漫画みたいな毎日。「私から欠け落ちた欠片が、私の世界を包み込む日。」
先日、子どもたちとふきのとうを摘み、今年最初のふきのとうの味噌汁を作った。
濃いめに出汁を取り、茹でて水に晒したふきのとうと、刻んだ昆布、油揚げを入れ、甘めの白味噌で仕上げる。
ほんのり苦い、春の香りのする味噌汁だ。
ふきのとうの味噌汁を初めていただいたのは、子どもたちが通っていた幼稚園でだった。
幼稚園の女性スタッフCさんが、毎年作ってくれていた。ふきのとうの味噌汁と言えば、Cさん、幼稚園では、「Cさんのふきのとうの味噌汁」と名付けられ、今もそう呼ばれている。
ふんだんに鰹節と昆布を使って出汁をとり、家庭では見たこともないような、給食用かと思うような大鍋でたくさん、たくさん、作る。
幼稚園では月に一度、平日は仕事で来られない家族も参加できる「家族デー」として日曜の登園日があり、春の家族デーにこのふきのとうの味噌汁が振る舞われる。在園している家族はもちろん、卒園した家族もその味噌汁を味わいたくて集まってくるのだ。
ほんのり苦く、ほんのり甘い。
冬に溜め込んだものを外に出してくれる。
春が身体の中を駆け巡る、そんな味。
「Cさんのふきのとうの味噌汁みたいな味に、どうしてもならないんですよね。」と、私が毎年の様にこぼすと、Cさんは、「大きい鍋でたくさん作るから、美味しくなるんですよ~。」と笑顔で答える。
春を迎える度に、同じ会話を、私とCさんは繰り返していた。
Cさんが作ると何でも美味しくなる。
豚汁でも、塩むすびでも、漬物でも。
大きい鍋でたくさん作るから、という理由でないことは、明らかだった。
ちょっと皺が刻まれた手から「美味しくなるエキス」が放出されているに違いなかった。
私は、Cさんに会ったのは、10年以上前だ。
初めて会った時から、親近感を抱いていた。
いつも明るく朗らかで、いつまでも少女のような屈託ない、素直な笑顔。
関われば、関わるほどに、彼女に母を感じていた。
自分の母親に対するよりも、母を感じていた。
何か相談すると、「けいこさん、大丈夫ですよ!」と笑いとばしてくれる。
些細な子どもたちとの日常の出来事を話すと「やなぎだ家の子どもたちの将来がホントに楽しみですねぇ!」と嬉しそうに笑ってくれる。
私が子どもたちと喧嘩をしたり、子どもの発言に落ち込んでいると、「なんでも、子どもたちが親に言えるだけ、いいんですよ。言える関係って大事!」励ますつもりなどないのかも知れないが、Cさんと話をしていると、いつの間にか元気になっているのだった。
新茶の季節には「緑茶、飲みます?取り寄せたから、冷蔵庫に分けて入れておきますね!」と声をかけてくれ、梅の季節には「美味しい梅干しだから!」とおすそ分けしてくれた。みかんの季節には「私ね、ここのみかんが一番好きなんです!」と、抱えきれないくらいのみかんを持たせてくれた。
私が妊娠した時は、自分のことのように喜んでくれ、二男が産まれた時も、末娘が産まれた時も、たくさん抱っこしてもらった。
長男は、まるで自分の孫みたいにしてぎゅーっと抱きしめてもらい、何か嬉しいことがあると、ほっぺにチューされていた。
流産を経験した時には、空に帰った赤ちゃんに、とお花を届けてくれたこともあった。
私が体調を崩し、幼稚園に通えなくなった時には、「子どもたちだけでも、幼稚園に送り出してね」といつも言ってくれ、丁寧なお手紙が郵便で届いた。
「お休みは、神様がくれた大事な時間です。ゆっくりしてください。」
と書かれた手紙を時々、読み返す。
何度も何度も、この手紙を読み返しては、その度に、涙が溢れる自分がいる。
一昨年、闘病していたCさんはこの世界を旅立った。
末娘と幼稚園に通っていると、「もうここに彼女は居ないのだ」ということを、たびたび認識せざるを得ない。
でも、もしCさんなら、こんな時、きっとこう言うだろうな。
私の中のCさんが、あの表情、あの口ぶりで私に話しかけてくれる。
そこに在るのは、理屈などではない、安心感。
自分の母親よりも、深い深いところで、私や私たち家族を理解しようとしてくれる存在だった。
自分の母親には、「母の日」に贈り物をすることに躊躇するというのに、彼女に「母の日」のプレゼントを選ぶことは私の楽しみとなっていた。「きっと溢れんばかりの笑顔で喜んでくれる。」手放しにそう思えるのだった。
「Cさんがいてくれたらなぁ。」私も、夫も、子どもたちも、何かにつけてCさんを思い出す。
