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有村架純に触発されて、物思いに耽る 《転》7日目
おそようございます。
さっき、というか、今、Googleのホームに出てきた記事で
「有村架純がバスト見せつけショットを大胆公開!」
なるものを見つけてしまい、その筆者の思惑通り彼女のインスタを見てみたのですが、思っていたのと違って少しどんよりしています。
ひろしです。
じゃなかった、すけおです。
最近、雨雨雨。
なんだか暗くなってしまいますね、世の中が。
雨の日のほうが暗いニュースも多いですよね、知らんけど。
僕の周りでは、何人か、少し体調を崩していたり、いなかったりしています。
季節の変わり目ですからね、要注意です。
皆さんも気をつけてください。
手洗いうがい大笑いを徹底していれば大抵風邪なんかひきません。
中学校から全然体調崩さないようになり、皆勤賞を果たしていた僕が言うのだから。
小学校はたまに行くの嫌でさぼったけど。
あ、あと睡眠、食事、運動ですね。
これだけやれば大丈夫です。意外と多い。
病は気からなんて言葉もあるので、何よりストレスをあまり自分の体に書けないように気を付けるのも大事ですね。
自分で自分の首を絞めるようなこといなくても、自分には甘くていいんじゃないでしょうか。
筋トレの時にはしっかりいじめてやればいいんです。
そうすれば、その他の時間はどんなに甘くしてもバランス取れるんじゃないでしょうか。
まあ、体調崩していいことなんてありませんからね。
考え方もネガティブになったり、行動が制限されてそれがまたストレスになったり。
休む口実になるっていうメリットにもなり得ますが、体調崩さなくたって休みたいなら休めばいいと思います。
どうせ休むなら元気な方がいいじゃないですか。
休みを風邪で棒に振るなんてもったいない。
程よく働いて程よく休みましょ。
さぼれって意味じゃないですよ。
自分を犠牲にはするな、って、ただ思います。
特に、いろんなニュースが報道される今だからこそ、働き方、生き方を考える時間もあったらいいかもしれないですね。
芸能人の番組降板や、視聴率低迷による各番組の不安など、たまに見かけますが、直接関係ないことなのになんか悲しくなりますね。
空いた席に呼んでいただけたら、僕は走っていきますけどね。
こちらもGoogleだか、もしくはLINEニュースだか、どこかのから飛んだ先の記事を読んで書かれていたことなのですが、
芦名さんは何故自殺を選んだのか
みたいなことが書かれていました。
あんまり人の人生にどうこう言える立場でもないし、人の人生について考えるのもあまり意義を感じないため好きではないし、それこそ自分で精いっぱいなので、
こういう芸能人のニュースにとやかく言うのは嫌なのですが、
記事読んでて少しチクってくることがありました。
何より、記事のテーマとして、ことが起こった原因を、周りの人物へのインタビューや、生前の行動から解明しようとしていること。
解明するまでの道で、おそらく犠牲になってくる方が出てきます。
芦名さん自身も、犠牲になる可能性だってあります。
そして、それが解明されたとき、救われる人がいるケースなんて、多くはないのではないでしょうか。
名探偵コナンでない限り、そんな感動物語に仕上げるのは至難の業です。
人の死を扱う話の中におちゃらけを入れるのも好きではないんですけど。
そんなことする必要ってあるのでしょうか。誰のために。
本当にその人のためになるのか。
死人に口なしだからって、プライバシーの権利もきれいさっぱりなくなるのでしょうか。
今の世の中、そこへの配慮って欠如してますよね。
何より、同記事の中にあった
なぜ自殺という最悪な道を選んでしまったのか。
という一文。
あぁ。と、声になりませんでした。
多くの人の目に触れる、メディアの人間がそんなデリカシーのないことを言うなんて。
自殺が最悪だっていうのは誰の考えですか。
選んで「しまった」なんて、そんないい方されて報われる人はいますか。
もう自殺というただならぬ勇気を必要とした道を進んだ方へ、
褒めたたえろとは思いませんが、
その選択を尊重し、弔うのが周りの人間ができる最大限のことではないでしょうか。
