えると、「面白いんじゃない?じゃ、勉強やるか。」と言い、長男は長男で、「ふ~ん、面白くなりそうじゃん♪」とニンマリしている。
その隣では、末娘が寝転びながら本を読んでいる。
先日、一応、どんな所か見に行ってから、行くか行かないか決めたら?という話し合いの元、一日体験入学で小学校に渋々見学に行った。「圧がスゴイ。」と言いながら、皆でやるじゃんけんゲームにも、歌にも一切参加せず、椅子から立ち上がることすらしなかった。
「やりたくないから、やらなくていいんでしょ?」と末娘。
「やりたくないの?」と私が返すと、即座に「やりたくない。」と返ってきた。「じゃ、いいんじゃない?やらなくて。」と私は答えた。
「一人だけ立たない子がいるね、って言ってた人がいたね。」と自分のことを言われているとわかっても、決して椅子から立ち上がろうとしなかった。心臓に剛毛2号。(1号は長男。)
学校は、勉強するところ。
二男はそう言っている。行ってみて彼が自分でどういった学びが学校にあるのかを感じるのだろうし、自分のしたい学びの場と違うと思ったら行かなくてもいい。
毎日行かなくてもいいし、毎日行ってもいい。興味のある授業だけ出席するものアリだ。疲れたらいつでも休めばいい。
冷静を装うけれど、どんなものかなぁ、彼にとっての学校は。
彼の個性が潰されることがありませんように、学びは楽しいものだという気持ちを失いませんようにと切に願ってしまうのも私の正直な気持ちだ。
10歳。ある程度の自己が確立される年齢でもあるのだろう。二男自身が「自分は大丈夫。」と感じているからこその「行ってみようかな。」。そして、〈学校とは、どういうものなのか〉を自分で確かめようと思っているのだろう。
それにしても、本当に子どもたちは、三人三様なのだなぁとしみじみ思う。
長男が行かないから、自分も行かない、ではなく、二男は二男で、自分で自分のことを考えて決めていくのだということを、あたりまえだけれど、それぞれなのだと改めて感じている。
そして、家族の誰も二男が決めたことに異論を唱えない。「自分で決めたならいいんじゃない?」という雰囲気が漂っている。
自分は学校に行っていない長男も、行くという二男に否定的な言葉は一切言わない。末娘が幼稚園に行かないことにも、自分たちは楽しく通った兄たちも一切何も口にすることはない。
「自分で考えて決めたことだから。」
それをお互いに尊重できる子どもたちを私は心から尊敬する。
自分のしている選択以外を誰かが選ぶと、ちょっと自分を否定された気持ちになることが、私には少なからずあった。今はそういったことはないけれど、大人になってもそういう気持ちが皆無ではなかったと思う。
大人でも、例えば、専業主婦の母親が仕事を続ける娘を応援しつつも、自分の生き方を否定されている気がしてしまうといった話を聞くこともある。
それぞれの選択の違いであって、そこに善し悪しはないのだけれど。
しかし、密かに慌てているのは、母の方で、え?学校の持ち物とか把握してないな・・・今の学年では、何が必要?絵の具と習字セットとか?同級生のお母さんにきけばいいか。給食のことも栄養士さんと面談しないとなぁ・・・。5年生から行くってことは、4月のいつからいくんだろ?5年生は入学式にも参列すると言っていたような・・・てことは、8日から?学校に連絡しておかないとなぁ、担任の先生は、いつ発表だろうな・・・と様々な段取りが頭の中をぐるぐるしている深夜2時。
まぁ、きっとそんなもの、どうにでもなる。
というか、どうにかする。
私の中で、学校教育に対して、然程良い印象がないこともあり(学校関係者の方がいらしたらスミマセン・・・。)つい、ムンクの叫びのような顔で驚きそうになるのを堪えつつ、彼が安心して4月のスタートを切れるように最大限動くのが私の仕事である。
「教科書、出しておいで。」
夫がこれからどうやって勉強を進めようか、何からやりたい?と二男に聞いて、一緒に計画を立て始めた。とりあえず、綺麗なままの教科書を本棚から出してきて、どこからやろうかと話している。それにしたって、4年生までの学びを4月までの1ヶ月とちょっとで終えるというもの、なかなかのものだ。二男、そして夫と私、頑張れ!親の修行は続く。今のところ、ずらりと並んだ教科書を見ても楽しそうにしている二男が愛しい。笑
「旅行に行くとかいう場合は、学校休んでくれるかなぁ。」などと、夫にこぼして笑われている。ずっと一緒に過ごしていたから、やっぱり寂しい気持ちもあるのかもしれない。
4月には末娘も就学。行くかは不明。二男も学校に行ってみようかなという。長男は中学3年生になり、一応受験生だ。
何にしても、子どもたちにとっての学びが、面白く、楽しいと思えるものでありますように!学びが自発的なものであれ!と強く願うばかりだ。
北海道のこのところの気温は10度を超えたかと思えば、今日の夕方はマイナス3度。三寒四温と言う通り、あたたかい日と寒さを感じる日が交互にやって来ている。
さて、我が家にはどんな春がやってくるのだろう。
どんな春でも、どんとこい。
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