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『砂の器』と木次線 出版までの道のり(3)

 お読みいただき、ありがとうございます。拙著【『砂の器』と木次線】を出版するまでのプロセスを振り返るシリーズの3回目です。今回は2023年4月から2023年9月頃にかけて何をやったか、お伝えします。


作業開始から9~14か月(23年春~秋)

作業開始から発売までのスケジュール

松江へ引越し(23年4月)

 本を書く作業を始めてから9か月ほど経った2023年の4月、それまで住んでいた東京から島根県の松江市に引っ越しました。松江への転居は2022年夏に勤めをやめた時には既に計画していたものです。本の執筆のために引越したわけではありませんが、この転居の計画にあわせて、執筆作業の段取りを考えました。

地元関係者にインタビュー(23年5月~9月)

 前回、前々回の記事でお伝えした通り、この頃までには東京で資料リサーチなどを行いながら、本書の「はじめに」と第1~3章までの仮原稿をあらかた書いていました。松江に引越しした後は、木次線の沿線地域(島根県の奥出雲町と雲南市)に何度も足を運び、1974(昭和49)年当時、映画『砂の器』ロケに関わった方々に取材、インタビューさせていただくのが作業の中心になりました。5月の連休明けから動き出して9月の初めまで、だいたい20人ほどの方々にお話を伺いました。
 第3章までは主に図書館などでリサーチした資料をもとに執筆を進めましたが、それだけでは「どこかに既に書かれていること」を整理しただけの本に過ぎないという言い方も可能です。(それだって大変な作業ではありますが…)
 それに対して、誰かの頭の中にある記憶を自分で聞き出して文字に書き起こせば、それは取りも直さずどこにも書かれていない情報であり、全く新しい一次資料になり得ます。いわゆる「聞き書き」の手法ですが、これによって本のオリジナリティーを確保することができるのです。

インタビューで使ったICレコーダー

 インタビューを行う際は、取材相手の方にお願いしてICレコーダーで録音させていただきました。だいたいおひとりにつき、20分から1時間程度お話いただいたでしょうか。それらの音声データを後でパソコンにコピーし(USB端子に直接つなげるので便利です)、Microsoft Wordを使って文字に書き起こしました。
 本書では、前後の経緯などは地の文で要約していますが、お話の核心部分についてはその人ならではの言い回しやニュアンスも含めて臨場感をもってお伝えするために、資料の引用と同じく、録音をもとに原則一字一句変えないでご紹介しています。(どうしても意味が伝わらない箇所はカッコ書きで補いました)

現地で思わぬ資料も発見!

 インタビュー取材に伺った方々の中には、ロケの時の写真やサイン色紙、台本などを個人で持っておられる方が何人もいらっしゃいました。これらについては、とりあえずスマホのカメラで記録させていただきました。サイン色紙には日付が入ったものもあり、木次線沿線でのロケがどのような日程で行われたのか、推測する上での手がかりにもなりました。
 また、中には全く知らなかった事実を物語る非常に貴重な資料があり、大変驚きました。本書の第三章でご紹介していますが、1962(昭和37)年に脚本の橋本忍らがシナリオハンティング(シナハン)のために亀嵩を訪れたことを記録した、当時の仁多町(現・奥出雲町)役場の総務課長だった宇田川實氏の手帳もその一つです。

宇田川實氏の手帳(1962年)

 橋本が共同で脚本を手がけた山田洋次を伴って亀嵩を訪れたエピソードは、これまでも雑誌の対談などで橋本自身や山田によって何度か語られていますが、この宇田川氏の手帳はそのシナハンが実際に行われていたことを客観的に裏付け、しかもその正確な日付をおそらく初めて明らかにする貴重な記録です。図書館で資料を調べるだけでは決してたどり着くことができない、現地に足を運んでこその発見でした。

第4章と「おわりに」を執筆

 今年2024年が映画『砂の器』公開から50年に当たります。それに先駆けて本書は当初から2023年12月の出版を計画していました。そこに間にあわせるには8月末には原稿を書き終えなければ、ということで、地元関係者への取材と並行し、第4章と「おわりに」の執筆を進めました。また、仮の原稿が出来ていた第1~3章についても、関係者の取材で新たにわかったことを反映して、加筆や修正を行いました。
 終盤に追加の取材などが入ったため、結果的に全体の原稿(第1稿)が完成したのは9月の初旬でした。(続く)

※本書の概要については以下の記事をご参照下さい。

※ハーベスト出版の直販サイトです


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