ひとりでも楽しい
4月。新生活が始まる季節にいつも思い出す言葉がある。
本人はもう忘れていると思うが、当時、小学校1年生になったばかりの長女の言葉だ。
私も夫も、交友関係は、「広く浅くより」も「狭く深く」、ひとりふたり、親友と呼べる友がいれば、それで満ち足りるタイプなので、友達の数は少ない。
願ってもできないからかもしれないが、率直に言って「友達は多いほどいい」と思ったことはこれまで一度もなかった。
なので、娘が小学校に入学する際、「友達がたくさんできるかな?」ということはほとんど気にしなかった。
誰に似たのか人見知りせず、誰とでも当たり障りなく仲良くし、「広く浅く」も得意なサッパリした気質なので、親ながら「付き合いやすいタイプだな」と感じていたのだ。
彼女なら、放っておいてもうまくやるだろうと思った。
長女は保育園時代から、園での様子を話してくれることは少なかった。突っ込んで質問しても「今日は○○したよ」「まあまあかな」などと会話も一言で終わる。それでいて、特にトラブルも起こさず楽しく登園していた。
当時は私がかなり多忙を極めていたので、本当は何か伝えたい時もあったのかもしれない。が、私自身、家の外での出来事を親に話すタイプではなかったので、そんなものかな、と思っていた。
しかし初めての子の入学。
小学校は大きく環境が変わるので、少し聞いてみることにした。
「今日の休み時間は何をしていたの?」と聞くと、「みんなは校庭に遊びに行ったけど私は教室にいたかったから、ひとりで本を読んでた」「図書館覗きに行ったよ」と言う。
外遊びをしなければいけない、と決まっている休み時間もあるそうで、「鬼ごっこする気分じゃなかったから、ひとりで花壇に行って花を見てた」。
5月下旬、まだ心配するにも早いかもしれないが、休憩時間に誰かと遊んだ、という話も聞かないし、特定のクラスメイトの名前も出ない気がする。
ふと、それで楽しいのかな?と一瞬心配になった。
多分、そんな私の不安を察したのだと思う。
長女はフッと息を吐いて、諭すようにこう続けた。
「ママ、知らないの? あのね。ひとりでも楽しいことってあるんだよ」
「花壇の花はきれいだしね、屋上でぼーっと空を見たい時もあるでしょ。
図書館は本がたくさんあって読めるしね」
驚いた。そうだ、ひとりだって楽しいことはいっぱいある。
何より私もひとりの時間が必要なタイプなのに、ひとり=楽しくない、かわいそう、なんて無意識のうちに決めつけていたのかな。
ほどなく夏休みに入る前には、長女の口から特定のクラスメイトの名前が頻出するようになった。
あの発言の直後に行われた個人面談では「外遊びはあまり好きではないみたいですが、誰とでも分け隔てなく会話できますし、協調性もあります。その時の気分でいろんなグループに参加したりひとりで過ごしたりしているようです。保育園で仲良しだった他のクラスのお友達に会いに行く様子もありますが、特に対人関係の問題は感じませんよ」と聞いた。
春は気持ちがソワソワする。
7歳にして「ひとりでも楽しい」ということを知っていた彼女でも、この先、なかなか友達ができないと落ち込んだり人間関係で悩んだりすることがあるかもしれない。
もしそんな時が来たら、この話を伝えたい。そして私も、小さなことを慈しみ心柔らかにして、「ひとりでも楽しい」と、自然に思える日々を送りたいと思う。
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