ついこの前も、「お母さん、会いたい人居る?」と布団の中で聞かれて、「Cさんに会いたいな~」とつぶやいたら、子どもたちも次々と「自分も会いたい!」と言う。血の繋がりとは関係なく、心を寄せる人がいるということは、子どもたちにとってしあわせだといつも思う。
昨年も、自分で作ったふきのとうの味噌汁を味見しながら、どうしようもなく、寂しくなった。Cさんの味噌汁の味を思い出しながら作るのだが、どんなに回数を重ねても、あの味にはならない。
Cさんと最後に会ったのは、ふきのとうの季節だった。
子どもたちが見つけたふきのとうを「Cにあげよう!」と手にもって彼女に駆け寄った。Cさんは、「ありがとう!嬉しい!夜の味噌汁にするね!」と無邪気な笑顔で、子どもたちを抱きしめてくれた。
最後に話したのは、電話越しだった。
母の日のカーネーションを自宅の玄関先に届けますね、と。
その時、彼女は療養中だったので、人に会いたくないかもしれない、と思ったからだ。
元気な時に、「具合の悪い時は、人には会いたくないものだからねぇ。」と話していたからだった。
今、思えば、無理にでも会っておくべきだっただろうか、と思わなくもない。でも、それは、私の気持ちであって、彼女がそれを望んでいなければ、成り立たないと思っていた。
幼稚園の事務担当の方が、彼女の姪っ子さんで、私も常々交流があったので、彼女の病状を伝え聞いていた。
何か差し入れをしたいと思ったが、もう殆ど食べられないんです、と、姪っ子さんからメールが届いた。
「やっぱり、けいこさんの作ったのはね、なんかね、違うんですよ!」そう言って代わり映えしない米粉の蒸しパンをいつでも喜んでくれた。
もう、食べてもらうことができないのか。
それから2ヶ月後、彼女は、旅立った。
私や家族の生活の中に、彼女はあたりまえの様に存在してくれていたのだと、亡くなって改めて感じている。
自分の世界の一部が欠け落ちた感覚。
誰にも埋められない欠片。
しかし、過ぎていく日々に、彼女の欠片が散りばめられている。
その欠片が、私を励まし、慰め、寄り添ってくれる。
いつだって。
末娘と幼稚園通いを再開し、久しぶりに経理事務を担うCさんの姪っ子さんに会うことが出来た。姪っ子さんのお母さんとCさんとは、姉妹で仲が良く、長らく体調を崩していた実母に代わり、甥姪をいつも気にかけていた。
姪っ子さんと、お互いの近況や、Cさんが元気だった時の思い出話に花を咲かせていると、彼女が、こんなことを言ったのだ。
「きっと、けいこさんのことを娘みたいに思っていたと思います。だから、子どもたちの事も、孫みたいに思っていたと思います。」
思いがけない言葉だった。
私は、Cさんを母のように感じていたが、彼女がどう感じていたかは、知りようもなかったし、特に問題ではなかった。私が、Cさんを親しく思っている事実があるだけで、充分だったからだ。
そして、姪っ子さんは、こう続けた。
「けいこさんと話していると、Cを思い出すんです。なんか、似てるんですよね。」
似てる?!
「上手く言えないんですけど、雰囲気が似てるんです。」
家族で在るが故に、母親の良い面だけでなく、そうではない部分を知り過ぎているからかもしれないが、自分の母親に似ていると言われると、がっかりするのだが、この言葉は純粋に私を喜ばせた。
私もいつか、あんな風に誰をも包み込むようなあたたかさを纏うことができるのだろうか。
今年初めてのふきのとうの味噌汁が、夕飯の食卓に上がった時、
「お母さん!ふきのとうの味噌汁、Cの味噌汁の味がするよ!」
Cさんのふきのとうの味噌汁で育った長男と二男が口を揃えていった。
私には、最高の褒め言葉だ。
でも、あの味になることは、永遠にない事を、私は知っている。
「Cさんのふきのとうの味噌汁みたいな味に、どうしてもならないんですよね。」と私が言えば、「大きい鍋でたくさん作るから、美味しくなるんですよ。」と、Cさんは決まって、そう答える。
永遠に変わらないであろうこの会話を、あと何回でも繰り返し、笑い合う春を迎えたかった。
きっとこれからも、春が来るたび、そう思うのだろう。
私の世界の一部が欠け落ち、どこかへ行ってしまった。でもその欠片は、私を、私たち家族を、いつだって包み込むように、やさしく抱きしめてくれている。
「けいこさん、大丈夫ですよ!」
いつだって、笑いながらそう言って、Cさんが、背中をやさしくポンっと叩いてくれるのを感じながら、私は、生きていくのだ。
母の日は 母でない人 想いつつ 人の縁とは 何かと問う日