最期まで自分の選択を否定されるなんて、報われるでしょうか。
若者の死因で一番多いのは自殺です。
自殺を最悪だという世の中でさえ、自殺は絶えない。
正当化するのも違うと思いますし、やっぱり周りの人間としては悲しいことではあります。
だから、人の死を減らしたいのは僕もやまやま。
でも、自殺への考え方ってもう改めなければいけない時ではないかなあと少し思います。
ただ、死ってひょんなことから訪れるから、難しいでしょうね。
何にも考えていないときとか、
ふと、
ここから飛び降りたら、、、
このまま車のスピード上げて突っ込んだら、、、
今、一歩踏み出す勇気があったら、、、
なんて思うことがあります。
そんな時に一度でも、とてつもない勇気が湧いてきたら、何千何万回のうちの一回であれ、その選択が人生を左右することになります。
そんな中でも生きているのは、奇跡だと思います。
生きる勇気があるわけでもなく、
生きる理由があるわけでもなく、
ただただ死ぬ勇気がないだけですが、
そんな奇跡の連続で生きていられる。
最期に死という道があるからこそ、恥を忍んで生きていられる。
生きていることにも、いずれ死ぬということも
すべて受け入れて、感謝して、生きる。
僕は、そういう風に楽しんで生きていけばいいと思います。
誰にでもそういう風に生きてほしいというわけではありません。
僕自身がこれからもそういう風に生きていければいいと思います。
少し話が変わりますが、以前、ある番組で、爆笑問題の太田さんが
「学問とは、生きている意味を色んなチャンネルから追及していくもの」
だとおっしゃっていました。
自分にはなかった新しい考え方で、
はぁ~
ってなりました。それに対してまた別の視点でストレートに言ってくれる伯山さんも良い。相性がいいんでしょうね。
何の番組がバレた。
僕からはうまく伝えられないのでYouTubeのURL貼っておきますね。
こういう教育の形があったらそれも楽しいだろうなあと思いますね。
どこまでやるかなど難しい部分は多いでしょうが、そういう考え方を身につけられたらいろんな場面で役に立ちそうだなあ、と。
前提として、太田さんがたくさん本を読むように、いろんな知識が必要にはなりますけど、
暗記のみを重視した今の教育制度よりは、普遍的な応用力っていうのは感じられる気がします。
暗記なんて、ほとんどやる気じゃないですか。
僕だって頭は良くないけど、
目立ちたかったから、小さいころから授業で意見を言って、
負けず嫌いだったから、テスト前は勉強して、
ほめられたかったから、絵とか、作文とかはたくさん書いて、
結果それがやる気につながっただけ。
ある程度の講義は受けられる大学入ったと思うけど、別にどこだって一緒だったと思う。
その時のやる気。
既に、この大学出れたからこれ以上の企業に行きたいとかっていう気持ちはない。
企業のレベルを勝手に測って、自分のレベルと合わせるのってあんまり。
レベルとかで何もかも判断したくない。
好きなことを一生やっていたい、そういう人間だって知れたのが僕にとっては大学に入った意味だと思う。
やる気が出る時期なんて人によって違うし、その方向性とかも様々なんだから、一辺倒なやり方では教育だけ時代に置いて行かれちゃうかもしれないですね。
それこそ今は職業もバラエティ性に富んできて、
勉強をする人しない人、する必要のない人、勉強しても将来満足できない人、せずに成功していく人。
たくさん出始めてきています。
個人的にはいい兆候だと思います。
自由自由って言って、自由が利く範囲が狭かったら結局窮屈ですもんね、
結構書いちゃったくせに、まだまだ、それぞれ全く違う話題だけど、
今日はこの2倍くらい書きたいことあったんだよなあ。
でも僕には明日もあるからね。
明日書こう。生きていこう。
《転》7日目
・明日世界が滅びるなら
・っていう話題をみかけて、
・少し考えてみた。
・多分、
・何もしない。
・もう生きる時間が限られているなら、
・これまでの21年間を、もう一度経験する
・物思いに耽て、笑って泣いて、終えるだろう。
・実際そんなことがあったら最後まで信じないで過ごすだろうけど。
・ここ7日で夢精3回。なんでやろ、季節の変わり目だなぁ。
では。